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第三章
それが役目ならば
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「います。今そちらへ行きます!」
間髪おかず、返事をした。
(バレているなら、隠れても無駄だわ。殿下の怪我の具合を早く確認したい)
撃たれて命を落としたかもしれない元夫、ヒースコートのこともちらっと考えた。だが、二の次三の次であると思考から追い出す。いまは、自分をかばって倒れたフィリップスを助けることを考えねば。その優先順位は、揺るがない。
「よーし。じゃあ、三数える間に出てこい。両手は肩より上げておけ。おかしなことは考えるなよ」
下手人からの指示は的確で、手慣れている。それはそうだ、こんな役目に素人が差し向けられるわけがないと、腹をくくった。簡単に出し抜けると思わない方が良い。
ジュディは棚の下段に、いくつもの瓶が並んでいるのを見つけた。果物の砂糖漬けやジャムだろう。かがみこんで手にしてみると、重い。相手に気づかれる前に、投げつけられるだろうか? 「3」
(手を上げて出てこいってことは、持って出た時点で撃たれるかも)
自分の服装が、この屋敷の使用人が着ているお仕着せであるのをちらっと確認する。「2」
まだ自分が何者かバレていない可能性もある。可能性にかけるか? それとも、筋書きに組み込まれた「ヒースコートの元妻」であるとあえて名乗り出るか? 「1」
タイムアップ。
ジュディは、相手から何か言われる前に勢いよく棚の下段に手を突っ込み、瓶を掴んで持ち上げた。すくっと立ち上がり、床に力一杯落して、叩き割る。
派手な音が響き渡った。
「きゃああああ」
「なんだ!?」
大げさ過ぎる悲鳴を上げながら、ジュディはもう一度しゃがみこみ、下の段に闇雲に腕を差し入れ、勢いをつけて力いっぱい瓶を床に転がす。
さすがに、相手は無防備に通路を覗き込んでくることはなかった。ジュディは構わず、一方的にまくしたてた。
「焦っていたので、棚にぶつかって瓶を転がしてしまいました。いくつかは割れたようです。その他にも転がっていて……暗くて、見えません。踏んだらどうしましょう!」
「踏んでも転ぶだけじゃないか? 早く出てこい」
「わかりました、いま。……きゃあああああっっ!!」
出ようとしたけど、踏んで転びかけた。その演出の悲鳴とともに、ジュディはさらに手当たり次第棚の奥まで腕を突っ込んで、並んでいるものを床に叩き落した。
「何やってんだ。どんくさい女だな」
「すみませんっ。どうしましょう。ますます道がふさがってしまって。どうやって越えていけばいいですか?」
「は?」
この生きるか死ぬかの場で、突如現れたドジっ子メイドに、相手は明らかに呆れている。狙い通り、とジュディはひとり手応えを感じる。
(どんくさいって言ったわね。その通りよ! 俊敏な動きができない以上、とことん騒いでひっかきまわしてあげるわ!)
「どうにか歩けるだろ?」
「どうにかって、どういうことですか? ちょっと灯りで照らしてみてください、足の踏み場もありませんよ!?」
「いや、自分のミスだろ、それは」
そう言いながらも、相手は灯りを手にしたようだ。炎の作り出す光が揺らめき、こちらに近づいて来る。
(銃から手を離した? そこまでは油断しない? だけど、片手がふさがっていれば、対応に遅れが出るはず)
ジュディは割れずに足元を転がっていた瓶をひとつ手にした。相手の姿が見えたら、投げる。もしくは、近くまで引き付けて殴りつける。
ドキドキと心臓が痛いほど鳴る、束の間。
通路の向こうで、灯りを掲げ持たれる。照らし出す炎の光。
「何持ってんだ、それ」
「これは……片付けようかと、思って。その、少しでも被害を少なくみせないと。こんなに散らかっていたら、何があったんだって怒られてしまいます、私が!」
どんくさい女と言われたからには、なりきってみせる。私はどんくさい女が世界一似合う、と自分を鼓舞する。やってやれないことはない。
意気込んで言うと、光の中で男は明らかに鼻白んだ様子で言った。
「それなら、ついでにあんたが死体も片付けておいてくれるか?」
「ああ~……死体なんて、どうすればいいか見当もつかないんですけど……」
だいぶ呆れさせたつもりだったのに、思った以上にぶっ飛んだ話題を振られて、素が出てしまった。「しかもその死体、私の元夫かもしれなくて」と余計なことを言いそうになる。場が混沌とするのは間違いない。
一方相手は「そもそもあんたはここで何やってんだ。早く来い」と呼びかけてきた。ジュディのことを、巻き込まれただけの一般人と理解してくれたのかもしれない。
「わかりました。えーとですね、きゃっ、いま何か踏みました」
なおもぐずぐずとすると、男は灯りを掲げ持ったまま「なんでもいいから」と吐き捨てるように言って、溜め息をついた。
その灯りが、一瞬、翳った。
ジュディは目を見開き、信じられない光景を見つめた。
男が彼の気配を察知したときには、すべてが終わりに向かっていた。
灯りが床に落ちぬように気を使ったらしく、片手を燭台に伸ばし、もう片方の拳で男の胴体を殴りつけた背の高い紳士。男がわずかに体をひねって衝撃を殺そうとしたが、燭台を危なげなく回収しながら彼は男を蹴倒し、トドメのように顎をひとつ蹴飛ばした。砕けたのでは、という酷《むご》い音ともに男は動きを止めた。
「足癖が悪い。殿下も足癖悪いですけど、閣下が伝授しましたか?」
彼から燭台を受け取り、眉をひそめて非難がましく言ったのは、ステファン。乏しい光の中で、かすかに息を乱しながら、枯れ草色の髪の青年がジュディの方へと顔を向けてくる。
視線がぶつかる。わずかに違和感があった。いつもの眼鏡がない、と気づく。ガウェインは素顔で、ジュディを見つめていた。
「遅くなりました。時間稼ぎをしてくれていて、助かりました。音も。おかげで気づかれないで近づけましたので」
落ち着いた声だった。今日一日、色々ありすぎたせいで、恐ろしく久しぶりに聞いたような気がした。
もう大丈夫。その安堵から、足ががくがくと震えだす。前に進まなければと思うのに一歩も動くことができず、ジュディは手の中にあった瓶まで落としてしまった。
ガウェインが、散らかった通路をものともせず、駆け寄ってくる。
ぐいっと抱き寄せられて、瓶は足に直撃しないですんだ。
「怪我は? 大丈夫ですか?」
心配しているまなざしで見つめられ、見上げたジュディはほっと息を吐き出した。緊張が解けたせいか、それともようやくまともに心配してくれる相手が現れたせいか、じわっと目に涙が浮かんでくる。
「閣下こそ、間男として撃たれてなかったんですね……!」
「間……男?」
ん? と真顔で聞き返された。ジュディは無意識に、そばにあるガウェインの体に腕を回して抱きしめながら、しみじみと言う。
「ご無事で何よりです」
「はい。あなたも。怪我をしていないか、明るいところで確認させて頂いても?」
ガウェインは、ジュディと抱き合ったままそっと身じろぎをし、壊れ物を扱う仕草でジュディの頬に片手で触れた。その手に誘われるように顔を上げて、ジュディはほっとした安心感のまま、ガウェインにふわりと微笑みかけた。
間髪おかず、返事をした。
(バレているなら、隠れても無駄だわ。殿下の怪我の具合を早く確認したい)
撃たれて命を落としたかもしれない元夫、ヒースコートのこともちらっと考えた。だが、二の次三の次であると思考から追い出す。いまは、自分をかばって倒れたフィリップスを助けることを考えねば。その優先順位は、揺るがない。
「よーし。じゃあ、三数える間に出てこい。両手は肩より上げておけ。おかしなことは考えるなよ」
下手人からの指示は的確で、手慣れている。それはそうだ、こんな役目に素人が差し向けられるわけがないと、腹をくくった。簡単に出し抜けると思わない方が良い。
ジュディは棚の下段に、いくつもの瓶が並んでいるのを見つけた。果物の砂糖漬けやジャムだろう。かがみこんで手にしてみると、重い。相手に気づかれる前に、投げつけられるだろうか? 「3」
(手を上げて出てこいってことは、持って出た時点で撃たれるかも)
自分の服装が、この屋敷の使用人が着ているお仕着せであるのをちらっと確認する。「2」
まだ自分が何者かバレていない可能性もある。可能性にかけるか? それとも、筋書きに組み込まれた「ヒースコートの元妻」であるとあえて名乗り出るか? 「1」
タイムアップ。
ジュディは、相手から何か言われる前に勢いよく棚の下段に手を突っ込み、瓶を掴んで持ち上げた。すくっと立ち上がり、床に力一杯落して、叩き割る。
派手な音が響き渡った。
「きゃああああ」
「なんだ!?」
大げさ過ぎる悲鳴を上げながら、ジュディはもう一度しゃがみこみ、下の段に闇雲に腕を差し入れ、勢いをつけて力いっぱい瓶を床に転がす。
さすがに、相手は無防備に通路を覗き込んでくることはなかった。ジュディは構わず、一方的にまくしたてた。
「焦っていたので、棚にぶつかって瓶を転がしてしまいました。いくつかは割れたようです。その他にも転がっていて……暗くて、見えません。踏んだらどうしましょう!」
「踏んでも転ぶだけじゃないか? 早く出てこい」
「わかりました、いま。……きゃあああああっっ!!」
出ようとしたけど、踏んで転びかけた。その演出の悲鳴とともに、ジュディはさらに手当たり次第棚の奥まで腕を突っ込んで、並んでいるものを床に叩き落した。
「何やってんだ。どんくさい女だな」
「すみませんっ。どうしましょう。ますます道がふさがってしまって。どうやって越えていけばいいですか?」
「は?」
この生きるか死ぬかの場で、突如現れたドジっ子メイドに、相手は明らかに呆れている。狙い通り、とジュディはひとり手応えを感じる。
(どんくさいって言ったわね。その通りよ! 俊敏な動きができない以上、とことん騒いでひっかきまわしてあげるわ!)
「どうにか歩けるだろ?」
「どうにかって、どういうことですか? ちょっと灯りで照らしてみてください、足の踏み場もありませんよ!?」
「いや、自分のミスだろ、それは」
そう言いながらも、相手は灯りを手にしたようだ。炎の作り出す光が揺らめき、こちらに近づいて来る。
(銃から手を離した? そこまでは油断しない? だけど、片手がふさがっていれば、対応に遅れが出るはず)
ジュディは割れずに足元を転がっていた瓶をひとつ手にした。相手の姿が見えたら、投げる。もしくは、近くまで引き付けて殴りつける。
ドキドキと心臓が痛いほど鳴る、束の間。
通路の向こうで、灯りを掲げ持たれる。照らし出す炎の光。
「何持ってんだ、それ」
「これは……片付けようかと、思って。その、少しでも被害を少なくみせないと。こんなに散らかっていたら、何があったんだって怒られてしまいます、私が!」
どんくさい女と言われたからには、なりきってみせる。私はどんくさい女が世界一似合う、と自分を鼓舞する。やってやれないことはない。
意気込んで言うと、光の中で男は明らかに鼻白んだ様子で言った。
「それなら、ついでにあんたが死体も片付けておいてくれるか?」
「ああ~……死体なんて、どうすればいいか見当もつかないんですけど……」
だいぶ呆れさせたつもりだったのに、思った以上にぶっ飛んだ話題を振られて、素が出てしまった。「しかもその死体、私の元夫かもしれなくて」と余計なことを言いそうになる。場が混沌とするのは間違いない。
一方相手は「そもそもあんたはここで何やってんだ。早く来い」と呼びかけてきた。ジュディのことを、巻き込まれただけの一般人と理解してくれたのかもしれない。
「わかりました。えーとですね、きゃっ、いま何か踏みました」
なおもぐずぐずとすると、男は灯りを掲げ持ったまま「なんでもいいから」と吐き捨てるように言って、溜め息をついた。
その灯りが、一瞬、翳った。
ジュディは目を見開き、信じられない光景を見つめた。
男が彼の気配を察知したときには、すべてが終わりに向かっていた。
灯りが床に落ちぬように気を使ったらしく、片手を燭台に伸ばし、もう片方の拳で男の胴体を殴りつけた背の高い紳士。男がわずかに体をひねって衝撃を殺そうとしたが、燭台を危なげなく回収しながら彼は男を蹴倒し、トドメのように顎をひとつ蹴飛ばした。砕けたのでは、という酷《むご》い音ともに男は動きを止めた。
「足癖が悪い。殿下も足癖悪いですけど、閣下が伝授しましたか?」
彼から燭台を受け取り、眉をひそめて非難がましく言ったのは、ステファン。乏しい光の中で、かすかに息を乱しながら、枯れ草色の髪の青年がジュディの方へと顔を向けてくる。
視線がぶつかる。わずかに違和感があった。いつもの眼鏡がない、と気づく。ガウェインは素顔で、ジュディを見つめていた。
「遅くなりました。時間稼ぎをしてくれていて、助かりました。音も。おかげで気づかれないで近づけましたので」
落ち着いた声だった。今日一日、色々ありすぎたせいで、恐ろしく久しぶりに聞いたような気がした。
もう大丈夫。その安堵から、足ががくがくと震えだす。前に進まなければと思うのに一歩も動くことができず、ジュディは手の中にあった瓶まで落としてしまった。
ガウェインが、散らかった通路をものともせず、駆け寄ってくる。
ぐいっと抱き寄せられて、瓶は足に直撃しないですんだ。
「怪我は? 大丈夫ですか?」
心配しているまなざしで見つめられ、見上げたジュディはほっと息を吐き出した。緊張が解けたせいか、それともようやくまともに心配してくれる相手が現れたせいか、じわっと目に涙が浮かんでくる。
「閣下こそ、間男として撃たれてなかったんですね……!」
「間……男?」
ん? と真顔で聞き返された。ジュディは無意識に、そばにあるガウェインの体に腕を回して抱きしめながら、しみじみと言う。
「ご無事で何よりです」
「はい。あなたも。怪我をしていないか、明るいところで確認させて頂いても?」
ガウェインは、ジュディと抱き合ったままそっと身じろぎをし、壊れ物を扱う仕草でジュディの頬に片手で触れた。その手に誘われるように顔を上げて、ジュディはほっとした安心感のまま、ガウェインにふわりと微笑みかけた。
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