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第二章
手を尽くして
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「冷たいわ」
ティーカップに口をつけた招待客の女性が、悲鳴を上げた。
事前に「冷たいですよ」と一言添えられていても、信じられないといった表情である。カップを取り落とすことこそなかったが、そのまま二口目とはいかぬようであった。
「お茶を氷で冷やしてございます。暑くなってきましたからね、体温を下げるのにちょうど良い。健康的な飲み物ですよ」
給仕にあたっていたステファンは、笑顔でその効用を強調して伝えるも、相手は着飾った初老の女性であり「なんだか気味の悪いものを飲ませられたわ」とばかりに顔を歪めている。
こういった表情をしたときの貴族女性の底意地の悪さを、ステファンはよく知っている。認めないと決め込んだことに関しては、徹底的に拒絶と否定を貫き、些細なことでも嫌味を言い、嘲笑する。
(冷めたお茶ならただの不手際と変わらないから、いっそ冷やしてしまえと公爵閣下が氷を使わせてくれたが……この国の人間は、冷たい飲み物を好まない。特にこの年齢層であれば)
最近では氷貿易が好調なことから、王都の下町でも氷が使えるようになり、外国人コミュニティを中心として冷たく冷やしたビールやアイスクリームが流行となりつつある。
ステファンもいくつか口にしたことがあり、当初は覚えのない刺激に体に害があるのではと危ぶんだが、慣れてしまえば美味だと関心するようになっていた。
それでも、お茶を冷やすという発想はなかった。
熱いのが当然で、冷めたものを主人や客人に出すに至ってはただの不手際でしかないお茶を、冷たい状態で提供しよう、とは。
「古式ゆかしいティーガーデンイベントと聞いて、楽しみにしていたのだけれど。まさか、冷たいお茶だなんて。公爵様の変わったもの好きは有名とはいえ、これはあまりにも……」
いまにも「ごめんなさいね」と笑顔でカップを返してきそうな気配があり、ステファンもこれ以上のゴリ押しは機嫌を損ねるだけかと諦めかけた。
そのとき、風が横をすり抜けた。
「さすがですわ、ハーデン子爵夫人。本日アイスティーをお召し上がりになられたのは、ハーデン子爵婦人がはじめてではないでしょうか。流行に敏感で、いつもファッションに新しいものを取り入れていらっしゃるのは王都でも有名ですけれど、食の分野でも別け隔てなく挑戦されるお姿に、とても勇気を頂きました」
なめらかな口上で先制攻撃を仕掛けたのは、ステファンもよく知る妙齢の女性。
ローズピンクの絹タフタのドレスを身に着け、にこにことした笑みを浮かべている。立ち襟がほっそりとした首を彩り、扇を手にした袖口にも美しいフリルがあしらわれた、控えめながらも目を引く意匠のドレスをよく着こなしていた。
(いつの間に?)
ステファンは、ユーニスを休憩用の部屋に運び、何くれと秋波を送ってくる気配を感じつつも、ほどほどに言いくるめて現場に戻って来ていた。そこから、公爵が氷を使うように指示を出しているのを確認しつつ、顔色の悪いヒースコートを見つけて声をかけてユーニスの元まで案内をしてきた。その後、キッチンに顔を出してアイスティーを受け取ってきた流れだ。それほど長い時間のことではない。
ジュディはその間に、客のフリをして招待客に潜り込むべく、着替えを済ませてきたらしい。
急いできたのか、編み込んだ髪をどこかにひっかけたらしく、後ろ姿はどこか落ち着かなく乱れている。
そんな隙だらけで出てきても、逆効果だぞ、という忠告をステファンは飲み込んだ。ひとまず無関係を装う場面であり、彼女が成功しようが失敗しようが、自分の関与することではない、と。
「あらあなたは……」
ハーデン子爵夫人は曖昧に語尾を濁して、ジュディが名乗るように仕向けていた。
まったく気を悪くした様子もなく、ジュディは朗らかに答える。
「リンゼイ家の娘です。父がお世話になっております。ハーデン子爵には何かと事業の相談にも乗って頂いているようで」
そこで、ジュディの素性に気づいたらしく、相手の反応ががらりと変わった。
「ま~、お父様にはよくして頂いているわ。私も主人もお礼を言っていたと、伝えてくださる? お嬢様はとても才気煥発《さいきかんぱつ》とうかがっていたけれど、あなただったのね。少し社交界には縁遠くなっていたみたいだけれど、そろそろ復帰ということかしら?」
縁遠くなっていたとはつまり、顔を見せることがなかったという指摘だが、その理由は結婚からの離婚のせいである。話を振られた時点で、ジュディはそこに込められた意味は正確に読み取っていただろうが、夫人の目をまっすぐに見たまま、瞳を輝かせて「はい」と返事をした。
「不慣れでわからないことも多く、皆様に助けて頂くことも多いかと。信頼できる先達の名を父から教えられていて、本当に良かったです。これからどうぞよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
海千山千の、年上貴族女性を前に一歩も引かず。詮索めいた言葉を投げかけられても、笑顔を絶やさず。
(父親の名前頼りなところだけ、少し減点するにしても……。社交が苦手には見えないな。結婚期間中ろくに出てこなかったのは、この利発さを夫に警戒されて、制限されていたって線か。だとすると、元夫といまもつながっていて、その利益のために動いているというのは、やはり考えにくいか?)
ジュディの挙動に対し、常に疑いの目を向けていたステファンはここで、再考をする。この性格は、元夫の再婚相手でもあるユーニスとは、おそらく合わない。
派手な見た目ゆえ、女性からの誘いも多いステファンは、自分の世渡りはそれなりと自負している。それでも、直に接したユーニスからは濃厚な危険を感じた。迂闊に近づけば無事では済まないであろう毒婦の吐息が、離れてからも肌に絡みついているような不快感がある。
「どうも、喉が乾いてしまって。これが噂のアイスティーね。頂くわ」
夫人と話しながら、ジュディがステファンの持つ盆に腕を伸ばしてきて、カップを手にした。お茶を一口飲んで、「こんなに冷たいの!?」と目を丸くする。
(なんだその名演技)
よほど茶々を入れてやろうかと思ったステファンであったが、ここは知らぬ存ぜぬの間柄と心得て、笑顔で答える。
「氷で冷やしてございます。名前は、アイスティーと。甘みを加えたり、フルーツを浮かべてもきっと合いますよ。流行りそうだと思いませんか?」
わざとらしく顔をのぞきこむと、ジュディは「ええ!」と力強い返事をくれた。
「喉がすーっとして、びっくりするくらい爽快。こんなの初めてです。さすが公爵様だわ、私、感動してしまいました。お目にかかることがあったら、ぜひともお礼を。王都でもまだ誰も飲んだことがないお茶を、こうして限られた面々とはいえ披露なさってくださるなんて。パレスのもてなしは王国随一ですわ」
次から次へと飛び出てくる讃辞に、ステファンは笑いを噛み殺して頷いてみせる。
ハーデン子爵夫人はといえば、いかにも何か言いたげに大きく目を見開いていたが、ジュディは苦言を差し挟む隙すら与えなかった。
「こんなに素敵なお茶があるなんて、今日この場に来られて良かったですわ! 夫人ともこうしてお話しすることができましたし。ありがとうございます。父には必ず、ここで夫人に親切にして頂いたことをお伝えさせて頂きますわ。このアイスティーの土産話とともに。父も新しいもの好きですので、飛びつくと思います」
決して早口ではないが、淀みなく愛想よく言い切って、可憐に微笑む。夫人は、何やら達観したように頷いた。
「そうなさると良いでしょう。あなたのお父様は、たしかに洒落者で流行にもお強い方ですからね。私も、お父様とお話しする際に感想をよくお伝えしたいと思います。ここで味わったアイスティーの」
それから二、三言話しをして「それでは」とジュディは会話を切り上げた。そのまま、次の標的を目で探しているのを見て、ステファンは聞えよがしなため息をつく。
「後ろ、髪ボサボサですよ。もう少しどうにかならなかったんですか?」
「えっ!?」
慌てながら片手で後ろ髪をおさえる仕草は、まぎれもなく動揺している。まったくどうして、さきほどの狸っぷりとはかけ離れた脇の甘さだ。
「お茶、こぼします。飲んでしまってください。猫舌でもそれなら大丈夫ですよね」
「そんなこと覚えていなくても……」
弱点を言い当てられたかのように渋い顔をして、ジュディはカップのアイスティーを飲み干す。そして、独り言のように呟いた。
「本当に美味しい。絶対流行ってほしい。熱いお茶は辛いのよ」
「猫舌」
「もういいでしょう、それは。あなただってこの件は同意していましたよね。夏はアイスティーですよ、間違いないわ。……どうしました? 私の髪がそんなに気になりますか?」
首を傾げたジュディに尋ねられて、ステファンは自分がジュディを凝視していたことに気づいた。
(表情がどんどん変わるから、つい……)
責められたわけでもないのに、急所を突かれたような痛みを覚えてステファンはふいっと視線を逸らす。そっぽを向いたまま、どこか八つ当たりのようにきつい口調で確認事項を口にする。
「そうですね。元夫との逢瀬のあとにその髪ではさすがに気になります。会ったんですよね?」
返事がなかった。何気なく確認すると、ジュディは顔色を失って、ステファンを見上げたまま固まっていた。唇が、かすかに震えている。
まずい反応だ、とすぐに直感した。
「ごめんなさい。謝ります。いまのは俺が悪かった」
取り繕うこともできないほどに、素が出た。
ジュディは唇を噛み締め、いいえ、と小さく首を振る。
「それは、宰相閣下からも謝罪を頂きまして、もう良いんです。それに、宰相閣下が間に合ったので、何もありませんでしたから」
肝心の「何が起きたのか」については限りなく遠回しな表現であったが、不愉快な内容であることは聞かずともわかる。
(間に合った? 本当だな、ガウェイン。間に合わなかったなら、洒落《シャレ》にならないからな。彼女を疑い、敢えてアリンガム子爵と接触させるように仕向けたのは俺だ。それで何かあったなら)
心臓が、いやな強さでばくばくと脈打っている。ジュディの言う「何もなかった」という言葉の真偽を確かめたくて、俯く顔から視線を逸らせない。
長い睫毛が、なめらかな肌に落とす影。そんな表情もまた、彼女を美しく見せるのかと、暗い気持ちに胸がかき乱される。
「ガウェインが間に合ったというのなら、わかりました。それ以上のことは聞きません」
「あの、宰相閣下にも聞かないでくださいね? 閣下も、落ち込んでらして」
即座に言い返されて、ステファンは思い切り顔をしかめた。
「あいつは落ち込めばいい。それは俺の知ったことじゃない。先生もあいつのことをかばう必要はない。せいぜい思い切り責め立てて、高価な宝石でもねだればいいですよ。城ひとつ買えるくらいの」
「な、なぜです? そんなの買ってもらう理由がありません!」
「理由ならいくらでもあります。まずあの男が女性を特別に気にかけている。これが異常でなくてなんだと言うんですか。異常事態を引き起こした先生は、その責任を取ってあいつの真意を確認する必要があります。あいつが喜んで城ひとつ分の首飾りを買ったらもう手遅れ。そこに指輪でもついてこようものなら、もう逃げられない。先生の命運はそこで尽きる」
「なんの脅しですか!!」
食ってかかられたが、ステファン自身、自分が何を言っているのかよくわかっていない。
しいて言えばこれは、友人であるガウェインの不甲斐なさと奥手さと不器用さに対しての盛大な嫌味である。言う相手を間違えていることは否めない。まったくもってジュディには気の毒なことをしている。自分が悪い。
強引に、話を戻した。
「さておき、リンゼイ先生。まさか自らアイスティー工作要員を買って出るとは。助かりました。ドレスの早着替えご苦労さまです」
棒読みで礼を言うと、話題が変わったことに安心をしたのか、ジュディがぱっと顔を輝かせて見上げてくる。
「これは、宰相閣下の発案です! アイスティーどうしましょうという話になり、着替えて紛れ込んで盛り上げてきてください、とドレスを用立ててくださいまして。宰相閣下ご自身も……」
そう言ったジュディの視線が、ふっと集まった人々の間をすり抜け、遠くに向けられる。
空気の流れが違う。
そこには、ひとびとに囲まれて、正装で微笑む宰相ガウェイン・ジュールの姿があった。
ティーカップに口をつけた招待客の女性が、悲鳴を上げた。
事前に「冷たいですよ」と一言添えられていても、信じられないといった表情である。カップを取り落とすことこそなかったが、そのまま二口目とはいかぬようであった。
「お茶を氷で冷やしてございます。暑くなってきましたからね、体温を下げるのにちょうど良い。健康的な飲み物ですよ」
給仕にあたっていたステファンは、笑顔でその効用を強調して伝えるも、相手は着飾った初老の女性であり「なんだか気味の悪いものを飲ませられたわ」とばかりに顔を歪めている。
こういった表情をしたときの貴族女性の底意地の悪さを、ステファンはよく知っている。認めないと決め込んだことに関しては、徹底的に拒絶と否定を貫き、些細なことでも嫌味を言い、嘲笑する。
(冷めたお茶ならただの不手際と変わらないから、いっそ冷やしてしまえと公爵閣下が氷を使わせてくれたが……この国の人間は、冷たい飲み物を好まない。特にこの年齢層であれば)
最近では氷貿易が好調なことから、王都の下町でも氷が使えるようになり、外国人コミュニティを中心として冷たく冷やしたビールやアイスクリームが流行となりつつある。
ステファンもいくつか口にしたことがあり、当初は覚えのない刺激に体に害があるのではと危ぶんだが、慣れてしまえば美味だと関心するようになっていた。
それでも、お茶を冷やすという発想はなかった。
熱いのが当然で、冷めたものを主人や客人に出すに至ってはただの不手際でしかないお茶を、冷たい状態で提供しよう、とは。
「古式ゆかしいティーガーデンイベントと聞いて、楽しみにしていたのだけれど。まさか、冷たいお茶だなんて。公爵様の変わったもの好きは有名とはいえ、これはあまりにも……」
いまにも「ごめんなさいね」と笑顔でカップを返してきそうな気配があり、ステファンもこれ以上のゴリ押しは機嫌を損ねるだけかと諦めかけた。
そのとき、風が横をすり抜けた。
「さすがですわ、ハーデン子爵夫人。本日アイスティーをお召し上がりになられたのは、ハーデン子爵婦人がはじめてではないでしょうか。流行に敏感で、いつもファッションに新しいものを取り入れていらっしゃるのは王都でも有名ですけれど、食の分野でも別け隔てなく挑戦されるお姿に、とても勇気を頂きました」
なめらかな口上で先制攻撃を仕掛けたのは、ステファンもよく知る妙齢の女性。
ローズピンクの絹タフタのドレスを身に着け、にこにことした笑みを浮かべている。立ち襟がほっそりとした首を彩り、扇を手にした袖口にも美しいフリルがあしらわれた、控えめながらも目を引く意匠のドレスをよく着こなしていた。
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ジュディはその間に、客のフリをして招待客に潜り込むべく、着替えを済ませてきたらしい。
急いできたのか、編み込んだ髪をどこかにひっかけたらしく、後ろ姿はどこか落ち着かなく乱れている。
そんな隙だらけで出てきても、逆効果だぞ、という忠告をステファンは飲み込んだ。ひとまず無関係を装う場面であり、彼女が成功しようが失敗しようが、自分の関与することではない、と。
「あらあなたは……」
ハーデン子爵夫人は曖昧に語尾を濁して、ジュディが名乗るように仕向けていた。
まったく気を悪くした様子もなく、ジュディは朗らかに答える。
「リンゼイ家の娘です。父がお世話になっております。ハーデン子爵には何かと事業の相談にも乗って頂いているようで」
そこで、ジュディの素性に気づいたらしく、相手の反応ががらりと変わった。
「ま~、お父様にはよくして頂いているわ。私も主人もお礼を言っていたと、伝えてくださる? お嬢様はとても才気煥発《さいきかんぱつ》とうかがっていたけれど、あなただったのね。少し社交界には縁遠くなっていたみたいだけれど、そろそろ復帰ということかしら?」
縁遠くなっていたとはつまり、顔を見せることがなかったという指摘だが、その理由は結婚からの離婚のせいである。話を振られた時点で、ジュディはそこに込められた意味は正確に読み取っていただろうが、夫人の目をまっすぐに見たまま、瞳を輝かせて「はい」と返事をした。
「不慣れでわからないことも多く、皆様に助けて頂くことも多いかと。信頼できる先達の名を父から教えられていて、本当に良かったです。これからどうぞよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
海千山千の、年上貴族女性を前に一歩も引かず。詮索めいた言葉を投げかけられても、笑顔を絶やさず。
(父親の名前頼りなところだけ、少し減点するにしても……。社交が苦手には見えないな。結婚期間中ろくに出てこなかったのは、この利発さを夫に警戒されて、制限されていたって線か。だとすると、元夫といまもつながっていて、その利益のために動いているというのは、やはり考えにくいか?)
ジュディの挙動に対し、常に疑いの目を向けていたステファンはここで、再考をする。この性格は、元夫の再婚相手でもあるユーニスとは、おそらく合わない。
派手な見た目ゆえ、女性からの誘いも多いステファンは、自分の世渡りはそれなりと自負している。それでも、直に接したユーニスからは濃厚な危険を感じた。迂闊に近づけば無事では済まないであろう毒婦の吐息が、離れてからも肌に絡みついているような不快感がある。
「どうも、喉が乾いてしまって。これが噂のアイスティーね。頂くわ」
夫人と話しながら、ジュディがステファンの持つ盆に腕を伸ばしてきて、カップを手にした。お茶を一口飲んで、「こんなに冷たいの!?」と目を丸くする。
(なんだその名演技)
よほど茶々を入れてやろうかと思ったステファンであったが、ここは知らぬ存ぜぬの間柄と心得て、笑顔で答える。
「氷で冷やしてございます。名前は、アイスティーと。甘みを加えたり、フルーツを浮かべてもきっと合いますよ。流行りそうだと思いませんか?」
わざとらしく顔をのぞきこむと、ジュディは「ええ!」と力強い返事をくれた。
「喉がすーっとして、びっくりするくらい爽快。こんなの初めてです。さすが公爵様だわ、私、感動してしまいました。お目にかかることがあったら、ぜひともお礼を。王都でもまだ誰も飲んだことがないお茶を、こうして限られた面々とはいえ披露なさってくださるなんて。パレスのもてなしは王国随一ですわ」
次から次へと飛び出てくる讃辞に、ステファンは笑いを噛み殺して頷いてみせる。
ハーデン子爵夫人はといえば、いかにも何か言いたげに大きく目を見開いていたが、ジュディは苦言を差し挟む隙すら与えなかった。
「こんなに素敵なお茶があるなんて、今日この場に来られて良かったですわ! 夫人ともこうしてお話しすることができましたし。ありがとうございます。父には必ず、ここで夫人に親切にして頂いたことをお伝えさせて頂きますわ。このアイスティーの土産話とともに。父も新しいもの好きですので、飛びつくと思います」
決して早口ではないが、淀みなく愛想よく言い切って、可憐に微笑む。夫人は、何やら達観したように頷いた。
「そうなさると良いでしょう。あなたのお父様は、たしかに洒落者で流行にもお強い方ですからね。私も、お父様とお話しする際に感想をよくお伝えしたいと思います。ここで味わったアイスティーの」
それから二、三言話しをして「それでは」とジュディは会話を切り上げた。そのまま、次の標的を目で探しているのを見て、ステファンは聞えよがしなため息をつく。
「後ろ、髪ボサボサですよ。もう少しどうにかならなかったんですか?」
「えっ!?」
慌てながら片手で後ろ髪をおさえる仕草は、まぎれもなく動揺している。まったくどうして、さきほどの狸っぷりとはかけ離れた脇の甘さだ。
「お茶、こぼします。飲んでしまってください。猫舌でもそれなら大丈夫ですよね」
「そんなこと覚えていなくても……」
弱点を言い当てられたかのように渋い顔をして、ジュディはカップのアイスティーを飲み干す。そして、独り言のように呟いた。
「本当に美味しい。絶対流行ってほしい。熱いお茶は辛いのよ」
「猫舌」
「もういいでしょう、それは。あなただってこの件は同意していましたよね。夏はアイスティーですよ、間違いないわ。……どうしました? 私の髪がそんなに気になりますか?」
首を傾げたジュディに尋ねられて、ステファンは自分がジュディを凝視していたことに気づいた。
(表情がどんどん変わるから、つい……)
責められたわけでもないのに、急所を突かれたような痛みを覚えてステファンはふいっと視線を逸らす。そっぽを向いたまま、どこか八つ当たりのようにきつい口調で確認事項を口にする。
「そうですね。元夫との逢瀬のあとにその髪ではさすがに気になります。会ったんですよね?」
返事がなかった。何気なく確認すると、ジュディは顔色を失って、ステファンを見上げたまま固まっていた。唇が、かすかに震えている。
まずい反応だ、とすぐに直感した。
「ごめんなさい。謝ります。いまのは俺が悪かった」
取り繕うこともできないほどに、素が出た。
ジュディは唇を噛み締め、いいえ、と小さく首を振る。
「それは、宰相閣下からも謝罪を頂きまして、もう良いんです。それに、宰相閣下が間に合ったので、何もありませんでしたから」
肝心の「何が起きたのか」については限りなく遠回しな表現であったが、不愉快な内容であることは聞かずともわかる。
(間に合った? 本当だな、ガウェイン。間に合わなかったなら、洒落《シャレ》にならないからな。彼女を疑い、敢えてアリンガム子爵と接触させるように仕向けたのは俺だ。それで何かあったなら)
心臓が、いやな強さでばくばくと脈打っている。ジュディの言う「何もなかった」という言葉の真偽を確かめたくて、俯く顔から視線を逸らせない。
長い睫毛が、なめらかな肌に落とす影。そんな表情もまた、彼女を美しく見せるのかと、暗い気持ちに胸がかき乱される。
「ガウェインが間に合ったというのなら、わかりました。それ以上のことは聞きません」
「あの、宰相閣下にも聞かないでくださいね? 閣下も、落ち込んでらして」
即座に言い返されて、ステファンは思い切り顔をしかめた。
「あいつは落ち込めばいい。それは俺の知ったことじゃない。先生もあいつのことをかばう必要はない。せいぜい思い切り責め立てて、高価な宝石でもねだればいいですよ。城ひとつ買えるくらいの」
「な、なぜです? そんなの買ってもらう理由がありません!」
「理由ならいくらでもあります。まずあの男が女性を特別に気にかけている。これが異常でなくてなんだと言うんですか。異常事態を引き起こした先生は、その責任を取ってあいつの真意を確認する必要があります。あいつが喜んで城ひとつ分の首飾りを買ったらもう手遅れ。そこに指輪でもついてこようものなら、もう逃げられない。先生の命運はそこで尽きる」
「なんの脅しですか!!」
食ってかかられたが、ステファン自身、自分が何を言っているのかよくわかっていない。
しいて言えばこれは、友人であるガウェインの不甲斐なさと奥手さと不器用さに対しての盛大な嫌味である。言う相手を間違えていることは否めない。まったくもってジュディには気の毒なことをしている。自分が悪い。
強引に、話を戻した。
「さておき、リンゼイ先生。まさか自らアイスティー工作要員を買って出るとは。助かりました。ドレスの早着替えご苦労さまです」
棒読みで礼を言うと、話題が変わったことに安心をしたのか、ジュディがぱっと顔を輝かせて見上げてくる。
「これは、宰相閣下の発案です! アイスティーどうしましょうという話になり、着替えて紛れ込んで盛り上げてきてください、とドレスを用立ててくださいまして。宰相閣下ご自身も……」
そう言ったジュディの視線が、ふっと集まった人々の間をすり抜け、遠くに向けられる。
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