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第二章
心臓にくる
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(なんだかすごく……、愛の告白みたいなことを言われてしまったわ)
向けられる金色の瞳は熱っぽく、迂闊に逸らせないまま、見つめ合う。あの宰相閣下が、こんな目をすることもあるなんて、とジュディはひそかに動揺しきりである。
実は元夫であるヒースコートとも、あれほど近い距離で向き合ったのは結婚式以来という体《てい》たらく、ジュディは男性と接近した経験がほぼ無い。
加えて、常々感じていたことだが、ガウェインはジュディに対して過剰に入れ込んでいる節があり、言動の端々が甘い。
気を抜くと、まるで女性として必要とされているかのように錯覚しそうになる。
しかし、ジュディはかつての嫁ぎ先で女性としてまったく見向きもされず、夫であるヒースコートに無下にあしらわれてきた記憶が根強い。しかも今になってまた、美しいユーニスと比べられて、価値なきもののように言われたばかりだ。
あのヒースコートにここまで雑に扱われる残念な自分が、よもやガウェインのような相手に愛されるなどとは、露ほども考えていない。
従って、「宰相閣下は部下に手厚い」という感想に落ち着く。
それは「こんなに良い上司に恵まれて幸せです」という結論まで一直線であった。
ジュディは、しみじみとした口調で呟いた。
「とても心強いです、ありがとうございます。私も、目の前で落ち込んでいるひとがいたら、そのくらいの熱心さを持って励ましを口にしたいと思います。閣下のように、ひとに勇気を与える存在に憧れます」
難しい言葉は何一つなかったはずなのに、ガウェインは真顔のまま考え込むようにして固まってしまった。
風が吹き、枯れ草色の前髪がふんわりとなびく。
普段から無骨な眼鏡を顔にのせて飾り気無く振る舞う彼だが、こうして不意に素に近い表情を見てしまうと、心臓が締め付けられるほど美しい顔立ちをしていることに気づく。
ステファンのような水も滴る華やかな美形とはまた違い、乾いたひだまりの暖かさを思わせる、静謐に満ちた美しさだ。口に出して褒め称えるにはいささか場違いで、ただ黙って見つめることしかできなくなる。
声を出すのも憚られる空気の中、気の利いた言葉のひとつも出てこないジュディに対し、ガウェインが静かな口ぶりで告げた。
「あなたはもう少し、他人を疑う気持ちを持ったほうが良いのでは?」
「疑う、ですか?」
思いがけぬほど、ひやりとした言葉の響き。
間違いを指摘されたような居心地の悪さを感じて、ジュディは喉を詰まらせながら聞き返した。
ガウェインは目を細め、表情らしい表情もなく、温度の失せた声で答えた。
「憧れと言いましたか。理解に苦しみます。俺は必要とあらば他人を手駒のように扱い、欺き、ときには出し抜くことも顔色を変えずにやることでしょう。今日のことだって、あなたを疑い、試すような真似をしました。あなたは怒るべきであって、俺を」
そこで、不意にぷつんと言葉が途切れる。
あまりにもそれは早口で、彼らしくもなく、ジュディはひとまず聞き逃さぬよう真剣に目を見て耳を傾けていたのだ。それだけのことで、ガウェインの心が先に折れた。言葉を失うほどに。ジュディは、まざまざとそれを感じた。
軽く小首を傾げ、ジュディは確認の意味で尋ねる。
「閣下は、私に怒られたかったんですか? ひどいことをしたから? つまり私はここで、閣下に対して『騙し討ちなんてひどい! あんな目に遭わせるなんて許せない! 全力で償って頂かないと割に合わない! どうしてくれるんですか!?』と、声の限りに批難し、謝罪を要求したほうが良いんですか? それが閣下の望みということで、間違いありませんか?」
ガウェインは眉を寄せ、重々しく頷いた。
「自分がすごく馬鹿か、特殊性癖の持ち主のような気がしてきたが、そうだな。すごい馬鹿の方で。俺の言ったことに関しては、その解釈が妥当です」
謎のこだわりと共に同意を得られたものの、馬鹿呼ばわりをするつもりなどなかったジュディは焦って続きを口にした。
「こんなことでそこまで動揺するなんて、それこそ閣下らしくありませんっ。冷酷非道ぶりたいなら、もっと完璧に演じてくださればいいものを。どっちつかずの弱々しい姿を見せられては、私だって困ります」
言い終えてから、間違えた、と気付いた。
決して、喧嘩を売りたいわけではなかったのに。これではあまりにも感じが悪い。ガウェインに何か言われる前に、ジュディはさらに言い募る。
「つまり、私は怒ってませんし、今日のことはそれこそ私の身の潔白を証明するために必要な作戦だったと理解しています。以前は婚姻関係にあったヒースコートと私の仲があそこまで悪いとは閣下は知らなかったわけですし、大事になる前に助けてくれました。この話は、それで終わりじゃないんですか? いつまでも後悔引きずった顔をされていても、私はどうすれば良いんですか。馬鹿って言えば良いんですか?」
ガウェインはジュディの目を真剣に見つめ、こくりと唾を飲み込んだ。
「決して罵られるのが好きなわけではないし、その過程で君の気が晴れるわけでもないことはよくわかったので、その必要はない。頭の固い俺に、わかりやすく話してくれたことに、感謝する。君の考えが知れて良かった。ありがとう」
謙虚に礼まで言われてしまい、言い過ぎを謝罪するつもりであったジュディはかえって慌てて「こちらこそ!」と勢いよく言った。
「もう十分です。私は、殿下の教育係に抜擢して頂いたことに感謝しています。このくらいの危険は、あっても当然かと。怪我をする前にきちんと守ってくださった閣下を責めるつもりはありませんし、感謝しているのも本当です。強情張ってないで、受け入れて頂けませんか? 私はあなたを尊敬し、憧れている。それは否定が必要なほどいけないことですか?」
また言い過ぎたかもしれない、と思いつつもジュディは言い切ったまま返答を待った。
ふ、とガウェインは小さく吐息をして、頷いた。
「わかった。君の尊敬と憧れを裏切らぬよう、これからも俺は俺なりに仕事に邁進する。過分な褒め言葉を、ありがとう。一生の糧とする」
「大げさですよ」
「そう? そういうときは、遠慮なく言っていいですよ、馬鹿と」
「まさか」
くす、とガウェインが笑みをもらしたことで、ジュデイはからかわれたと気づく。
(たしかに私は言いすぎましたけど、元気になった途端やり返すなんて)
毒気のない笑みを見ていると、意趣返しのひとつもしたくなってくる。ジュディは顔を逸らして、聞こえるか聞こえないかの小声で呟いてみた。馬鹿、と。
そして、顔を上げて何事もなかったように言った。
「さて。その服装、閣下も潜入がてら何かお仕事なさっていたのでは? いつまでもここでサボっているわけにはいきません。早く行きましょう!」
「はい」
ジュディの呟きは聞こえていなかったのか、ガウェインは完璧な笑顔で簡潔な返事をしてきた。
いつもと変わらぬその態度にほっとして、ジュデイは背を向け、先に歩き出す。
その背後で。
胸にそっと手をあてたガウェインが、微笑を浮かべたままひとり呟いた。
「……いまの、かなりくるな」
その声は、ジュディには届かなかった。
向けられる金色の瞳は熱っぽく、迂闊に逸らせないまま、見つめ合う。あの宰相閣下が、こんな目をすることもあるなんて、とジュディはひそかに動揺しきりである。
実は元夫であるヒースコートとも、あれほど近い距離で向き合ったのは結婚式以来という体《てい》たらく、ジュディは男性と接近した経験がほぼ無い。
加えて、常々感じていたことだが、ガウェインはジュディに対して過剰に入れ込んでいる節があり、言動の端々が甘い。
気を抜くと、まるで女性として必要とされているかのように錯覚しそうになる。
しかし、ジュディはかつての嫁ぎ先で女性としてまったく見向きもされず、夫であるヒースコートに無下にあしらわれてきた記憶が根強い。しかも今になってまた、美しいユーニスと比べられて、価値なきもののように言われたばかりだ。
あのヒースコートにここまで雑に扱われる残念な自分が、よもやガウェインのような相手に愛されるなどとは、露ほども考えていない。
従って、「宰相閣下は部下に手厚い」という感想に落ち着く。
それは「こんなに良い上司に恵まれて幸せです」という結論まで一直線であった。
ジュディは、しみじみとした口調で呟いた。
「とても心強いです、ありがとうございます。私も、目の前で落ち込んでいるひとがいたら、そのくらいの熱心さを持って励ましを口にしたいと思います。閣下のように、ひとに勇気を与える存在に憧れます」
難しい言葉は何一つなかったはずなのに、ガウェインは真顔のまま考え込むようにして固まってしまった。
風が吹き、枯れ草色の前髪がふんわりとなびく。
普段から無骨な眼鏡を顔にのせて飾り気無く振る舞う彼だが、こうして不意に素に近い表情を見てしまうと、心臓が締め付けられるほど美しい顔立ちをしていることに気づく。
ステファンのような水も滴る華やかな美形とはまた違い、乾いたひだまりの暖かさを思わせる、静謐に満ちた美しさだ。口に出して褒め称えるにはいささか場違いで、ただ黙って見つめることしかできなくなる。
声を出すのも憚られる空気の中、気の利いた言葉のひとつも出てこないジュディに対し、ガウェインが静かな口ぶりで告げた。
「あなたはもう少し、他人を疑う気持ちを持ったほうが良いのでは?」
「疑う、ですか?」
思いがけぬほど、ひやりとした言葉の響き。
間違いを指摘されたような居心地の悪さを感じて、ジュディは喉を詰まらせながら聞き返した。
ガウェインは目を細め、表情らしい表情もなく、温度の失せた声で答えた。
「憧れと言いましたか。理解に苦しみます。俺は必要とあらば他人を手駒のように扱い、欺き、ときには出し抜くことも顔色を変えずにやることでしょう。今日のことだって、あなたを疑い、試すような真似をしました。あなたは怒るべきであって、俺を」
そこで、不意にぷつんと言葉が途切れる。
あまりにもそれは早口で、彼らしくもなく、ジュディはひとまず聞き逃さぬよう真剣に目を見て耳を傾けていたのだ。それだけのことで、ガウェインの心が先に折れた。言葉を失うほどに。ジュディは、まざまざとそれを感じた。
軽く小首を傾げ、ジュディは確認の意味で尋ねる。
「閣下は、私に怒られたかったんですか? ひどいことをしたから? つまり私はここで、閣下に対して『騙し討ちなんてひどい! あんな目に遭わせるなんて許せない! 全力で償って頂かないと割に合わない! どうしてくれるんですか!?』と、声の限りに批難し、謝罪を要求したほうが良いんですか? それが閣下の望みということで、間違いありませんか?」
ガウェインは眉を寄せ、重々しく頷いた。
「自分がすごく馬鹿か、特殊性癖の持ち主のような気がしてきたが、そうだな。すごい馬鹿の方で。俺の言ったことに関しては、その解釈が妥当です」
謎のこだわりと共に同意を得られたものの、馬鹿呼ばわりをするつもりなどなかったジュディは焦って続きを口にした。
「こんなことでそこまで動揺するなんて、それこそ閣下らしくありませんっ。冷酷非道ぶりたいなら、もっと完璧に演じてくださればいいものを。どっちつかずの弱々しい姿を見せられては、私だって困ります」
言い終えてから、間違えた、と気付いた。
決して、喧嘩を売りたいわけではなかったのに。これではあまりにも感じが悪い。ガウェインに何か言われる前に、ジュディはさらに言い募る。
「つまり、私は怒ってませんし、今日のことはそれこそ私の身の潔白を証明するために必要な作戦だったと理解しています。以前は婚姻関係にあったヒースコートと私の仲があそこまで悪いとは閣下は知らなかったわけですし、大事になる前に助けてくれました。この話は、それで終わりじゃないんですか? いつまでも後悔引きずった顔をされていても、私はどうすれば良いんですか。馬鹿って言えば良いんですか?」
ガウェインはジュディの目を真剣に見つめ、こくりと唾を飲み込んだ。
「決して罵られるのが好きなわけではないし、その過程で君の気が晴れるわけでもないことはよくわかったので、その必要はない。頭の固い俺に、わかりやすく話してくれたことに、感謝する。君の考えが知れて良かった。ありがとう」
謙虚に礼まで言われてしまい、言い過ぎを謝罪するつもりであったジュディはかえって慌てて「こちらこそ!」と勢いよく言った。
「もう十分です。私は、殿下の教育係に抜擢して頂いたことに感謝しています。このくらいの危険は、あっても当然かと。怪我をする前にきちんと守ってくださった閣下を責めるつもりはありませんし、感謝しているのも本当です。強情張ってないで、受け入れて頂けませんか? 私はあなたを尊敬し、憧れている。それは否定が必要なほどいけないことですか?」
また言い過ぎたかもしれない、と思いつつもジュディは言い切ったまま返答を待った。
ふ、とガウェインは小さく吐息をして、頷いた。
「わかった。君の尊敬と憧れを裏切らぬよう、これからも俺は俺なりに仕事に邁進する。過分な褒め言葉を、ありがとう。一生の糧とする」
「大げさですよ」
「そう? そういうときは、遠慮なく言っていいですよ、馬鹿と」
「まさか」
くす、とガウェインが笑みをもらしたことで、ジュデイはからかわれたと気づく。
(たしかに私は言いすぎましたけど、元気になった途端やり返すなんて)
毒気のない笑みを見ていると、意趣返しのひとつもしたくなってくる。ジュディは顔を逸らして、聞こえるか聞こえないかの小声で呟いてみた。馬鹿、と。
そして、顔を上げて何事もなかったように言った。
「さて。その服装、閣下も潜入がてら何かお仕事なさっていたのでは? いつまでもここでサボっているわけにはいきません。早く行きましょう!」
「はい」
ジュディの呟きは聞こえていなかったのか、ガウェインは完璧な笑顔で簡潔な返事をしてきた。
いつもと変わらぬその態度にほっとして、ジュデイは背を向け、先に歩き出す。
その背後で。
胸にそっと手をあてたガウェインが、微笑を浮かべたままひとり呟いた。
「……いまの、かなりくるな」
その声は、ジュディには届かなかった。
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