王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
4 / 107
序章

宰相閣下のお茶

しおりを挟む
 この国の王子殿下であるフィリップスは、廊下での大捕物の後、屈強な兵士たちに囲まれて部屋へと連れられて行った。兵たちの肩越しにちらちらと何か言いたげに振り返っていたが、ジュディはその視線をきっぱりと意識の外へと追いやって目もくれなかった。

「それでは、あなたの案内は私が」
「ありがとうございます」

 先に立って歩き出したガウェインににっこりとほほえみ、ジュディはその後ろに続いた。
 そして、目の前の深緑色のジャケットを羽織った、広い背中を見つめた。

(宰相閣下、ジュール侯爵。聞いていた通り、お若いわね)

 ジュディとて、無策で王宮まで乗り込んできたわけではない。
 手がかりのひとつ、ガウェイン・ジュール侯爵に関してはできる限り情報を集めてきた。父や兄、その他には顔を合わせた叔母といった身内に噂を聞いた程度だが。

 三百年もその家系を遡ることができる、この国の生粋の貴族。
 当主である彼は現在三十歳にして、未婚。
 筆頭宰相以下の実務を担当する若き宰相のひとりで、仕事ぶりは実にそつなく優秀とのこと。それこそ、王宮に部屋を与えられ、何日も家に帰らぬこともあるのだとか。
 しかし旧い名家であればこそ、跡継ぎ問題は深刻なはず。仕事に明け暮れたせいでその年齢まで未婚など、あるのだろうか? と不思議に思った。本人に会って、さらに謎が深まった。

(容姿も、悪くない部類よね? 私の感覚がおかしくなければ、彼はハンサムだわ)

 ガウェインは、すらりと背が高く、細身ながら肩幅の広い体つきで、歩く所作からその足の長さが知れた。
 顔立ちは、一見すると無造作に遊ばせた髪や無機質な眼鏡に隠されているが、横顔などに貴族らしく垢抜けた端整さがうかがえる。
 ジュディは、社交界デビューからすぐに婚約と結婚が決まり、以降あまり出歩かなかったこともあって、貴族社会の惚れた腫れたや駆け引きに若干疎い。それでも、彼であればずいぶん女性に懸想されているのではないかと容易に想像がつく。

(何か、大きな問題でもあるのかしら? とんでもない遊び人、という雰囲気ではないわね。ひとは見かけによらないとはいうから、わからないけれど。もしくは、恋人がいても相手が既婚だとか同性だとか身分差があるといった事情があるのか……)

 一瞬だけ、別れた夫を思い出した。兄の婚約者である儚い美女への思慕と執着から、嫁いできたばかりの妻へ白い結婚を言い渡した男である。
 宰相閣下もそんな訳ありだったら嫌だな、との考えがかすめた。事情を抱えたまま結婚していないだけ前夫よりもマシかな、いや完全に他人事なのだし、憶測はやめよう、なるべく立ち入らないようにしよう……。
 テンションが落ちていくジュディに対し、ガウェインは王宮内の私室へと案内してくれてから、まずはゆったりとしたソファをすすめてきた。そして、自分は座らぬまま誠実そうな口ぶりで話し始めた。

「女性と私が二人で部屋に、というわけにはいきませんので、侍女に同席を頼みたいところではあるのですが。申し訳ありません、私の部屋には普段、女性の立ち入りを認めていないんです。ドアを開けておくことを希望されますか?」

 付き従ってきた侍従は、部屋の奥まで立ち入らず、ドアのそばに控えている。ちらりとそちらを確認してから、ジュディは笑顔に余裕を滲ませて答えた。

「結構です。私のために宰相閣下の習慣を変えて頂く必要はありません。私の仕事はフィリップス殿下の教育に関わることと手紙にありましたが、内々の話ですから女の私をここまで通してくださったんですよね? であればいっそあの方にも退室頂いて、二人で話し合うのでも、私はまったく構わないんです」

 問題があるのは承知しているが、気持ちの上ではぜひともそうして欲しい。
 どんなに「これは仕事です」という顔をしていても、侍従にまで内容が聞こえてしまえばなるほどと思われるだろうし、どこかで酔って口を滑らすかもしれない。可能な限り、ジュディは内密に話を進めてほしかった。

(まだ仕事は始まっていませんから。そのときがきたら、やるべきことはやります。でも、目立ちたくも記憶に残りたくもないんです)

 ガウェインはソファのそばからドアへと向かい、侍従に部屋の外へ出るように申し付けた。そして、部屋の隅にあらかじめ準備してあったワゴンをソファのそばまで運んできた。

「お茶とお菓子を用意しておりまして。お口に合うと良いのですが」

 アルコールランプによって加熱していた純銀製《スターリングシルバー》のティーケトルから、同じく純銀製のティーポットに湯を注ぐ。手付きは危なげなく優雅で、ジュディは興味深く見つめてしまった。こんな風に、自分でさっさとお茶を淹れる男性は、初めて見た。
 カップは白磁で、絵付けは緑の単色ながら繊細な花と葉が手描きで絵付けされたもの。なかなか手に入らない、有名なブランド品だ。
 テーブルに置かれたカップからは、ふわりとほの甘く瑞々しい香りが立ち上ってきた。

「カモミールです。変なものが入っていないか気になるでしょうから、ひとつのポットから二人分。私が先に飲みます」

 ローテーブルを挟んで正面に座ったガウェインは、宣言して口をつける。その顔が微かに歪み、「あちっ」という低い呟きが漏れた。猫舌なのだろうか。
 流れるような動作にわずかにほころびが生じ、ジュディはふふっと声を上げて笑った。

「無理なさらないでくださいませ。毒見でしたらもう十分です。特に疑ってもおりませんし。そこのお菓子だって、全部半分に割って食べましょう、なんて言ってられませんでしょう?」

 ワゴンにのった、陶器の蓋付きマフィンディッシュをちらりと見る。「おっと、出しそびれるところだった」と言って、ガウェインは座ったまま腕を伸ばし、皿を取って蓋を開けた。
 中には、一口大の焼き菓子が数種類、二つずつ並んでいた。アイシングのかかったパウンドケーキや、ジャムをのせた小さなタルトがいかにも美味しそうで、ジュディは目を輝かせる。

「とても香ばしい薫りが。素敵だわ」
「皿に取りましょう。何がいいです? 全部?」
「全部!」

 遠慮なく答えてから、ジュディは自分のぶしつけさに気付き、笑顔のまま固まった。今にも手ずから作業を始めそうなガウェインに「待ってください」と声をかける。

「そんなことを、宰相閣下にして頂くわけには」
「いまこの場には、あなたと私しかいません。そして、招いたのは私で、あなたは大切な客人です。つまりこれは、私の仕事です」
「いえいえいえ、侯爵様にそのようなことをして頂くわけには参りません。それならば私が、ではなく、話を進めて頂きたく!」

 すっかりガウェインのペースにのせられていたが、ジュディはここにお茶を飲みにきたわけではない。業務内容を宰相直々に伝えてくれるという、またとない機会ということで足を運んだのだ。時間を大切にしたい。
 ガウェインもまた、ジュディに言われて思い出したようで「ついついもてなしに熱が」と言い訳をしてから、ジュディに向き直って言った。

「良い足をなさっていると、思いまして」

 足? と聞き返す前に。ジュディは両手を膝の上にぽん、と置いてスカートを押さえ込んだ。それから、裾でもまくれ上がっているのかと自分の足元を確認した。
 裾はくるぶしを過ぎて床にふれるほど。どこからも肌は見えてはいない。
 ガウェインはジュディのその動揺には気付いた様子もなく、話を続けた。

「あなたのように、そこがどこで、ご自分がどんな格好をなさっておいてでも、全力で走れる女性というのは、大変貴重なのだと思います。今日の走りにも、実に胸を打たれました」
「走りに? 胸を?」
「王宮内をドレスで全力疾走。そんな女性、他にいますか? いえ、いません」
「いるかもしれません。それはあなたが女性を知らないだけで、こんなの珍しくないかもしれないし、もっとたくさんいるかもしれません」

 大変苦しい言い訳をしてしまった。いるはずがない。
 しかしここは引くに引けないと、ジュディは完璧な微笑を湛えたまま、一切ガウェインから目をそらさずに見つめ続けた。
 ガウェインは、ジュディの見間違えでなければほんのりと色白の頬を染め、視線をさまよわせて、もう一度言った。

「あなたのその足に、惚れたんです。丈夫そうで、速い」
「まだ言いますか。直に生で見たわけでもないのに」
「はい、もちろん見てはいません。ですが、わかります。あなたの足であれば、フィリップス殿下にも追いつけます。実際に、今日は出会い頭の殿下を早速取り押さえましたからね。これからもその調子で、勉強から逃げ出し、自由を求めて王宮の外へと向かう殿下を捕まえてほしいんです」

 ん? とジュディは小首を傾げ、念押しするように確認をした。

「私のお仕事は、殿下の教育係だと聞いておりますが」

 ガウェインはとても晴れ晴れとした笑顔をジュディに向けて、頷いた。

「はい。殿下の家庭教師をしつつ、殿下を取り押さえるのがあなたの仕事です。あなたの優秀さは聞き及んでいますし、なによりこの役目は足の速さが物を言います」
「閨は?」
「閨ですか?」

 思ったままの単語が口から出てしまい、きょとんと聞き返されて、ジュディはカッと顔に血を上らせた。
 聞き返したガウェインもまた、自分が口にした単語が何か思い当たったらしく、ジュディ以上に顔を赤く染め、むせたように何度か咳をした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜

涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください 「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」 呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。 その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。 希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。 アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。 自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。 そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。 アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が…… 切ない→ハッピーエンドです ※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています 後日談追加しました

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

いつまでも甘くないから

朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。 結婚を前提として紹介であることは明白だった。 しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。 この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。 目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・ 二人は正反対の反応をした。

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

処理中です...