王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
19 / 107
第二章

パレスの一夜、明けて朝

しおりを挟む
 館内ツアーの後。
 夜になって公爵家の「略式の」晩餐に招かれ、絶大な緊張感から生きた心地もしない食事を終えて、割り当てられた部屋に帰りつくと、ジュディは天蓋付きのベッドにうつぶせに倒れ込んだ。

「つ、疲れた……」

 着替えもせずに呟き、目を瞑る。
 テーブルには次から次へと絢爛豪華な素晴らしい料理が運ばれてきたはずだが、何を食べたのか、味が全然思い出せない。サーモンのソテーが美味だったことだけ、うっすら覚えている。

 怒涛の一日だった。

 王宮へ仕事に行く日だけに、体調は万全に整えて気力も十分でいたはずなのだ。しかし、朝一でいきなりの「駅へ行ってください」からこの時間まで、気の休まる暇もなく動き続けることになった。さすがに、疲労が濃い。

 目裏にこの指令を下したガウェインの面影を描きながら、ジュディはごろんと寝返りを打って仰向けになる。天蓋に描かれた理想郷《アルカディア》の絵図をぼんやりと見上げた。

(宰相閣下は、話しぶりは柔らかくて優しいのに、手段を選ばないし強引よね……。やると決めたことは絶対やるタイプ。あの方が、思いつきでこんな無茶な計画を敢行するわけがないし、受け入れ側の公爵閣下も何も知らないわけがないわ。何か、この時期王都から殿下を遠ざけておきたい計画でも……? 殿下がいまのところ大人しくしているのも気になる)

 ひだまりの匂いがしそうな、枯れ草色の髪。眼鏡の奥で朴訥そうに笑う瞳。
 ガウェイン・ジュールは、見た目通りの優男ではなく、絶対に裏がある人物だと確信できるのに、その言動には信念や誠実さが漂う。協力を乞われれば、ぜひ彼の力になりたいと思ってしまう魅力があるのだ。
 もっとも、ジュディはそれを「恋」とは考えていなかった。たとえば行き場がなく途方に暮れていたメイドが、お屋敷に雇い入れられたときに主人に抱く忠誠心のようなものと信じていた。

 今回、こんな無茶振りに対応できたのは、ジュディには普段からいつも、旅支度をしている習慣があったからである。
 結婚から離婚までの期間、自由に出歩くのを許されていたため、三日分程度の衣類や必要品をあらかじめ鞄に詰めておいて、予定が立てばぱっと旅行に出ることもあったのだ。
 そのフットワークの軽さは今も健在。
 ガウェインは、ジュディのそういった適性もよく把握していて、使い所を正しく心得ているらしい。
 それが、ジュディがガウェインに好感を持っている理由でもある。

(もし私が未婚のご令嬢なら、王子殿下と旅と聞いただけで「私もついにロイヤルファミリーの仲間入り」と全方位覚悟を決めて仰々しい出立になるところだけど……、離婚出戻りの身分ってそのへんが身軽で便利よね)

 ジュディは、そういった配慮を必要としていない。少なくとも、本人にそのつもりがなく、周囲にも深読みや詮索をしてほしくないと願っている。

 もはや結婚によってそれ以前と以後に分けられる少女時代はとうに終わりを告げていて、ただいま自由なセカンドライフを満喫中なのだ。何が悲しくてここからまた、面倒な男女関係や我が身を切り売りするような婚姻関係に頭を悩ませねばならないのだ、と心の底から思っているのである。

 幸いにも、ジュディのその心意気はフィリップスにもステファンにもよく伝わっているようで、男女三人でこれだけの時間を過ごしても、徹頭徹尾清々しいまでに仕事の話題しかなかった。望む所である。
 解散前にも、明日の起床時間や、日中のスケジュールの確認だけの会話をして各自の部屋へと向かった。フィリップスとステファンは、ひとまず贅沢な広さの一室で、同室らしい。護衛と監視も兼ねているのだろう。まさかここから脱走はしないと思うが、フィリップスには油断ならないところがある。

 安全面では、鉄道で特別車両であったことを除けば、王子殿下の旅行とは思えないほどすべて簡略化されているが、ジュディは特に心配はしていなかった。
 宿泊場所は、この国では王宮以外でただひとつ、パレスの名を持つ城。当主の賓客扱いである以上、フィリップスをはじめ、ジュディやステファンにもしものことがあったら、それはラングフォード公爵の体面に関わってくる。

 一見気安く振る舞うヘンリーだが、決して見た目通りの「愛想の良いおじさん」ではないと思い知ったジュディとしては、ここは王宮並みに安全な場所であるとすでに確信をしていた。もしかしたら、王宮以上なのかもしれない。
 だとすれば、気にかけるべきはフィリップス自身の行動だろう。彼は何をするかわからない。もしかすると、ガウェインは逆に「何かをさせたい」のかもしれない。

 結局のところ、ジュディが預かり知らぬとはいえ、ガウェインには何か策略がある。だが彼は、みだりに他人を危険に陥れるひとではないだろう、とジュディは素朴に信じていた。
 なにしろ、一度直に助けられたこともあるのだ。あのパブでの一件を思い出すと、ジュディの胸の中はほのかに温かくなり、勇気が湧いてくる。

「さて。明日も予定は盛り沢山、と。近隣の皆様を招いたティーガーデンイベントに、夜間は宿泊客の受け入れ。私たちはその対応で、昨今の貴族のアトラクションとしてのお屋敷経営を学ぶ、と。よし、今日のところは寝ましょう」

 わからないことを思い悩んでも仕方ない、疲れを残さないのが大切。
 ジュディは勢いよく立ち上がって、寝支度を開始した。


 * * *


 翌朝。
 着替えの手持ちはあるものの、足りないものは現地調達するとして、ジュディは屋敷の家政婦《ハウスキーパー》から仕事着のお仕着せを借りて身に着け、ティーガーデンの打ち合わせに臨んでいた。

 広大なマクテブルク・パレスの庭園の一角で開催されるティーガーデンは、そのために建てたティーハウスという別館を中心に開催される。
 イベントの間は楽団の演奏があり、ダンスパーティーも開催され、暗くなってからは花火まで予定されているという。
 家令によると、すでに屋敷から大部分の手勢がそちらに向かい、準備にあたっている、とのこと。フィリップスやステファンと説明を聞いていると、家令はさらに、参加者名簿を広げながら提示してきた。

「こちらが本日のゲストです。殿下のことは殿下と呼ばず、いち使用人のように振る舞って頂くとはうかがっておりますが……。中には殿下のお顔をご存知の方ゲストもいらっしゃるのでは?」

 公爵邸を一般向けに解放するとはいえ、いまのところ出入りするのは貴族が中心なのだろう。ジュディも一緒にその名簿を覗き込んだ。
 そこに見知った文字列を見かけて、息を止めた。

 ヒースコート・アリンガム子爵 ご夫妻

「手伝って頂く以上、皆様にはラングフォード公爵家の使用人として、ゲストの皆様から見て恥ずかしくない振る舞いをして頂く必要があります」

 家令の声を遠くに聞きながら、ジュディは言葉もなく手のひらで額をおさえた。

(元夫と、再婚した現奥様!!)

 鉢合わせをしたら、どんな顔で挨拶をすれば良いのか。早くも頭痛を覚えているジュディの様子にちらりと目をくれて、家令は謹厳実直そうな態度で念押しをした。

「くれぐれも粗相のないようにお願い致します」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜

涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください 「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」 呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。 その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。 希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。 アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。 自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。 そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。 アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が…… 切ない→ハッピーエンドです ※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています 後日談追加しました

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

いつまでも甘くないから

朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。 結婚を前提として紹介であることは明白だった。 しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。 この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。 目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・ 二人は正反対の反応をした。

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

処理中です...