王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

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第一章

一貫性なるもの

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 どうあっても簡単には変えられない顔つき、そのひとが身にまとう雰囲気。
 たとえばそれは、王侯貴族の場合は「気品」という言葉で表されたりする。

(殿下、全然変装できていないです……!)

 王宮を後にし、ガウェインに心当たりとして示された一軒のパブに足を踏み入れてすぐに、ジュディはフィリップスを見つけた。
 とにかく、目立つ。
 グラス片手に立ったまま機嫌良さそうに誰かに話しかけ、弾けるような笑い声を響かせている、その横顔。
 どこかで着替えを済ませたようで、チェックのネルシャツに古ぼけたジャケットを羽織っているが、輝く金髪と人の目を引き付ける美貌が際立っていた。薄暗く紫煙漂う店内でも、そこだけが光を浴びているかのように、空気すら澄んで見える。
 美しいのだ。
 見る者が見れば、ひとめでわかるだろう。彼は特別な存在なのだ、と。

「どうします?」

 こそっと、ジュディに耳打ちをする者がいる。
 ジュディと一緒に王子追跡で動いている王宮勤めの青年、ステファン。ガウェインは外せない用事があったために、共に出て来ることができなかったので、その代わりでもある。
 ガウェインは、王子の対応をジュディに一任すると明言した。

 ――王宮から抜け出すこと自体は、今まで何度もしています。説得は聞きませんし、強硬策に出れば、今以上に頑《かたく》なになるでしょう。その点、あなたはまだ殿下にとって「新鮮」な相手です。我々がこれまでしてきたのとは、違う対応を期待しています。もちろん、殿下とあなたが危ない目に合わないように、私の方でもいくつか手を打っておきましょう。

 そして、ステファンを紹介されたのだ。
 見事な赤毛に透き通る水色の瞳。そのまなざしには華やかな色気が漂い、鼻筋はすうっと通っている。口元には、まるで旧知の相手を前にしたような、気さくな笑みが浮かんでいた。
 その唇が開き、やわらかな声で名乗られた。

 ――ステファン・マッケンシーです。先生のことは、閣下から聞いております。今日はよろしくお願いします。

 長身のガウェインと並んでも、さらに上背があった。
 さほど鋭くないジュディも、声を耳にしてしまえば、外見のイメージともあいまって、ピンときた。
 この方、きっとかなり名うての遊び人だわ、と。

 ステファンもまた、王宮外に出る心づもりでいたようで、出会ったその場面ですでに庶民風の服装をしていた。
 彼のその話しぶりには、貴族階級とわかる雰囲気がたしかにあるのに、外見的には庶民らしさもしっかり出ている。
 それを見て、ジュディは変装の妙に感心してしまった。

(お忍びのなんたるかを、心得ていそうな方。それこそ、悪い遊びをお教えする感覚で、殿下に脱走の手ほどきでもなさったのではと、考えてしまいそうになるわ)

 その後、移動のためろくに話す時間も持てぬまま、二人でひとまずパブまで直行した。そこで目の当たりにしたフィリップスの佇まいに、ジュディは考えを改めた。
 全然変装できていない。ステファンが指導したのなら、下手過ぎる、と。

 ジュディたちは、あまり目立たぬように、パブの内壁沿いに店内を移動し始めた。
 そのとき、グラスが床に叩きつけられて割れる音が響いた。
 いくつもの視線が向かう先には、フィリップスが立っている。
 ざわめきを縫うようにして、フィリップスの明瞭な声があたりを静まり返らせた。


 * * *


「やめろ。汚い手で、子どもにさわるな」

 グラスを手放したフィリップスが、給仕らしいエプロンをつけた女の子を背にかばうようにして、自分よりも体格のいい男と向き合っていた。
 先程までの笑顔は消え失せていて、ひどく鋭い顔つきになっている。

「喧嘩?」

 ジュディが小声で呟くと、肩が触れるほどに寄り添ったステファンが、身を屈めて耳元に囁きかけてきた。

「あの男が、少女に手を出そうとしたようです。体に触れようとしたというより、抱きついたように見えました。すぐに、殿下が割って入りました」

 ジュディが目を離した一瞬の出来事を、ステファンはよく見ていたらしい。ジュディは頷くにとどめ、余計な軽口を叩くことなくフィリップスの様子を見た。

(身分も立場のある人間として、ご自身を危険にさらすのは手放しで褒められたことではないとしても……。ここで目の前の悪事を見過ごさないと言うのなら、それは弱者救済を掲げ、「正義」であろうとしている殿下の一貫性として、認めるべき部分だわ)

 少なくとも彼の理想は、口先だけではないのだと。

「なんだお前、男のくせにずいぶんと綺麗な顔をしてるな。お嬢ちゃんかと思ったじゃねえか。かっこつけたい年頃かもしれねえが、余計なことには首つっこまねえ方がいいぞ。怪我するぜぇ」

 野太い胴間声が、恫喝めいた内容をまくしたてる。そして、盛大な笑い声。
 間近でその嘲笑を浴びせかけられたフィリップスは、怯えるどころか、瞳に煌めきを浮かべ、それを目にした者の胸に焼き付くほどに鮮やかな笑みを浮かべていた。

「どこに目をつけている。俺のどのへんがお嬢ちゃんだって? カスが」

 うっ、とジュディは息を呑んだ。

(一貫性の権化だわ……!)

 まさしく彼は、ジュディを豚呼ばわりした、高貴なる正義漢である。あのときとまったく変わらぬ傲岸不遜そのものの態度で、大の男を煽っているのであった。
 彼は、たとえそこに聴衆がいようがいまいが、変わらないのではないか。
 その意味では、誰かに正義だと認められたくて、そう見えるような振る舞いをしているわけではなく――
 ただ己の信じるところのために、正義であろうとしているように、ジュディには見えた。

「先生。ここで止めますか。それとも、殿下が殴られるまで見ておきますか」

 横から、ステファンが容赦の無い二択をつきつけてくる。その結論ありきも納得できるほどに、体格的にも場数を踏んでいる経験値的にも若いフィリップスが劣勢に見えた。放っておけば、殴られて大怪我をするかもしれない。

「そうですね――」

 即座に、決めかねる。

(殴られるわけにはいかないけど、殿下の覚悟のほどというのも、知っておきたい。絶対に、ここで殴られるわけにはいかないんだけど……!)

 止めてしまえば追跡もバレる。このあと誰かと会う予定があったとしても、尻尾を捕まえることができない。
 思案しながら、決断を先送りするようにジュディが呟いたとき、鈍い打撃音と悲鳴が店内を突き抜けるように響き渡った。

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