幼虫の育て方[完]

なかあたま

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ナセリの話

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 僕はナセリ・クゥオーテだ。今年で二十三歳になる。母親譲りの黒髪と、父親譲りの藤色の瞳が自慢だ。
 ……逆にいえば、その点しか誇れるものがない。両親の美しい箇所を受け継いだという事実だけが、僕の生きがいだ。

「ナセリ。そこのガムを取ってくれ」
「は、はい……」

 監視室。カイデンの言葉に体をビクつかせた。マグカップにコーヒーを注いでいた僕は、近くにあったボトルを手に取る。ミント味のそれをカイデンに投げると、彼はこちらを見ずに受け取った。そのまま蓋を開け、中からガムを取り出し噛む。

「お前も食う?」
「い、いえ……」

 またもやこちらを見ずにボトルを掲げた彼に、首を振る。ズレかけた眼鏡の縁に指先を添えた。
 「あっそ」と呟いたカイデンは回転椅子の背もたれに背中を預け、モニターを睨みつける。
 なるべく音を立てないようにマグカップを手に取り、近くにあった椅子に座った。

「お前さぁ」
「は、はい……」

 ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒー(正確にはカフェオレだ)を啜りながら、カイデンの言葉に答える。彼は沈黙に耐えきれず口火を切ったというより、口寂しさを紛らわせるために言葉を発したのだろう。くちゃくちゃとガムを噛む音が耳にこびりつく。

「次、どんな虫を担当すんの?」
「えっと……まだ、分かりません……」

 マグカップを両手で包み、啜る。
 僕は以前まで蟻の担当をしていた。アロンという名前の蟻は無事に成虫になりこの研究所を去った。そのため、僕は新たな虫を担当することになる。
 まだその虫の名前は教えられていない。いったい、どんな虫が来るのだろうと不安で眩暈がした。

「……ていうか、虫が苦手なのによくこの仕事をやってるなぁ」

 カイデンの呆れた声が耳に届く。
 僕はこの研究所にいながら、虫が苦手だ。巨大虫たちを飼育するという事実も相まって、日々が憂鬱である。
 ────けれど、研究自体は大好きだ。新たな発見があると胸が弾むし、発見者が自分であれば、なお喜ばしい。
 まさか、こんな部門に派遣されると思わなかったな。脳内でひとりごち、ため息を漏らす。

「根を詰めすぎないようにしろよ」

 カイデンがこちらを見ずにそう言った。僕はパッと視線を彼へ向ける。
 カイデンはあまり優しい性格とはいえない。嫌味を吐くし、言葉遣いも悪い。そんな彼が僕を気遣う言葉をかけた。その事実が嬉しくて「ありがとう」と返事をする。胸が少しすく気がして、口角を上げた。



 研究員からタブレットを受け取る。中には今日から担当する虫の情報が入っている。どうやらムカデの幼虫みたいだ。ムカデは毒があると聞いたことがある。しかし、彼らにそういう心配はいらないらしい。
 名前はセルジュ。性格は大人しく、あまり気性は荒くないとのこと。
 様々な情報を頭に入れながら、研究所へ向かう。憂鬱な気持ちを抑え込み、吐きかけたため息を飲み込んだ。

「……!」

 研究所内へ入った僕は、磨かれた床を這う生き物を見て唾液を嚥下した。ウネウネと体を動かした彼は、無数の脚を蠢かせこちらへ近づく。
 迫り来る恐怖に足が震えた。手のひらに滲んだ汗を拭うことができないまま、一歩後ろへ退く。

「は、っ……初め、まして、セルジュ。ぼ、僕はナセリ。よ、よろしく……」

 絡まる舌を必死に動かし、言葉を溢す。だが、そんな僕を気にしていないのか、セルジュは足元に近づいてきた。彼が距離を詰めるたびに、心臓が高鳴る。

「あ……の……」

 やがて彼が足首に絡まる。そのままずるずると体へ這い上がってきた。息が儘ならなくなり、肩で呼吸を繰り返す。
 セルジュが胸元から首元へ到達し、顔に近づいた。身体中に巻きつかれ、身動きが取れない。無数の脚が蠢く感覚が全身に広がる。
 黒々とした瞳と見つめ合い、無理に笑顔を作った。

「せ、るじゅ」

 首にぐるりと巻き付いた彼は、絞めるような仕草をした。 身を動かし拒絶すると、首に絡まっていたセルジュが力を込める。頸動脈を抑えられ、命の危機を感じた。口の中に唾液が溢れ、汗が滲む。震えが止まらなくなり、グッと唇を噛み締めた。


◻︎◻︎◻︎


「フィンの話」が加筆+既存の作品が修正されたバージョンがKindleにて電子書籍で出ています。

読み放題でしたら無料となりますので、もしよろしければお暇つぶし程度に読んでいただけますと幸いです。
プロフィールのリンクから、もしくはAmazonで「幼虫の育て方」で検索していただけますと幸いです。
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