王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
107 / 107
第八章

宰相閣下の仮面

しおりを挟む
 ガウェインが帰宅したのは、深夜だった。

 部屋の中を歩き回るかすかな足音で、ジュディは目を覚ます。
 彼はすでにジュディが寝ているものとして、気を遣っているのだろう。手にしているらしい灯りは最小限だ。遅くなったときのガウェインは、着替えも湯浴みも別室で済ませてくる。そのまま静かにベッドに入って、ジュディの隣で朝までのわずかな時間、眠るのだ。そういうところがとても優しいな、と思う。

(私があなたのその睡眠の邪魔をしてはいけないと、わかってはいるつもりなのですが……)

 ジュディは、読みかけの本を手にしたままベッドではなくソファで眠っていた。
 起きている必要はないと言われるのはわかっていたが、今朝はろくに話す時間もなかった。夜も顔を合わせなければ、一緒に暮らしているのにまったく話さないで一日が終わってしまう。
 それが寂しくて、ぐずぐずと待っているうちに寝てしまったらしかった。

 ジュディの位置から、燭台を手にしているガウェインの姿は確認できたが、テーブルのローソクは燃え尽きており、ジュディの周りは闇に包まれている。
 この暗がりから声をかけたら驚くかしら? とジュディが考えたのとガウェインがベッドにたどりついたのが同時だった。

「……ジュディ?」

 ベッドに姿がないことに気づいたらしく、不安げな声が響く。
 驚かせてはいけないと思いながら、ジュディは闇の中からひそやかな声で呼びかけた。

「私はここです、ガウェイン様」

 弾かれたように、ガウェインが振り返る。その俊敏さに、ジュディは目を瞠った。

(やっぱり、武芸に秀でている方だけあるわ。声をかける前に侵入者に間違われていたら、大怪我をしていたかも)

 ソファの上で身を起こしている間に、ガウェインが滑るような足取りで近づいてきて、燭台の灯りでジュディの姿を確認した。

「ソファで寝ていたの?」
「淑女にあるまじき行動というのはわかっているのですが、本を読んでいるうちに居眠りをしたようです」

 ガウェインは燭台を近場のテーブルに置くと、ソファに腰を下ろした。自然な仕草でジュディを抱き寄せながら「愛しい人」と囁き、口づけてくる。逃がすまいとするかのように、すぐに後頭部を手でがっちりと掴まれた。口づけは深くなり、ジュディは起き上がったばかりのソファに押し倒された。
 胸を押し返そうと手をねじ込めば、手首を掴まれて、ため息をつかれてしまう。

「……なぜ人間には理性があるんだ」
「必要だからだと思います」

 呻くようなガウェインの問いかけに対し、ジュディはいつも通りの返事をする。さらに、念押しのように付け加えた。

「あなたはこの国でいま、もっとも理性的な判断力が必要とされている宰相閣下とお見受けします。大丈夫ですよ、体を起こせばすぐにいつもガウェイン様です。さあ、まずはその手を離して」

「恐ろしい暗示をかけようとしているな。いいだろう、乗っておく。いまの俺には『有能な宰相閣下』の仮面が必要だ。君の前でも被っておくよ」

 挑戦的な口調で言いながら、ガウェインはジュディの背を支えて抱き起こした。並んで座る形になり、ジュディは乏しい灯りの中でその超然とした横顔をしげしげと見つめた。

(きつく言い過ぎたかしら? お疲れの中、せっかく屋敷に帰ってきたのに、寛ぐことも許さないなんて)

 自分は彼に緊張感ばかりを与える存在になっているのではないか――そう危惧するジュディに、ガウェインはちらっと視線を流してきた。そのまま、耳元に唇を寄せて囁いてくる。

「さすがにベッドに入ったら仮面は外すよ」
「ああ……裸で寝るのがお好きですもんね」
「健康に良いよ。君もそうするといい」

 ちゅ、と耳にキスをしてから、ガウェインはふと何かに気づいたように正面に向き直った。
 ローテーブルの上に、書類が数枚重ねて置いてある。

「勉強?」

「そうとも言えるかもしれませんね。今日、ヴィヴィアンさんに聞いたことを復習していました。ガウェイン様を狙っているご令嬢及びそのご家庭、背後関係についてだそうです。狙っているというのは、妻の座ですよ。そのことによって、私は命を狙われているかもしれませんが」

「見てもいいか?」

「どうぞ。何か訂正すべきところや、付け加える点がありましたらご教示ください」

 ジュディの答えを待って、ガウェインは書類を手にした。ジュディは燭台を持ち上げて、ガウェインの手元を照らし出す。「ありがとう」と言いながらガウェインは文字列に視線をすべらせ、紙を繰った。

「……なるほど。挙がっている名前は予想通りだが、補足情報は観点がいいね。俺も見落としていたようなことがあって、勉強になる。特に、ご令嬢たちの父親の事業と王宮内の派閥までカバーしているのは素晴らしい。この辺何人か、クラブに引き込みたいな。俺が娘婿としてついてこなくても、俺とのつながりがあれば十分と考えている紳士たちも中にはいるはずだ」

「クラブですか?」

 初耳の言葉にジュディが食いつくと、ガウェインはさらっと答えた。

「紳士の集う社交場を作ろうと考えている。『金曜会』のようなものだ。出入りは金曜日に限らず自由、ただし女性の立ち入りは禁止。家柄や財産を含め、厳しい基準をクリアした優秀な『男性』だけが会員になれる」

 きっぱりと言われて、ジュディは「あら」と少しばかり鼻白む。
 優秀さに関しては男性も女性も無いのではないかという気がしたし、家柄を重視するというのも時代に逆行していく考えのように思えた。
 だが、ガウェインには何か考えがあるのだろうと、すぐにそれを口にすることなく考えてみる。
 それを見越していたかのように、ガウェインは紙から顔を上げて、ジュディを見つめて口を開いた。

「たとえば会員の基準に『上院もしくは下院のいずれかに所属する議員であること』という基準はありだと思っている。貴族も平民も一堂に会することが、理論上は可能だ。このまま選挙法が変わっていけば、女性もいずれは議員になるだろう。ただし、クラブの立ち入りは禁止、そこは譲れない。理由は、家庭のある男性にも気兼ねなく来て欲しいから。優秀な女性との会話が刺激的なのは、俺にだってわかるよ。なにしろ俺には君がいる。だが、尊敬できる優秀な女性である君がその場に出入りし、他の男性たちと交流をしている姿を見るのは、心情的に辛いものがある。だからといって『俺はこれからクラブで他の優秀な女性から刺激を受けてくるけど、君は屋敷で留守番をしていて』とは言いたくない。どう? 君はそれを俺に言われたとき、どんな気分になる?」

 淡々と説明をされて、ジュディは理屈よりも先に心で理解した。

「そう言われてしまうと、その通りですね。私は、夜会に参加すれば慣例で他の男性とダンスすることもあります。同様に、そのクラブの場では男女で刺激的な会話をするのが礼儀とあらば、ガウェイン様に雛鳥のようにつきまとうわけにもいきませんので、自分なりに交流を持とうとすると思います。私よりも積極的な女性は、喜んでそうなさるかもしれません……。やましいことではないからと、大胆にガウェイン様の正面に立ち、論争をふっかけるかも。それをパートナーである私が目の当たりにするのも少々しんどいですが『そういう場だから、君は留守番で』と言われてしまうのも面白くはないです」

 そうそう、とガウェインは頷いた。

「おそらく、多くの男性のパートナーである女性たちも、そう考えるのではないかと思う。その場合、快く男性を送り出しにくいだろう? クラブに行くと言って、家を顧みず浮気のひとつやふたつ……なんて疑いもするだろうし。実際、恋愛のいざこざもハニートラップもあるだろう。それは、どう考えても面倒だ。だから紳士のクラブには女性が禁止。君はこれを女性差別だと思うか?」

 差別という強い言葉を使われて、ジュディは一瞬緊張したものの、ゆるく首を振った。
 ガウェインはそこで話題を変えて「それもこれもね」と続けた。

「情報というのは、戦略上非常に大切なものだ。メディアを押さえられるというのは、相手方に軍隊を掌握されるくらいの脅威となると、最近の件でよくわかったばかりだから。国内最大有力紙『パブリッシュ』の買収とかね。あれを阻止できなかったのは痛かった。こちらも、このまま手をこまねいているわけにはいかない。有力者を直接押さえに行く必要がある」

「ですが、ガウェイン様のいまの微妙なお立場では……」

 表立ってひとを集めるのは難しいのでは。
 そう言おうとしたジュディに対し、ガウェインは破顔して答えた。

「とても信頼できる相手が発起人として世間に対して名前を出し、客寄せとなってくれると約束してくれた。俺はその人物については、あまり心配していない。外国暮らしが長かったらしいのが、少し気になってはいるけど。スパイを引き受けるには十分な期間のようだから。そこさえ目を瞑れば、一見すると俺とは血縁でもなく関係ないが、誰が見ても背後に俺がいるのが明白。そういう素晴らしい人物だ」

「すごい! いい方を見つけましたね!」

 ガウェインに頼りになる味方がいると聞いて、ジュディは声を弾ませて言う。
 にこにこと笑ったガウェインは「そうなんだ、それもこれもすべて君のおかげだ、ありがとう」と過剰な謝辞を述べながらジュディを抱き寄せてキスをし、そのまま再びソファに押し倒す。

 すぐに、先程と同じことをしていると気づいたようで、がばっと起き上がると「だめだ、続きはベッドで」と言って、ジュディを抱え上げてベッドへ急ぐのだった。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜

涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください 「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」 呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。 その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。 希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。 アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。 自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。 そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。 アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が…… 切ない→ハッピーエンドです ※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています 後日談追加しました

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

いつまでも甘くないから

朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。 結婚を前提として紹介であることは明白だった。 しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。 この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。 目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・ 二人は正反対の反応をした。

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

処理中です...