伯爵閣下の褒賞品

夏菜しの

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01:奮闘

05:旦那様

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 着替えを終えた後、エーディトにお願いして、エーベルハルトに伝言を頼んでいた。特にロッホスが、だが、ここの使用人らは信用できない。
 フィリベルト様の帰宅を知らせてくれるようにお願いしたのだ。

 そして夕刻の頃、フィリベルト様が領地の視察から帰ってきた。案の定、フィリベルト様が戻ったことは私には知らされなかった。
 予想通り過ぎて、呆れを通り越して馬鹿馬鹿しい気分になった。
 私がエーディトを連れ立って玄関ホールに現れると、執事のロッホスは一瞬だけ悔しそうな表情を見せた。
 やはりワザとか。
 言伝の件にドレスの件、そしていまの件、出会ってほんの数時間なのに言いたいことは沢山あったが、グッと我慢して堪える。
 これから愛するフィリベルト様が帰ってくるのだ。初めてのお帰りなさいの挨拶くらいは笑顔で迎えたい。

 ほどなくして玄関が開き、熊の様な逞しい大柄な男性が入ってきた。
 腰には剣を帯び、革製の無骨な鎧のパーツを体の至る所に着けている。戦ごとは専門外なのでよく判らないが、領主が自らの領地を視察するのにあれほど身を護る必要があるのだなと、別の意味で緊張する。

「お帰りなさいませ旦那様・・・
 フィリベルト様の視線が私の方へ向いた。
 あの日の思い出の中にある通り、とても綺麗で穏やかな瞳だ。
「ん? ああ。今日着いたのか。知らせがなかったのでこんな時間になってしまった。済まなかったな。
 ペーリヒ侯爵家のご令嬢ベアトリクス、初めて・・・お目に掛かる、俺はフィリベルト=シュリンゲンジーフだ」
 知らせがないという台詞に若干引っ掛かったが、顔の笑顔は貼り付けたままやり過ごすことができた。
 さてと、ここはなんと応えるべきか、少し頭を捻って考え、
「私は既に伯爵閣下・・・・と婚姻を結んでおりますので、もう令嬢ではございません。貴方の妻です。ですから名前でも、愛称のベリーでも、伯爵閣下・・・・のお好きなように、呼び捨てで呼んでいただいて構いませんわ」
 そう返しつつ、本当は今日が初めてではないのだけど、やはり覚えていらっしゃらないのねと、悲しい気分を味わっていた。
「そうか、では名前でベアトリクスと呼ばせて頂こう。
 もちろん貴女も俺の事は自由に呼んでくれて構わない」
「はい、ありがとうございます旦那様・・・

「旦那様お食事の用意が出来ております」
 最初の挨拶を終えるや、すぐにロッホスが口を挟んできた。
 主人同士の会話に割って入るなんて!
 カァと頭に血が上るがすぐに先ほどのディートの言葉と態度を思い出し、努めて顔に笑みを浮かべた。
 まだ一日目、もう少し様子を見るべきよね。



 食事をとる部屋は城だけあってとても広い。
 長いテーブルの端と端、相手の表情さえも見えない場所に食器が置かれていて眩暈がした。まさかとは思ったが、ここの使用人は一体何を考えているのだろうか。
「旦那様、申し訳ございません。
 食事の席に間違いがあったようです。しばらくお時間を頂けますか」
「ああ、構わない」
 了承を貰ったので、私は近くにいた使用人を呼び席の変更を言いつけた。
「これでは旦那様とお話がしにくいわ。もう少し近くの席に並べて頂戴な」
「畏まりました」
 五分ほど掛かり私のお皿はは旦那様の右前方の席に移動された。
 普通は向かい合う物だと思うが……
 しかしフィリベルト様は前からあの席に座られているのかもしれない。それにこれ以上お疲れの所を待たせるのも良くないかと考えて譲歩する。


 ついに食事が始まった。
 国王陛下が決められた縁談の為、私とフィリベルト様は交際期間どころか、婚約期間さえもなく婚姻を結んでいる。
 そのため私たちの話は、自己紹介の様な物から始まっていた。

 まずは年齢から。私が十七歳でフィリベルト様は二十九歳。
 十二歳の年の差があると知れると、
「済まない」
 それは短い謝罪の言葉。
 不敬に当たるので明言はしていないけれど、きっと国王陛下が決めた縁談だと言うことに負い目を感じているのだろう。
「謝る必要は何もございません。
 そもそもこの縁談は私の方から父上にお願いして決めて頂きました。ですから私は強制されてここに来たわけではございませんわ」
「申し訳ないが俺は自分の容姿が人に好まれるものとは思っていない。
 自分からそのようなことを言うなんて、一体どのような理由があったのだろうか」
伯爵閣下・・・・はクラハト領を覚えておられますか?」
「クラハト領? 蛮族の反乱があった話だろうか」
「ええ。私はその時、クラハト領におりました。
 閣下にはその際に助けて頂きました恩がございます」
「なるほど恩か」
 どこか他人事のような返答。
 やはり覚えておいでではないのだなと一層心が沈む。
 そして……言い方を間違えた~と心の中で叫んだ。あの言い方だ、恩を返すために渋々と聞こえたのではないか?

 無情にもこの件はそのまま流れていき、話題は家族の話に移っていく。
「俺は貴族の五男坊で、将来喰っていく為に軍人になった。
 両親は家督を継いだ一番上の兄貴が養っている。それにここは治安が悪いからな。きっと訪ねては来ないだろう」
「私は……
 お爺様とクラハト領で暮らしていました」
「確かクラハト領は飛び地で田舎の辺境だったと記憶しているが、ペーリヒ侯爵家の本領地の屋敷で過ごしていたのではないのか?」
「ええ違いますわ」
 何故なら私が妾の子だから。そしてどうやら私は生前の母によく似ているようで、正妻と折り合いが悪かった。そのため正妻がいるペーリヒ侯爵領の屋敷で平穏に暮らすことは困難だった。
 それを見かねたお爺様が私を連れて、飛び領地のクラハト領で育ててくれたのだ。
「どうやら言いたくない事情の様だ。これ以上は聞くまい」
「ありがとうございます」

 話が一息ついた頃。
 私の食べた品とフィリベルト様とではかなりの差が生まれていた。
 量はあちらが三倍、いや四倍もあるというのに、喋りながらでもフォークが進む男性と違い、口に物を入れている時に話すわけにはいかない女性と言うの差以前に、そもそもの食べる速度が段違い。

 そんな訳で、
「貴女はゆっくり食べてくれて構わない。
 俺は少し食後の腹ごなしをしてくる」
 そう言ってフィリベルト様は模造の剣を手にして庭へ出て行った。







 その夜。私の寝室のベッド脇にある、小テーブルの上にはお酒やおつまみが置かれていた。当然だがこれは、私が嗜む物ではなく、フィリベルト様だんなさまの物だ。
 本日は初夜。
 行為に及ぶ前にお勧めする品だそうで、エーディトが準備してくれた。
 そのエーディトの親代わりである、クラハト領の侍女長から一応の話は聞いているが、なにぶん初めての事なので、体の外まで聞こえるんじゃないかってくらい、先ほどから心臓がバクバクと鳴りぱなしだ。

コンコンコン

 ノックの音にビクッとなり、「ひゃい!」とみっともない返事が出たのは気のせいだと思いたい。こんな黒歴史を私は欲していない。
 改めて、「はい」と言い直しドアに近づく。
『フィリベルトだ』
 そぅとドアを開けると、立っていたのは熊の様な逞しい大柄な男性、間違いなく私の初恋の人だ。
 フィリベルト様は私の脇を通り、ベッドの側の椅子に座った。
 そこまで無言。
 何か言ってくれた方が緊張が薄れるのにと心の中で不満を漏らす。

 えっとどうしよう……
 あっそうそう。まずはお酒を勧めるんだったわ。
「フィリベルト様、何か飲まれますか?」
「いや俺は酒は嗜まん」
 ちょ!? お姉ちゃん!? こういう場合はどうするのよ!?

「えと、氷とお水くらいしか。あとおつまみが……」
 言ってみて何言ってんだと自分でツッコみたくなった。
 氷と水を出してどうするのよ!?
「いや、今日はそう言うつもりで来たわけではない。
 済まないが俺の話を聞いて貰えるだろうか」
 つもりが無いと言われてホッとした反面、なんだか自分が情けなくて悔しかった。
 私が口を噛みしめていると、
「貴女の様な若くて美しい令嬢が、俺なんかと結婚してくれた事はとても嬉しく思っている。しかしそれが国王陛下のお言葉あってのことなのも理解しているつもりだ。
 だから一年だけ我慢して欲しい。一年あれば義理も果たしたことになるだろうから、そこで離縁しよう」
「そんな我慢だなんて……」
 初恋相手に何を我慢することがあるだろう?
 言われていることが呑み込めず、私はオウム返しに言葉をなぞって口にした。
「もちろんそんなことを面と向かって言えるわけは無いのも分かっているつもりだ。
 だから先にこれを渡して置く、一年後ならば、これを置いて好きに出て行ってくれて構わない。そしてその際には今後の生活に困らない額を支払うことも約束しよう」
 え? なにそれとと驚いている間に、テーブルの上にすっと差し出されたのは蝋印で閉じられていない封書だった。
 手に取り中を確認すれば、
「離縁届……?」
「ああ、俺の署名は既に書いておいた。
 だから後は貴女の名を書くだけにしてある」
 ここで『この様な物は受け取れません』と突っ返せれば、万事解決したのだろう。
 しかし思わぬことに気が動転していた私は、すぐに返事をすることが出来ず、その機会を永遠に失ってしまった。

 つまり私が次の言葉を発する前に、
「話はそれだけだ。結婚してくれてありがとう。そして済まなかった」
 彼は悲しそうに、そう言うとさっさと部屋を出て行ってしまったのだ。
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