91 / 107
第七章
素朴な疑問
しおりを挟む
通路は、レストラン内のアルシアのための席に直通だった。
個室として区切られており、正面から舞台がよく見える。
ジュディは、屋上露天風呂の男性陣のことは、気にしても仕方ないと忘れることにした。仲良くしてくれていると、信じるしかない。望み薄ではあったが。
クロスのかかった丸テーブルにアルシアと並んで座り、果実酒で喉を潤しながら、まだ何も始まっていない舞台を眺めつつのオペラ談義となる。
「オペラの筋立てって、悲恋が多いですよね。気の所為ではないと思います。もちろん恋愛成就や大団円もありますけど、初見の舞台は下調べが必須かと思います。不倫と愛憎の果てに全員死亡エンドなんてのもありますし」
グラスを傾けていたアルシアは、ジュディの語る内容にうんうんと頷く。
「わかるわ。決闘、毒薬、すれ違い、裏切り。重いわよね。この場は、食事をしながらだからなるべく明るい演目をお願いしているけれど。悲劇も人気はあるから、たまになら良いかなと……悩ましいところなの。客入りが読めないわ」
経営者らしく頭を抱える様子を見て、ジュディは何気なく尋ねた。
「アルシア様のお好きな作品なんですか?」
ちらっとアルシアはジュディに物言いたげな視線を流す。
そして、ぼそりと言った。
「不倫にまつわる愛憎は勘弁ね。私と夫とフローリー公の話はどこまで聞いているの?」
果実酒を口に含んでいたら、まちがいなく悲惨なことになっていた。ジュディは辛くもその難を逃れ、掴みかけていたグラスから手を引っ込めると、アルシアを見つめて慎重に答えた。
「再婚だと、聞いています。フローリー公が生死不明になったあと、一年以上時間を置いてジュール前侯爵と結婚なさったと」
「そうね。その通りよ。それなのに、ガウェインは夫ではなくフローリー公の子ではないかという噂が立った。噂は……、意図的に流されたものだとは思うけれど、そのせいで夫も私もずいぶん振り回されたものよ。私たち夫婦は、ガウェインにずいぶんみっともない姿を見せてしまった。彼が結婚に興味関心がないのは、育った環境の影響だと思っていたもの。結婚するって知らせがあって、驚いちゃった」
アルシアは、あまり酒に強くないのかもしれない。
すっきりとした美貌を朱に染めて、瞳を潤ませながら笑っている。泣き笑いのようにも見えた。
「そして因果は巡る――なのかしら。再婚だと。ガウェインが選んだあなたに文句をつける気はないわ。ただ、心配なの。私は長いこと夫の信頼を得ることができなかった。あなたは……」
唇を噛み締めて、絶句してしまったアルシア。
その様子を見ていられず、ジュディは告白した。
「私は白い結婚と言いますか、その、結婚当初から夫となった方には別に大切な女性がいまして。その方と結ばれるためには、私との間に子供ができては困るというのが元夫の言い分でした。私もそこで食い下がる気はまったくなくて、ですね。寵愛を競うですか、そういったこともまったく考えませんでした」
「嘘ぉ。そんなこと言っても、とりあえず手は出すものじゃないの?」
あけすけと言い返されて、今度はジュディが絶句した。
(手を……出されませんでした!)
言って良いものか。自分のプライドや体面など些細なことを気にするくらいなら、いっそ全部言ってすっきりしたほうが良いのではないか。完全に嘘偽りなく白い結婚だったのは間違いない、と。
短い間にジュディは悩みに悩み、打ち明けることを決意した。
しかし、先に口を開いたのはアルシアだった。
「ガウェインは? どうなの?」
答えにく過ぎる質問である。
それでも、ジュディはなんとか努力して正確なところを伝えようとした。
「あの……ガウェイン様とはですね……、一緒に暮らしているわけですから」
「でも、前の方とも一緒に暮らしていて、何もなかったのよね?」
追い詰める意図ではないと思うものの、地味にダメージが大きい。
ジュディはひとまず、グラスの果実酒をあおった。
自分を鼓舞して、なんとかアルシアの質問に答えようと居住まいを正す。
そのとき、アルシアの側仕えが控えめに近づいてきて、アルシアに耳打ちをした。
来客があります、と告げたようだった。
個室として区切られており、正面から舞台がよく見える。
ジュディは、屋上露天風呂の男性陣のことは、気にしても仕方ないと忘れることにした。仲良くしてくれていると、信じるしかない。望み薄ではあったが。
クロスのかかった丸テーブルにアルシアと並んで座り、果実酒で喉を潤しながら、まだ何も始まっていない舞台を眺めつつのオペラ談義となる。
「オペラの筋立てって、悲恋が多いですよね。気の所為ではないと思います。もちろん恋愛成就や大団円もありますけど、初見の舞台は下調べが必須かと思います。不倫と愛憎の果てに全員死亡エンドなんてのもありますし」
グラスを傾けていたアルシアは、ジュディの語る内容にうんうんと頷く。
「わかるわ。決闘、毒薬、すれ違い、裏切り。重いわよね。この場は、食事をしながらだからなるべく明るい演目をお願いしているけれど。悲劇も人気はあるから、たまになら良いかなと……悩ましいところなの。客入りが読めないわ」
経営者らしく頭を抱える様子を見て、ジュディは何気なく尋ねた。
「アルシア様のお好きな作品なんですか?」
ちらっとアルシアはジュディに物言いたげな視線を流す。
そして、ぼそりと言った。
「不倫にまつわる愛憎は勘弁ね。私と夫とフローリー公の話はどこまで聞いているの?」
果実酒を口に含んでいたら、まちがいなく悲惨なことになっていた。ジュディは辛くもその難を逃れ、掴みかけていたグラスから手を引っ込めると、アルシアを見つめて慎重に答えた。
「再婚だと、聞いています。フローリー公が生死不明になったあと、一年以上時間を置いてジュール前侯爵と結婚なさったと」
「そうね。その通りよ。それなのに、ガウェインは夫ではなくフローリー公の子ではないかという噂が立った。噂は……、意図的に流されたものだとは思うけれど、そのせいで夫も私もずいぶん振り回されたものよ。私たち夫婦は、ガウェインにずいぶんみっともない姿を見せてしまった。彼が結婚に興味関心がないのは、育った環境の影響だと思っていたもの。結婚するって知らせがあって、驚いちゃった」
アルシアは、あまり酒に強くないのかもしれない。
すっきりとした美貌を朱に染めて、瞳を潤ませながら笑っている。泣き笑いのようにも見えた。
「そして因果は巡る――なのかしら。再婚だと。ガウェインが選んだあなたに文句をつける気はないわ。ただ、心配なの。私は長いこと夫の信頼を得ることができなかった。あなたは……」
唇を噛み締めて、絶句してしまったアルシア。
その様子を見ていられず、ジュディは告白した。
「私は白い結婚と言いますか、その、結婚当初から夫となった方には別に大切な女性がいまして。その方と結ばれるためには、私との間に子供ができては困るというのが元夫の言い分でした。私もそこで食い下がる気はまったくなくて、ですね。寵愛を競うですか、そういったこともまったく考えませんでした」
「嘘ぉ。そんなこと言っても、とりあえず手は出すものじゃないの?」
あけすけと言い返されて、今度はジュディが絶句した。
(手を……出されませんでした!)
言って良いものか。自分のプライドや体面など些細なことを気にするくらいなら、いっそ全部言ってすっきりしたほうが良いのではないか。完全に嘘偽りなく白い結婚だったのは間違いない、と。
短い間にジュディは悩みに悩み、打ち明けることを決意した。
しかし、先に口を開いたのはアルシアだった。
「ガウェインは? どうなの?」
答えにく過ぎる質問である。
それでも、ジュディはなんとか努力して正確なところを伝えようとした。
「あの……ガウェイン様とはですね……、一緒に暮らしているわけですから」
「でも、前の方とも一緒に暮らしていて、何もなかったのよね?」
追い詰める意図ではないと思うものの、地味にダメージが大きい。
ジュディはひとまず、グラスの果実酒をあおった。
自分を鼓舞して、なんとかアルシアの質問に答えようと居住まいを正す。
そのとき、アルシアの側仕えが控えめに近づいてきて、アルシアに耳打ちをした。
来客があります、と告げたようだった。
6
あなたにおすすめの小説
離宮に隠されるお妃様
agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか?
侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。
「何故呼ばれたか・・・わかるな?」
「何故・・・理由は存じませんが」
「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」
ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。
『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』
愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
白い結婚はそちらが言い出したことですわ
来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!
【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜
涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください
「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」
呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。
その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。
希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。
アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。
自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。
そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。
アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が……
切ない→ハッピーエンドです
※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています
後日談追加しました
初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。
ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。
大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。
だが彼には婚約する前から恋人が居て……?
いつまでも甘くないから
朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。
結婚を前提として紹介であることは明白だった。
しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。
この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。
目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・
二人は正反対の反応をした。
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる