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第七章
一途でいたい
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「護衛対象が二人いるのに、護衛がステファンひとりでは心もとないと。荷物は先に運んでいるって聞いているから、俺が奥方、ステファンがフィリップス様でがっちりお守りしますよ」
がはははは、という笑い声がいかにも豪放磊落で、ジュディはあっけにとられて目の前の相手を見つめてしまった。
裾の長いコートの下に、軍服らしいかっちりとした服を着込んでいる。精悍な顔立ちがいかにも軍人らしいが、明るい笑顔にくだけた態度で堅苦しさはない。
(ガウェイン様が、身近にこういう方を置いてらっしゃるのは新鮮だわ。意外と合うのかも。……ステファンさんは、苦手みたいね)
ぎゅうっと窓際に追いやられたステファンの顔は、眉根を寄せてひたすら険しい。
ステファンはかなりの長身だが、ラインハルトはそれ以上でしかも体に厚みがあり、専有するスペースが広かった。並んで座っていると、ステファンが華奢に見えてくるほどだ。完全に、目の錯覚である。
同行人のフィリップスもそれなりに上背があるので、ジュディは巨人の国にぽつんと置かれたような状態になっていた。
「その役割分担、本当に閣下の指定なのか。ラインハルトが先生で、俺がフィリップス様というのは」
持て余し気味の長い足を組み、腕も組んで、フィリップスは隣のラインハルトにきつい視線を流す。
受け止めたラインハルトは、その剣呑な空気を気にした様子もなくあっけからんと言い放った。
「いやいや、俺が決めた。さすがにこの色男を、閣下の想い人に近づけておくのは危な過ぎるだろ。奥方、知ってます? この男は宮廷の寝業師として名前を馳せているんで、ごふ」
ステファンが、肘鉄を素早く容赦のない強さでラインハルトの横っ腹に打ち込む。
「声がでかい。あることないこと言うな。先生はこう見えておっそろしくねんねちゃんなんだよ。耐性ゼロだ」
「元人妻で再婚なのに?」
これには、ジュディの隣で無関係を決め込んで窓を見ていたはずのフィリップスまで、耐えかねたように口を挟んだ。
「ラインハルトは、人妻に幻想を抱きすぎだ。目の前の先生をよく見ろ。そのへんの未婚のご令嬢よりよほどねんねちゃんだろ!」
「いやいやフィリップス様、それはそれで女性に幻想を抱きすぎですよ。さすがに閣下も家に囲い込んでまで手を出さないってことは」
話しながら、ラインハルトは真横から繰り出されたステファンの拳をぱしっと手のひらで受け止めた。
「お前は配慮というものを知らない。本人の前でべらべら何を言い出すんだ。そんなに騒ぎたければデッキでひとりで騒いでろ。二度とここに近づくな」
「それじゃ護衛にならないだろ」
「必要ない。俺がいる」
きっぱりと拒絶したステファンの声には、怒気が滲んでいた。
(普段からよく私をからかうのに、他の方がからかうとそれが常識的に見て「悪」という価値観は、しっかりと持ち合わせていらっしゃるんですね)
口に出せば嫌味になりかねないので、ジュディはひとりこっそり思う。
ジュディ自身は、そんなステファンを決して嫌ってはいない。普段、ジュディが聞いたことは親切に教えてくれるし、性格的に真面目なのも知っているからだ。
むしろ、からかってくるのは、ジュディが抜けていたり悪意に疎い部分を補う意味合いがあると受け止めていた。隙を見せるな、と。
少なくとも、いつだって本気で傷つける意図はなさそうなのだ。それは彼の優しい性格ゆえだと思う。
ジュディは口を挟まず、ひとまず成り行きを見守ることにする。
ステファンが、ばつの悪そうな顔をして視線を向けてきた。
「いまのは、本当に気にしないでください。寝業師がどうとか。俺は女性を弄ぶようなことは、していません」
べつに言い訳をしなくても良いのに、とジュディは言いかけたが、ふと思い出したことがあった。
(たしか「気になる幼女がいる」みたいなことをデートのときに言っていたわ)
気づいたらつい、そのときの記憶を口にしていた。
「幼女」
「はい? ……ああ、あのときの。そうですね。はい、その通りです」
単語だけで、ジュディが何を言わんとしたのか悟ったらしい。ステファンは実に苦い顔で頷いている。
ラインハルトが「なに?」と興味津々といった様子でステファンの顔をのぞきこんだ。ステファンは、鬱陶しそうにそそっぽを向いた。
「こっちの話だ、お前には関係ない。幼女の世話で忙しいってそれだけの話」
「幼女?」
きょとんとしたラインハルトに構わず、ステファンは目を瞑って黙殺。
ジュディの横で、フィリップスが前触れなく立ち上がった。「そのへん歩いてくる」と言い捨てて、通路に出て行く。ひとりで行かせるわけにはいかないと、ジュディも立ち上がりかけたが、その動きを制してラインハルトが立った。
「お手洗いかもしれませんので、俺がついていきます。奥方は待っていてください」
にかっと爽やかに笑って、背を向ける。その所作には無駄がなく、洗練されていた。自由奔放な振る舞いをしていても、やはり彼もまた宮廷人なのだ。
残されたジュディは、ほっとため息をついて椅子に座り直し、いつも以上に気を揉んで疲れていそうなステファンに目を向ける。
まさにそのとき、ジュディを見ていたステファンと目が合った。
「その……、幼女さんとはうまくいってます?」
どこの誰だかわからないなりに、ジュディは気になっていたことを尋ねてみた。
ステファンの美しいまなざしが、不意にくもって精彩を欠く。
「どうなんですかね。悪くはないと思いますけど、良くなる必要もないので……」
そこで言葉を区切り、盛大なため息をついてから独り言のように呟いた。
「情報収集の必要があって、女性と話すことが多いのは事実です。噂になることもあります。でもそれは、閣下の不得意分野というか、あのひとがやらないことを俺がやっているだけです。閣下には閣下の仕事があり、立場の問題や時間的制約もあるから、俺がそういった役回りなのはべつに良いんですけど……、一途でいられるなら俺だってそうしたい。べつに不特定多数の女性に興味があるわけじゃないんです。一人で十分なんです。そのへん、誤解しないでください」
全然目も合わせず、聞かせる風でもない早口であったが、最終的にジュディに語りかける形で終わった。
幼女さんのことですか? とは、聞ける雰囲気ではない。
会話をしたいわけではなく、求めているのはおそらくジュディの同意のみだ。
ジュディは「わかります」という意味で力強く頷いた。
「普段のステファンさんを見ていれば、好色だなんて思いません。一途でいたいというのも、真実なのでしょう。あなたは、そのまま自分の信じるところを貫いてください。世間にどんな噂があろうと、私は目の前のあなたを信じます」
誤解など、する余地がない。
こんなにも身近で、日々語り合っているのだから。
ステファンは依然として瞳の精彩を欠いたまま、口の端を吊り上げて、薄く笑った。
そして「なんでこんな馬鹿みたいに一途なんだろって思います。自分で自分が嫌になる」と本当の独り言のように呟いた。
* * *
ガウェインの執務室に大量のタブロイド「デイブレイク」を持参したアルフォンスは、顔に青筋を立てているガウェインを見て動きを止めた。
「わぁ……?」
怒りのオーラが青白い火花となって迸っている。目に入ってきたのは、そんな光景であった。
秘書官であるヴァランタンが、アルフォンスの手から古紙を受け取りながら耳打ちをする。
「兄さん、って。『フィリップス殿下』が遊びに来たんです。午前中いっぱい。『ガウェイン兄さんに摂政《リージェント》して欲しいなぁ、俺には政治はまだ無理なので』ってかわいらしく言いながら」
「わぁ」
その場にいなくて良かった、とアルフォンスは心の底から思う。
残り火の怒りだけで、ガウェインは簡単にひとを焼き尽くしてしまいそうである。当人を前にしても、抑制したりはしなかったに違いない。
巻き込み回避に胸を撫で下ろすアルフォンスに対し、ペンを握りしめたままガウェインが言った。
「義兄さん、新聞、ありがとうございます」
「ん。どういたしまして」
「義兄さん。……はぁ。自分で言うのは全然構わないのに、言われるのは本当にむかつきますね。誰がお前の兄さんだっていうんだ。そんなに俺を兄貴にしたいなら、さっさと生きているフローリー公を連れて来いって言うんだ。望むところだ」
いつになく低音でぶつぶつと言うガウェインを前に「私もまだ閣下の義兄というわけでは」という言葉を、アルフォンスは気合で飲み込んだ。
いまはどうあれ、それは確定した未来のはずだ。ジュディとガウェインが結婚するのは。
(余計な横槍はやめておこう。茶化して良い空気じゃない)
命がいくつあっても足りないから、とアルフォンスは口をつぐむ。
そのときにはもう、ガウェインは書類仕事に戻っていた。
がはははは、という笑い声がいかにも豪放磊落で、ジュディはあっけにとられて目の前の相手を見つめてしまった。
裾の長いコートの下に、軍服らしいかっちりとした服を着込んでいる。精悍な顔立ちがいかにも軍人らしいが、明るい笑顔にくだけた態度で堅苦しさはない。
(ガウェイン様が、身近にこういう方を置いてらっしゃるのは新鮮だわ。意外と合うのかも。……ステファンさんは、苦手みたいね)
ぎゅうっと窓際に追いやられたステファンの顔は、眉根を寄せてひたすら険しい。
ステファンはかなりの長身だが、ラインハルトはそれ以上でしかも体に厚みがあり、専有するスペースが広かった。並んで座っていると、ステファンが華奢に見えてくるほどだ。完全に、目の錯覚である。
同行人のフィリップスもそれなりに上背があるので、ジュディは巨人の国にぽつんと置かれたような状態になっていた。
「その役割分担、本当に閣下の指定なのか。ラインハルトが先生で、俺がフィリップス様というのは」
持て余し気味の長い足を組み、腕も組んで、フィリップスは隣のラインハルトにきつい視線を流す。
受け止めたラインハルトは、その剣呑な空気を気にした様子もなくあっけからんと言い放った。
「いやいや、俺が決めた。さすがにこの色男を、閣下の想い人に近づけておくのは危な過ぎるだろ。奥方、知ってます? この男は宮廷の寝業師として名前を馳せているんで、ごふ」
ステファンが、肘鉄を素早く容赦のない強さでラインハルトの横っ腹に打ち込む。
「声がでかい。あることないこと言うな。先生はこう見えておっそろしくねんねちゃんなんだよ。耐性ゼロだ」
「元人妻で再婚なのに?」
これには、ジュディの隣で無関係を決め込んで窓を見ていたはずのフィリップスまで、耐えかねたように口を挟んだ。
「ラインハルトは、人妻に幻想を抱きすぎだ。目の前の先生をよく見ろ。そのへんの未婚のご令嬢よりよほどねんねちゃんだろ!」
「いやいやフィリップス様、それはそれで女性に幻想を抱きすぎですよ。さすがに閣下も家に囲い込んでまで手を出さないってことは」
話しながら、ラインハルトは真横から繰り出されたステファンの拳をぱしっと手のひらで受け止めた。
「お前は配慮というものを知らない。本人の前でべらべら何を言い出すんだ。そんなに騒ぎたければデッキでひとりで騒いでろ。二度とここに近づくな」
「それじゃ護衛にならないだろ」
「必要ない。俺がいる」
きっぱりと拒絶したステファンの声には、怒気が滲んでいた。
(普段からよく私をからかうのに、他の方がからかうとそれが常識的に見て「悪」という価値観は、しっかりと持ち合わせていらっしゃるんですね)
口に出せば嫌味になりかねないので、ジュディはひとりこっそり思う。
ジュディ自身は、そんなステファンを決して嫌ってはいない。普段、ジュディが聞いたことは親切に教えてくれるし、性格的に真面目なのも知っているからだ。
むしろ、からかってくるのは、ジュディが抜けていたり悪意に疎い部分を補う意味合いがあると受け止めていた。隙を見せるな、と。
少なくとも、いつだって本気で傷つける意図はなさそうなのだ。それは彼の優しい性格ゆえだと思う。
ジュディは口を挟まず、ひとまず成り行きを見守ることにする。
ステファンが、ばつの悪そうな顔をして視線を向けてきた。
「いまのは、本当に気にしないでください。寝業師がどうとか。俺は女性を弄ぶようなことは、していません」
べつに言い訳をしなくても良いのに、とジュディは言いかけたが、ふと思い出したことがあった。
(たしか「気になる幼女がいる」みたいなことをデートのときに言っていたわ)
気づいたらつい、そのときの記憶を口にしていた。
「幼女」
「はい? ……ああ、あのときの。そうですね。はい、その通りです」
単語だけで、ジュディが何を言わんとしたのか悟ったらしい。ステファンは実に苦い顔で頷いている。
ラインハルトが「なに?」と興味津々といった様子でステファンの顔をのぞきこんだ。ステファンは、鬱陶しそうにそそっぽを向いた。
「こっちの話だ、お前には関係ない。幼女の世話で忙しいってそれだけの話」
「幼女?」
きょとんとしたラインハルトに構わず、ステファンは目を瞑って黙殺。
ジュディの横で、フィリップスが前触れなく立ち上がった。「そのへん歩いてくる」と言い捨てて、通路に出て行く。ひとりで行かせるわけにはいかないと、ジュディも立ち上がりかけたが、その動きを制してラインハルトが立った。
「お手洗いかもしれませんので、俺がついていきます。奥方は待っていてください」
にかっと爽やかに笑って、背を向ける。その所作には無駄がなく、洗練されていた。自由奔放な振る舞いをしていても、やはり彼もまた宮廷人なのだ。
残されたジュディは、ほっとため息をついて椅子に座り直し、いつも以上に気を揉んで疲れていそうなステファンに目を向ける。
まさにそのとき、ジュディを見ていたステファンと目が合った。
「その……、幼女さんとはうまくいってます?」
どこの誰だかわからないなりに、ジュディは気になっていたことを尋ねてみた。
ステファンの美しいまなざしが、不意にくもって精彩を欠く。
「どうなんですかね。悪くはないと思いますけど、良くなる必要もないので……」
そこで言葉を区切り、盛大なため息をついてから独り言のように呟いた。
「情報収集の必要があって、女性と話すことが多いのは事実です。噂になることもあります。でもそれは、閣下の不得意分野というか、あのひとがやらないことを俺がやっているだけです。閣下には閣下の仕事があり、立場の問題や時間的制約もあるから、俺がそういった役回りなのはべつに良いんですけど……、一途でいられるなら俺だってそうしたい。べつに不特定多数の女性に興味があるわけじゃないんです。一人で十分なんです。そのへん、誤解しないでください」
全然目も合わせず、聞かせる風でもない早口であったが、最終的にジュディに語りかける形で終わった。
幼女さんのことですか? とは、聞ける雰囲気ではない。
会話をしたいわけではなく、求めているのはおそらくジュディの同意のみだ。
ジュディは「わかります」という意味で力強く頷いた。
「普段のステファンさんを見ていれば、好色だなんて思いません。一途でいたいというのも、真実なのでしょう。あなたは、そのまま自分の信じるところを貫いてください。世間にどんな噂があろうと、私は目の前のあなたを信じます」
誤解など、する余地がない。
こんなにも身近で、日々語り合っているのだから。
ステファンは依然として瞳の精彩を欠いたまま、口の端を吊り上げて、薄く笑った。
そして「なんでこんな馬鹿みたいに一途なんだろって思います。自分で自分が嫌になる」と本当の独り言のように呟いた。
* * *
ガウェインの執務室に大量のタブロイド「デイブレイク」を持参したアルフォンスは、顔に青筋を立てているガウェインを見て動きを止めた。
「わぁ……?」
怒りのオーラが青白い火花となって迸っている。目に入ってきたのは、そんな光景であった。
秘書官であるヴァランタンが、アルフォンスの手から古紙を受け取りながら耳打ちをする。
「兄さん、って。『フィリップス殿下』が遊びに来たんです。午前中いっぱい。『ガウェイン兄さんに摂政《リージェント》して欲しいなぁ、俺には政治はまだ無理なので』ってかわいらしく言いながら」
「わぁ」
その場にいなくて良かった、とアルフォンスは心の底から思う。
残り火の怒りだけで、ガウェインは簡単にひとを焼き尽くしてしまいそうである。当人を前にしても、抑制したりはしなかったに違いない。
巻き込み回避に胸を撫で下ろすアルフォンスに対し、ペンを握りしめたままガウェインが言った。
「義兄さん、新聞、ありがとうございます」
「ん。どういたしまして」
「義兄さん。……はぁ。自分で言うのは全然構わないのに、言われるのは本当にむかつきますね。誰がお前の兄さんだっていうんだ。そんなに俺を兄貴にしたいなら、さっさと生きているフローリー公を連れて来いって言うんだ。望むところだ」
いつになく低音でぶつぶつと言うガウェインを前に「私もまだ閣下の義兄というわけでは」という言葉を、アルフォンスは気合で飲み込んだ。
いまはどうあれ、それは確定した未来のはずだ。ジュディとガウェインが結婚するのは。
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