王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
87 / 107
第七章

名を奪われた者の視線の先

しおりを挟む
 ジェラルドを追いかけてきた従者が「殿下、どこへ行かれたかと」と慌てふためいた顔で呼びかける。
 それから、対峙しているフィリップスに気付いてばつの悪そうな顔をした。

 ジェラルドは、ステファンとの格闘で乱れた立ち襟スタンドアップ・カラーを指で弄りながら従者へ向かって「なんでもない。行こう」と愛想よく笑顔で答える。
 その様子を、フィリップスは無言で見つめていた。

(すっかり立場を奪われていますね。ガウェイン様が王宮内で執務を続けていても、ジェラルドの入れ替えに関する流れは食い止められないのでしょうか)

 彼が、何もしていないわけがない。いずれフィリップスが帰ってくることを前提に動いていると、ジュディは信じている。
 一方で、ガウェインが実際的な人物であるのも確かで、その一点において現行その場に居る者を「殿下」として扱っているのも想像に難くないのだった。ガウェインひとりが彼を無視をしたり、認めなかったとしても、仕事が滞るだけなのだから。

 彼の性格を考えれば、飄々とした態度でジェラルドにつかず離れず、その様子を悪魔的な用心深さで観察していると考えるのが自然かもしれない。
 拒絶ではなく、まず知らなければ、対策も立てようがないのだと考えて。

 ジュディもまた、今はこの場で自分のできることをしてみようと思い立つ。まずはジェラルドに話しかけて、彼を知るのはどうか、と考えた。
 その矢先に、フィリップスが立ち去ろうと背を向けたジェラルドに声をかけた。

「ジェラルド」

 ジェラルドは無表情に振り返った。
 自分を見つめるフィリップスと視線を交わすと、ゆっくりと相好を崩して破顔する。

「教えてあげよう。僕の名前はフィリップスだよ。そしてお前は名無しだ。それが嫌なら僕が名前をつけてあげようか。さて、何が良いか」

 友好的と勘違いしそうなほど、魅力的な笑顔で挑発的なことを口にした。

(実質の勝利宣言。嫌味が本当に嫌味だわ)

 ガウェインに似た面影を持つ者に、こうも皮肉っぽく話されると、ジュディとしても言い知れぬ苦痛がある。
 その横で、フィリップスは軽く眉をひそめ、澄んだ声で返した。

「さっきから襟が気になっているようだが、白いシャツは着慣れないんじゃないか? 無理をせず、従者の手を借りたらどうだ」

 すぅっと、劇的なまでにジェラルドの顔から表情がかき消えた。
 瞳には怒りが迸り、今にも向かってきそうな気迫が溢れ出す。
 その目覚ましい変化を目の当たりにし、殺気にあてられて、ジュディはぴくりとも動けぬまま息を止めてしまった。

(殿下、いまのは東地区での生活をあてこすりましたね。さすがに相手の泣き所をご存知で!)

 ジェラルドの直接的な嫌味に対して、たった一言で実にスマートに煽り返している。
 白いシャツは着慣れないんじゃないか? とは。

 貴族階級では以前、格子柄や縦縞の柄の入ったシャツがお洒落とされて流行った時期がある。しかし、流行は廃れていまは白く糊のきいたシャツが主流となった。
 一方で、柄シャツは現在平民階級で流行となっている。理由は簡単で、汚れが目立ちにくいからだ。
 フィリップスがジェラルドに言ったのは、つまり「馬子Clothesにもmake衣装the manとは言うが」ということで、その衣装が似合っていない、貴族の服が様になっていないと煽ったのだ。

「まだ立場がわかっていないようだな。殴られ足りなかったのか?」

 顔色を失って脅すように悪態をついてきたジェラルドに対し、フィリップスはあははは、と軽やかに声を立てて笑った。

「それはお前じゃないのか。ステファンにずいぶんしてやられたみたいだが、そんなに弱かったのか? それでよく東地区で頭張ろうとしていたよな。お前ほど弱い奴に、誰がついてくるんだ。案外、向こうでうまくいかなくて王宮に転がり込んできたんじゃないか? 王宮の面々はお前に優しいか?」

 畳み掛けるように言って、笑い飛ばしながらフィリップスはとどめのように言った。

「優しくしてもらえて良かったな。お前が生き生きしていて俺も嬉しいよ。潰し甲斐がある」

 言い終えたときには、すでにその顔から笑みが消えていた。
 恐ろしく真剣な目で、ジェラルドを見据えて唇を引き結ぶ。
 その表情が、どんな言葉よりも雄弁に彼の心の内を語っていた。

 その悔しさを。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜

涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください 「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」 呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。 その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。 希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。 アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。 自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。 そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。 アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が…… 切ない→ハッピーエンドです ※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています 後日談追加しました

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

いつまでも甘くないから

朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。 結婚を前提として紹介であることは明白だった。 しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。 この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。 目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・ 二人は正反対の反応をした。

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

【書籍化決定】愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

処理中です...