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第七章
Highness
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ジェラルドが王子の立場入れ替えからの乗っ取りを「戦争」だと捉えているのであれば、たしかに初手でフィリップスは敗北を喫している。
戦争を仕掛けられていることに、気付いてすらいなかったのだから。
(戦争は知らないうちにある日始まっている……。後から思えばその兆候には気づけたはずなのに、相手にも自分たちと同じ価値観が共有されているとの素朴な思い込みから、最初に「宣戦布告」があるはずだと信じてしまうために)
いきなり刺されることを、想定していない。
互いに尊重しあい、ルールを確認しあってその中で戦うはずだと、考える。
それは、国際的な協定がいくつも結ばれたこの時代の人間の考え方から逸脱していないが、戦争をするつもりの相手に期待することではないのだ、とジュディはこのとき肌がひりつくほどに実感した。
ジュディは、ジェラルドによって突然馬車を急襲されて攫われた。助けに来たガウェインは、その場でジェラルドと「どうして」という会話すらしなかった。
悪事を犯すと決めた相手の言い分には、もはや耳を貸す必要はないのだと。
「ステファンさん。あのひとを押さえてください!」
ジュディが気づいたのと、ステファンが動いたのはほとんど同時だった。
(ジェラルドの饒舌に「親交を深める」「わかり合う」目的なんてあるはずがないのよ! せいぜいこれは、時間稼ぎ程度の意味しかなくて!)
ステファンの手が届くより先に、ジェラルドはドアから廊下へと飛び出す。追いかけてステファンも走り、ジュディも後に続いて部屋の外へと踏み出した。
「行ってください!」
ステファンに追撃を任せれば別行動になるが、ジュディの安全は二の次だ。そして、ジュディにもやらねばならないことはある。
(全部が嘘ではない可能性もある。ジェラルドの目的が本当にアルシア様なら? 会うだけで終わるはずがない。絶対にそれ以上の思惑がある……!)
もしフローリー公が背後にいるのなら、誘拐を企てているかもしれない。あるいは、入れ替え劇に際して、アルシアを憎む王妃と密約を交わしている恐れもある。
拒みにくい名目で強引にアルシアの元を訪れ、その屋敷の内部へと潜入した後は、目的のために手段を選ばず、暴挙に及ぶ。
これは、戦争の最中の出来事。
ジェラルドを追うステファンを見て、ジュディは反対方向に走り出す。何か起きているのなら、おとなしくしていても無駄だと声を張り上げて叫んだ。
「アルシア様! ご無事ですか!! フィリップス様も、返事をなさってください!!」
こんなときに、ひとりも屋敷の者とすれ違わない。
手当たり次第に、ドアをノックすることにした。
「開けてください!! 火事です!! 逃げてください!!」
ただ騒いだだけではやり過ごされるかもしれないと、ジュディはとっさに無視できない文言を挟み込みながら、続けて二部屋め、三部屋めとドアを叩き続ける。
がちゃがちゃと騒がしい音がして、「先生!」と廊下に出てきたのはフィリップス。
(良かった、無事で!)
ラインハルトがついているので心配はしていなかったが、ほっとする。その一方で、目指す相手はアルシアなので気を抜けないまま叫んだ。
「アルシア様は!?」
「俺はあの後、会っていない。というか、火事ってなんだ。ジェラルドに火をつけられたのか?」
さらりと返されて、ジュディは「あーっ!」と叫んだ。
「する? 本当にすると思います? 殿下がそう言うならしますかね、どうしましょう、一旦外へ退避しましょう!!」
ばし、と両肩に両手を置かれた。フィリップスが、困った表情をして言う。
「落ち着け。火事でないなら落ち着け。何があった?」
「ジェラルドが私の部屋に来たんです! これは戦争だぞって。殿下はお怪我はないですか? 何もひどいことされてません? ああもう悔しい。普通に会話するつもりで会話しちゃいました。絶対あれ時間稼ぎですよ……!」
ひとしきり全力で訴えかけてから、ジュディはフィリップスの顔をまじまじと見上げた。
「まずは殿下の無事が確認できて良かったです。ステファンさんはジェラルドを追っていますので、戻って来ないでしょう。ひとまず私がお側についていますから。腕っぷしはないですけど足には多少の自信が」
大変真面目に話していたのに、フィリップスに遠い目をされていることに気づいて「なんですか?」と威厳を持って問い質してみた。
フィリップスは「いや……」と答えてから、ジュディと視線を合わせて呟いた。
「『殿下』久しぶりだなと。最近、先生もステファンたちも気を使ってあまり王宮を思い起こすような言葉を口にしないようにしていただろ。俺はまだお前らの中では『殿下』なんだなって、思った」
言われた内容がじわっと心に沁みて、ジュディはあわわわわと慌てだす。
「つ、罪深い。本当にそうですね。気を使っているつもりでしたけど、それが殿下のお気持ちに疑念を与えてしまっていましたか。すみません。私にとって殿下は殿下ひとりです!」
「ややこしいな」
ざっくりと切り捨てるように言われて、ジュディはなおも言い訳を続けようとしたが、口を閉ざした。
フィリップスが、笑っている。
以前よりも少しだけ弱々しいが、ぱっと辺りが華やぐような気品を漂わせて。
その背後には、ニカッと笑っているラインハルトがいて、何人か屋敷の者たちも集まり始めていた。火事? という会話に、ラインハルトが「火災訓練です」と適当な返事をしている。
「……ああ、本当にすみません。騒いでしまって。ジェラルドにまた変なことをされたらと思うと、居ても立っていられなくて」
「それでいいよ。向こうはこちらに遠慮しないんだ。こちらも手をこまねいているくらいなら、無駄撃ちになるとしてもやることはやった方が良い。それこそ、先生が騒いだおかげで、今まさに中断した計画だってあるかもしれない」
反省しきりのジュディに対してフィリップスは、鷹揚にそう答えた。
そして、廊下の先に視線を投げかけながら、低い声で呟く。
「やられっぱなしで、終わるものか」
ジュディがその言葉に反応するより先に、フィリップスはふいっと風を切るように歩きだし、人に指示をするのに慣れた口調で告げた。
「まずはアルシア様の安全を確保しよう。むざむざやられる方だとは思わないが、あいつらは何をするかわからない」
戦争を仕掛けられていることに、気付いてすらいなかったのだから。
(戦争は知らないうちにある日始まっている……。後から思えばその兆候には気づけたはずなのに、相手にも自分たちと同じ価値観が共有されているとの素朴な思い込みから、最初に「宣戦布告」があるはずだと信じてしまうために)
いきなり刺されることを、想定していない。
互いに尊重しあい、ルールを確認しあってその中で戦うはずだと、考える。
それは、国際的な協定がいくつも結ばれたこの時代の人間の考え方から逸脱していないが、戦争をするつもりの相手に期待することではないのだ、とジュディはこのとき肌がひりつくほどに実感した。
ジュディは、ジェラルドによって突然馬車を急襲されて攫われた。助けに来たガウェインは、その場でジェラルドと「どうして」という会話すらしなかった。
悪事を犯すと決めた相手の言い分には、もはや耳を貸す必要はないのだと。
「ステファンさん。あのひとを押さえてください!」
ジュディが気づいたのと、ステファンが動いたのはほとんど同時だった。
(ジェラルドの饒舌に「親交を深める」「わかり合う」目的なんてあるはずがないのよ! せいぜいこれは、時間稼ぎ程度の意味しかなくて!)
ステファンの手が届くより先に、ジェラルドはドアから廊下へと飛び出す。追いかけてステファンも走り、ジュディも後に続いて部屋の外へと踏み出した。
「行ってください!」
ステファンに追撃を任せれば別行動になるが、ジュディの安全は二の次だ。そして、ジュディにもやらねばならないことはある。
(全部が嘘ではない可能性もある。ジェラルドの目的が本当にアルシア様なら? 会うだけで終わるはずがない。絶対にそれ以上の思惑がある……!)
もしフローリー公が背後にいるのなら、誘拐を企てているかもしれない。あるいは、入れ替え劇に際して、アルシアを憎む王妃と密約を交わしている恐れもある。
拒みにくい名目で強引にアルシアの元を訪れ、その屋敷の内部へと潜入した後は、目的のために手段を選ばず、暴挙に及ぶ。
これは、戦争の最中の出来事。
ジェラルドを追うステファンを見て、ジュディは反対方向に走り出す。何か起きているのなら、おとなしくしていても無駄だと声を張り上げて叫んだ。
「アルシア様! ご無事ですか!! フィリップス様も、返事をなさってください!!」
こんなときに、ひとりも屋敷の者とすれ違わない。
手当たり次第に、ドアをノックすることにした。
「開けてください!! 火事です!! 逃げてください!!」
ただ騒いだだけではやり過ごされるかもしれないと、ジュディはとっさに無視できない文言を挟み込みながら、続けて二部屋め、三部屋めとドアを叩き続ける。
がちゃがちゃと騒がしい音がして、「先生!」と廊下に出てきたのはフィリップス。
(良かった、無事で!)
ラインハルトがついているので心配はしていなかったが、ほっとする。その一方で、目指す相手はアルシアなので気を抜けないまま叫んだ。
「アルシア様は!?」
「俺はあの後、会っていない。というか、火事ってなんだ。ジェラルドに火をつけられたのか?」
さらりと返されて、ジュディは「あーっ!」と叫んだ。
「する? 本当にすると思います? 殿下がそう言うならしますかね、どうしましょう、一旦外へ退避しましょう!!」
ばし、と両肩に両手を置かれた。フィリップスが、困った表情をして言う。
「落ち着け。火事でないなら落ち着け。何があった?」
「ジェラルドが私の部屋に来たんです! これは戦争だぞって。殿下はお怪我はないですか? 何もひどいことされてません? ああもう悔しい。普通に会話するつもりで会話しちゃいました。絶対あれ時間稼ぎですよ……!」
ひとしきり全力で訴えかけてから、ジュディはフィリップスの顔をまじまじと見上げた。
「まずは殿下の無事が確認できて良かったです。ステファンさんはジェラルドを追っていますので、戻って来ないでしょう。ひとまず私がお側についていますから。腕っぷしはないですけど足には多少の自信が」
大変真面目に話していたのに、フィリップスに遠い目をされていることに気づいて「なんですか?」と威厳を持って問い質してみた。
フィリップスは「いや……」と答えてから、ジュディと視線を合わせて呟いた。
「『殿下』久しぶりだなと。最近、先生もステファンたちも気を使ってあまり王宮を思い起こすような言葉を口にしないようにしていただろ。俺はまだお前らの中では『殿下』なんだなって、思った」
言われた内容がじわっと心に沁みて、ジュディはあわわわわと慌てだす。
「つ、罪深い。本当にそうですね。気を使っているつもりでしたけど、それが殿下のお気持ちに疑念を与えてしまっていましたか。すみません。私にとって殿下は殿下ひとりです!」
「ややこしいな」
ざっくりと切り捨てるように言われて、ジュディはなおも言い訳を続けようとしたが、口を閉ざした。
フィリップスが、笑っている。
以前よりも少しだけ弱々しいが、ぱっと辺りが華やぐような気品を漂わせて。
その背後には、ニカッと笑っているラインハルトがいて、何人か屋敷の者たちも集まり始めていた。火事? という会話に、ラインハルトが「火災訓練です」と適当な返事をしている。
「……ああ、本当にすみません。騒いでしまって。ジェラルドにまた変なことをされたらと思うと、居ても立っていられなくて」
「それでいいよ。向こうはこちらに遠慮しないんだ。こちらも手をこまねいているくらいなら、無駄撃ちになるとしてもやることはやった方が良い。それこそ、先生が騒いだおかげで、今まさに中断した計画だってあるかもしれない」
反省しきりのジュディに対してフィリップスは、鷹揚にそう答えた。
そして、廊下の先に視線を投げかけながら、低い声で呟く。
「やられっぱなしで、終わるものか」
ジュディがその言葉に反応するより先に、フィリップスはふいっと風を切るように歩きだし、人に指示をするのに慣れた口調で告げた。
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