王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

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第六章

何をすれば、生きていることが許される?

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 夜道を走る馬車の中は、沈黙に包まれていた。

 縄の戒めを解いてもぐったりとしたフィリップスは、ガウェインの肩に頭を預けるようにして、目を閉ざしたまま。
 反対側にはジュディが座り、二人でフィリップスを挟む形になっている。乗り込むときに、自然とそうなった。

(夜会の場で何が起きたのか、見たままの状況は把握できている……けど、これからどうすれば)

 これまでフィリップスを偽物だと言い続けた王妃が、ジェラルドを監獄塔から連れ出して「彼こそが本物の王子だ」と大勢の前でお披露目したのだ。
 異を唱える者、フィリップスをかばう者がガウェインの他にもいたのかは、ジュディにはわからなかった。少なくとも、真っ向から歯向かったのはガウェインだけだ。

 ジュディは、これまでガウェインが激高した場面にも居合わせている。
 怒るときは怒るのは知っている。だが、冷静で計算が勝つひとだと思っていただけに、この夜の王妃に対する不遜さ、苛烈な発言の数々には驚いてしまっていた。
 咎められることもなくやり過ごされたのは、何か理由がありそうだ。
 明らかに殴られた跡のあるフィリップスの顔を見てから、ジュディはガウェインに小声で話しかけた。

「殿下を連れて帰ることができて、良かったですね」
「もし渡さないつもりなら、あの場で全員叩き伏せるつもりでした」

 やる。
 ガウェインはやると言ったら絶対にやるというのは、容易に想像がついた。

「世界を敵に回しても」

 思わずジュディが呟くと、フィリップス越しにガウェインが視線を流してきた。

「たとえ何度同じ場面が繰り返されようと、俺の行動は変わりません。殿下に、世界のすべてが敵で自分は独りだと思ってほしくないんです。俺は殿下の味方でいると、自分の中に誓いを立てています。最後まで、一番そばにいる……」

 不意に、ジュディに向けられたまなざしが柔らかなものになる。

「そのつもりでいたのに、今日はあなたの方が早かった。殿下の元へ駆けつけたのが。そういう役回りを期待しての『教育係』ではありますが、あなたは俺の予想を上回る」

「体が勝手に……、あの、このドレスと靴、走りやすいんです。だから」

「普通と何か違うんですか?」

 ガウェインは何気ない仕草で身を屈めながら腕を伸ばし、フィリップス越しにジュディのスカートをつまみ上げる。それは純粋な興味だとジュディは理解していたが、そのままめくれ上がって足が見えてはいけないと思い「だめです」と手に手を重ねて制止した。
 あ、とガウェインが間抜けな声を上げる。

「……きっつ。親兄弟のいちゃいちゃ見せられてるみたいで、きっつ」

 それまで黙っていたフィリップスが、かすれ声で悪態をついた。

「殿下! しゃべれたんですね、良かった。お顔が腫れているから、口の中まで腫れているんじゃないかと。痛むなら黙っていてくださいね。もうすぐお屋敷に着きますから、何も心配しないでいてください。ゆっくり寝ていて良いですよ」

「ん……わかった」

 しんどそうに答えてから、深い溜め息をつくフィリップス。言い返しもしないあたり、本当に具合が悪そうだった。
 ガウェインは無言でその体に腕を回して、しっかりと支え直した。節度ある距離を保とうとしていたジュディも、弱々しい様子が気になって腕にそっと手を置く。
 母親から疎まれ、慕っていたであろうジェラルドから手ひどい裏切りを受けて、いまは心も体も傷ついている。それでも。

(殿下は独りではありませんよ。ガウェイン様も私もいます。絶対に独りになんかしませんから)

 指先に、力を込めた。


 * * *


 フィリップスは、ガウェインの寝室へと運ばれた。
 邸内でも守りが固く、ジュディの部屋と通じている。部屋を明け渡したガウェインから「いつも夜は一緒に寝ているわけですから、少しの間そちらの部屋に置いてください」と囁かれ、ジュディも了承した。

 医者が来るまで、ガウェインが応急処置をし、到着した医者もその手際を褒め、一通りの診察をして帰って行った。
 ジュディはその間に湯浴みをすすめられ、身支度をして戻ると、フィリップスのそばについていたガウェインが代わりに部屋を出て行った。
 仄暗い部屋の中では、他に何かすることがあるわけでもなく、ジュディはベッドのそばの椅子に座り、横たわるフィリップスを見つめる。
 顔色を失って目を閉ざしていたフィリップスは、ふと重そうなまぶたを持ち上げた。

「殿下、水をお飲みになりますか? もし召し上がれそうなら、やわらかい食事もご用意しますよ」

 負担になってはいけないと思いながらも、ここぞとばかりにジュディは身を乗り出して言う。
 ゆっくりとまばたきをしたフィリップスは、やはり緩慢な仕草で顔を横に向けて、ジュディを見た。

「殿下と呼ぶのか。それは、ジェラルドが持っていった。母が、王妃が与えた」

 生気を失った瞳。投げやりな口調。
 そのどれもがフィリップスらしくなく、ジュディは手を伸ばすと、フィリップスの肩に軽く触れた。私はここにいますの意味を込めて。

「私にとって、殿下はあなたただひとりです。私があなたを、立派な王子様にお育て申し上げるのです」
「……やめておけ。俺は出来損ないだ。汚れている。誰からも必要とされない」

 突き放す物言いに負けまいと、ジュディは掛布の上からフィリップスの体を抱きしめる。怪我に配慮はしたが「痛ぇ」と抗議された。少しだけ力を緩め、体重をかけないように気をつけながら、はっきりと告げた。

「あなたはいつだって輝いて、美しいです。どこにいてもわかります。汚れてなんかいません」

 ジュディの腕の中で、フィリップスが声を立てずに笑った。

「俺は汚れた人間で、汚れた人間を、貴族も王族も嫌う。汚れているから、先生のことを気持ちよくしてあげる方法だって知ってるよ」

 静かな声で囁かれて、ジュディは少しだけ体を浮かして、フィリップスの顔を見た。諦めと退廃をその瞳に宿したフィリップスは、妙に浮ついた雰囲気で続けた。

「ガウェインがしてくれないなら、俺がしてあげる。犬みたいに股ぐらに跪《ひざまず》いて、先生の気持ちいいところたくさん舐めてあげる。慣れてるんだ、そういうの」

「あなたはっ……」

 フィリップスは、伸ばした手でジュディの腕に触れて、儚く微笑んだ。

「それで俺は、何をすれば、生きていることが許されるんだ? 誰にも必要とされず、忌み嫌われて捨てられた俺は。先生の家畜になったら飼ってくれる?」

 後先など一切考慮せずに、ガウェインが夜会の場で王妃を罵った意味が、いまならよくわかる。
 母であるがゆえに、ここまで子の心を殺せる女を、許すことができなかったのだ。

(ガウェイン様は、何度同じ場面を繰り返しても自分は同じ行動を取ると言った。もし巻き戻して同じ場面をやり直せるなら、私だって叫んでやる。殿下を責め苛んだあの方に、殴りかかってでも黙らせて)

 奥歯を食いしばってから、ジュディはフィリップスに語りかけた。

「殿下が、私の子であれば良かった。私の子になって頂けませんか?」

「変な提案だな」

「愛したいんです。今よりももっと遠慮なく、あなたを愛して大切にします。あなたの代わりはいません。私は本当のお母様ではないけど、子ども時代から今に至るまでのあなたを、全部愛して抱きしめたい」

 ぽん、とフィリップスがジュディの腕に手を置いた。

「ガウェインに怒られる」

「怒りませんよ。私がお母様なら、自分はお父様になるって言います。王様ではないですけど、王様みたいなお父様ですよ。たくさん頼ってください」

「不敬……」

 口元に笑みを刻んだまま、フィリップスは目を閉ざした。「寝る」と呟き、呼吸がそのまま寝息となる。
 ジュディはしばらくその顔を見ていたが、やがてフィリップスを抱きしめていた手を離し、椅子に座り直す。

 そのとき、音も立てずに近寄ってきていたガウェインが、ジュディの手を取った。静かに、と唇の前に指を立てる動作で示して、隣室に続くドアへと誘《いざな》う。
 足音にも気をつけてドアをくぐりぬけたところで、二人揃ってほっと息を吐き出した。

「お疲れ様でした。ありがとうございます、殿下を寝かしつけていただいて」

「何もしていません。何もできません。私も殿下の味方ですとお伝えしたいのに、歯がゆいほどにうまくできなくて」

「いいえ、十分です。あなたはよくやってくれている。殿下には俺ができる限りのことをお教えして、どうにかあの大きな穴を埋めたいと思っていたけど、無理だったんです。女性にしかできないと言うと、女性に対して甘えているようではありますが……。殿下が欲しいものには、俺よりもあなたの方が近くて」

 立ち話になっていると気づいたガウェインは、ジュディの手を引いて天蓋付きのベッドまで進む。先に自分が座ると、自分の膝に座るようにジュディを導いて、背中からジュディをきつく抱きしめた。

「先程の会話を聞きました。あなたが殿下のお母様になると。俺もそれが良いと思います。それで……寝室を、分けようと思います。俺は少し、あなたと距離を置く」

「どうしてですか? もう一緒に寝ないということですか?」

 無理やり頭だけ振り返って聞くと、ジュディの背に顔を埋めたガウェインが、くぐもった声で答えた。

「殿下はご自身がお考えになっているより遥かに強く、母を求めています。あんな母親でも……。ジュディがその穴を埋めるというのなら、俺はいまあなたを妊娠させるわけにはいきません。殿下が頼るあなたに実の子どもができてしまえば、殿下の居場所がまたなくなってしまう」

 所詮他人であるジュディは、フィリップスの母親になどなれない。できないことがわかっていながら、それらしく振る舞い、子どもの頃からフィリップスが甘えたいと思い続けた気持ちを埋められたら、と考えている。
 そこに、実の子どもができてしまえば、またフィリップスは疎外感を覚えるのでは、と。ガウェインが言っているのは、そういう意味だ。

(わかるのですけど……、「妊娠させるわけにはいかない」私はまたこの言葉で突き放される)

 それはかつての夫、ヒースコートに突きつけられた言葉だ。まさかこの期に及んで、ガウェインからも言われてしまうとは。
 気落ちしないようにしよう、頭ではわかっていても、言葉が出てこない。
 そのジュディに対し、ガウェインが深刻な口ぶりで切々と言った。

「本音を言えば、俺もすごくつらいです。最高に痩せ我慢してる。こんなことを言った後に、部屋を出て俺はドアの向こうでひとり、自分で手を下してこの体から熱を発散させるのかと思うと」

「ガウェイン様。少し黙りましょう」

 止めなければと思ったら、あっさりと喉のつかえがとれて、声が出た。

「黙りません。理性的な自分がうらめしい。こんなことなら、遠慮せずにさっさと抱いて抱き潰して三日三晩倒れるまで抱き合っておけば良かった」

「怖いこと言わないで!」

 どこに理性があるというのか。欠片も見当たらない。ガウェインは少し、己を過大評価しているのではないだろうか、とジュディは首を傾げたくなった。
 ひとまず、提案をしてみることにした。

「一緒に寝るのはだめですか。今まで通り、このベッドで」

「それはもう、寝たいですけど、自信がないです。俺があなたを孕ませようとしたら、止めてくれますか。いや無理ですよ。俺がその気になったら絶対やるから」

「わりと最低ですね!」

 即物的な思いを続けざまにぶつけられ、ジュディはぴしゃりと言い返した。
 いまだ清らかな乙女の身を、なんだと思っているのか。
 ガウェインは、膝に乗ったまま振り返っているジュディの腰に腕を回し、抱き直しながら、その目を覗き込んで囁いた。

「愛しています、ジュディ。子どもができる以外のこと全部したい」

 腕に力を込めながら、位置が逆転するようにジュディを抱いてベッドに押し倒す。

「ガウェインさま……」

 言葉はすぐに重ねた唇に飲み込まれる。
 その晩、二人はもつれあうように、長く淫らなキスをした。

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