33 / 107
第三章
密会するふたり
しおりを挟む
「おお、殿下。こんなお姿で下働きに混じっての労働だなんて。あのジュール侯爵めに無理強いされましたか。とんでもない男ですな」
思った以上にはっきりと、ヒースコートの声が聞こえた。
ジュディは軽く身じろぎをして、ステファンの腕から逃れようと試みる。
(私は騒いだり暴れたりはしないので、あなたの腕は他のことにすぐに対応できるよう、あけておくべきではなくて?)
言葉にこそ出さなかったが、ステファンも同じく考えてくれたのか、そっと手が離れた。ジュディはほっと胸を撫で下ろす。
廊下の先では、ランプの淡い光の中で、フィリップスが笑いながら気さくな調子で受け答えをしていた。
「ガウェインがとんでもない奴だってのは、間違いない。俺をこんな形で王都から引き剥がした。だが、そのおかげで子爵とこうして直接話す機会を持てた。今回はガウェインの行動が完全に裏目に出たな。ずいぶんと間抜けなことだ」
「まったくです。もっともらしく本人も来ていたようですが、目立ちたがりが仇になって、まだまだ紳士の集いから抜け出してはこれないでしょう。詰めが甘いとは、ああいう男のことを言うのです」
位置的に、貴賓室《ステイト・ルーム》が並ぶエリアとは遠く離れていて、よほどのことがない限り、招待客が足を向けることはない場であった。そのせいか、安心してガウェインを腐す内容で話に花を咲かせている。
完全に、二人は何かしらの手段で連絡を取り合っていて、目的を持ってここで落ち合ったかのように見える。
「廊下はいつ誰が来るかわかりませんので」
ヒースコートがそう言いながら、突然振り返るような動作をした。同時に、ジュディは後ろに腕を引かれて廊下の角に身を隠させられていた。
自分では絶対に反応できなかったであろうその動きは、ステファンがいたおかげである。
「ありがとうございます。これはどういうことです?」
礼を言いながらも、すぐにいま見た光景の確認を口にすると、ステファンはジュディに代わって角に身を押し付けながら、目を細めた。耳を澄ませているように見えるが、器用にジュディの問いにも返事をくれる。
「貯蔵室の前でした。そのまま中に入ると思われます。この屋敷の貯蔵室には幽霊が出るという噂があるそうで、用事があるひと以外は近寄らないそうですよ。密会にはうってつけだ」
「そうなの。幽霊って、私は見たことがないのだけれど、何か害があるものなの?」
「はい? 害のあるなしではなく、怖いかどうかです。怖くないんですか?」
見たことがないと言ったばかりだというのに、そんなに意外そうな顔で怖いか怖くないか聞かれても。
ジュディはステファンの反応に戸惑い「会ってから考えるわ。いまのところべつに怖くない」と答えて、そうっと角から廊下をのぞく。
ヒースコートとフィリップスの姿が見えなくなっているのを確認し、足早に進みだした。
「アリンガム子爵と殿下が密会しているのは、子爵の裏稼業が関係していますか?」
声を抑えてステファンに尋ねると「そうですね」とすぐに返事があった。
「今までの数年間、子爵はかなり用心深く行動をしていたようですが、最近目に余る動きが出てきました。下町とのつながりがある殿下が、独自の情報網で荒稼ぎをしている子爵に行き着いていても不思議はありません」
最近、と耳にしてジュディはすぐに思い当たる。自分と離婚してヒースコートは、今まで以上に大胆に行動をしやすくなったか。あるいは、いよいよ財産を食いつぶしてしまい、なりふり構っていられなくなったか。
(ユーニスさんは以前からお金を使い込んでいるようだったけど、再婚したことで歯止めがきなくなった、とか)
いずれにせよ、離婚がきっかけであるとすれば自分にもまったく無関係とは思われなくて、ジュディは気を引き締め直した。
「子爵の稼業は下町に関係しているんですね?」
ちょうど貯蔵庫の前についたところで、ステファンはすぐに答えず、一度口を閉ざした。
高い位置から、視線を流してくる。
「危険な話だとは気づいていますよね。首をつっこむのをやめようという気はないんですか。知れば知るほど、あなたは危うい立場になります」
ジュディは、肩をすくめてみせた。
「もちろん気づいていますよ。ですが、私の仕事は殿下の行く末を見届ける役目です。腕が立たないからといって、まだ年若いあの方が危険に飛び込んでいくのを、私がみすみす見ているわけにはいかないでしょう? その場にいれば、私にだってできることはあるかもしれません。悲鳴を上げて誰かを呼んだり。何かの時間稼ぎとか」
今度は、ヒュウ、とステファンが短く口笛を吹いた。
「なるほど。幽霊も元夫も怖くないあなたに、恐怖心から手をひくという考えはないらしい。教育係とはかくも命がけ、と」
そしてドアにそっと耳を押し付けた。中を窺おうとしているのを見て、ジュディは口をつぐむ。
(それにしても、殿下は正義感の塊のようなところがある方……。いかに目的が一致したとしても、ヒースコートと手を組むとは考えにくいような。そもそも「裏稼業」ってなんのことなの?)
思った以上にはっきりと、ヒースコートの声が聞こえた。
ジュディは軽く身じろぎをして、ステファンの腕から逃れようと試みる。
(私は騒いだり暴れたりはしないので、あなたの腕は他のことにすぐに対応できるよう、あけておくべきではなくて?)
言葉にこそ出さなかったが、ステファンも同じく考えてくれたのか、そっと手が離れた。ジュディはほっと胸を撫で下ろす。
廊下の先では、ランプの淡い光の中で、フィリップスが笑いながら気さくな調子で受け答えをしていた。
「ガウェインがとんでもない奴だってのは、間違いない。俺をこんな形で王都から引き剥がした。だが、そのおかげで子爵とこうして直接話す機会を持てた。今回はガウェインの行動が完全に裏目に出たな。ずいぶんと間抜けなことだ」
「まったくです。もっともらしく本人も来ていたようですが、目立ちたがりが仇になって、まだまだ紳士の集いから抜け出してはこれないでしょう。詰めが甘いとは、ああいう男のことを言うのです」
位置的に、貴賓室《ステイト・ルーム》が並ぶエリアとは遠く離れていて、よほどのことがない限り、招待客が足を向けることはない場であった。そのせいか、安心してガウェインを腐す内容で話に花を咲かせている。
完全に、二人は何かしらの手段で連絡を取り合っていて、目的を持ってここで落ち合ったかのように見える。
「廊下はいつ誰が来るかわかりませんので」
ヒースコートがそう言いながら、突然振り返るような動作をした。同時に、ジュディは後ろに腕を引かれて廊下の角に身を隠させられていた。
自分では絶対に反応できなかったであろうその動きは、ステファンがいたおかげである。
「ありがとうございます。これはどういうことです?」
礼を言いながらも、すぐにいま見た光景の確認を口にすると、ステファンはジュディに代わって角に身を押し付けながら、目を細めた。耳を澄ませているように見えるが、器用にジュディの問いにも返事をくれる。
「貯蔵室の前でした。そのまま中に入ると思われます。この屋敷の貯蔵室には幽霊が出るという噂があるそうで、用事があるひと以外は近寄らないそうですよ。密会にはうってつけだ」
「そうなの。幽霊って、私は見たことがないのだけれど、何か害があるものなの?」
「はい? 害のあるなしではなく、怖いかどうかです。怖くないんですか?」
見たことがないと言ったばかりだというのに、そんなに意外そうな顔で怖いか怖くないか聞かれても。
ジュディはステファンの反応に戸惑い「会ってから考えるわ。いまのところべつに怖くない」と答えて、そうっと角から廊下をのぞく。
ヒースコートとフィリップスの姿が見えなくなっているのを確認し、足早に進みだした。
「アリンガム子爵と殿下が密会しているのは、子爵の裏稼業が関係していますか?」
声を抑えてステファンに尋ねると「そうですね」とすぐに返事があった。
「今までの数年間、子爵はかなり用心深く行動をしていたようですが、最近目に余る動きが出てきました。下町とのつながりがある殿下が、独自の情報網で荒稼ぎをしている子爵に行き着いていても不思議はありません」
最近、と耳にしてジュディはすぐに思い当たる。自分と離婚してヒースコートは、今まで以上に大胆に行動をしやすくなったか。あるいは、いよいよ財産を食いつぶしてしまい、なりふり構っていられなくなったか。
(ユーニスさんは以前からお金を使い込んでいるようだったけど、再婚したことで歯止めがきなくなった、とか)
いずれにせよ、離婚がきっかけであるとすれば自分にもまったく無関係とは思われなくて、ジュディは気を引き締め直した。
「子爵の稼業は下町に関係しているんですね?」
ちょうど貯蔵庫の前についたところで、ステファンはすぐに答えず、一度口を閉ざした。
高い位置から、視線を流してくる。
「危険な話だとは気づいていますよね。首をつっこむのをやめようという気はないんですか。知れば知るほど、あなたは危うい立場になります」
ジュディは、肩をすくめてみせた。
「もちろん気づいていますよ。ですが、私の仕事は殿下の行く末を見届ける役目です。腕が立たないからといって、まだ年若いあの方が危険に飛び込んでいくのを、私がみすみす見ているわけにはいかないでしょう? その場にいれば、私にだってできることはあるかもしれません。悲鳴を上げて誰かを呼んだり。何かの時間稼ぎとか」
今度は、ヒュウ、とステファンが短く口笛を吹いた。
「なるほど。幽霊も元夫も怖くないあなたに、恐怖心から手をひくという考えはないらしい。教育係とはかくも命がけ、と」
そしてドアにそっと耳を押し付けた。中を窺おうとしているのを見て、ジュディは口をつぐむ。
(それにしても、殿下は正義感の塊のようなところがある方……。いかに目的が一致したとしても、ヒースコートと手を組むとは考えにくいような。そもそも「裏稼業」ってなんのことなの?)
6
あなたにおすすめの小説
離宮に隠されるお妃様
agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか?
侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。
「何故呼ばれたか・・・わかるな?」
「何故・・・理由は存じませんが」
「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」
ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。
『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』
愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜
涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください
「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」
呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。
その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。
希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。
アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。
自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。
そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。
アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が……
切ない→ハッピーエンドです
※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています
後日談追加しました
【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
いつまでも甘くないから
朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。
結婚を前提として紹介であることは明白だった。
しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。
この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。
目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・
二人は正反対の反応をした。
初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。
ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。
大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。
だが彼には婚約する前から恋人が居て……?
白い結婚はそちらが言い出したことですわ
来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる