オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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2.龍の髭を狙って毟れ!

竜門を登ったその先に

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 凛寿は嘘を吐いているだろう。電話口で後田と蝶木の名前を出した時、一拍だけ間があった。その空白だけで真実は雄弁に語る。

 後田が率いる集団で現在生き残っているのは、篤志・蝶木・後田・リカルドのみだ。そして蝶木と凛寿が親しくしている姿は見たことがない。例え口裏を合わせるように頼まれたって、他人には大体冷たい凛寿なら突き放して正直に俺に報告するだろう。

 となると、消去法で凛寿と同じクラスである後田があの場に居たはずだ。あの堅物の凛寿が俺に虚偽の報告をするとは思わなかったが、まあ人間とはそんなものである。信頼と尊敬は依存と紙一重で、そして依存は一瞬で裏切りに変わる。

 さて、そうなると後田は先に校舎に潜り込み、何かしらの仕掛けを施しているだろう。わざわざ合流地点をC棟にしたのだ、怯えて逃げ惑うだけの袋の鼠になる気はないはずだ。なら『わざわざここでなければ成り立たない一発逆転の作戦』があるに違いない。

 カンカンと照り付ける真昼の太陽に焼かれながら、C棟の階段を駆け上がっていく。踊り場に差し掛かったあたりで、廊下の奥の方からドタン、と品無くドアが閉まる音がした。
 位置からしてこの階段から最も遠い最奥、非常階段に近い教室だろうか。
 散りばめられた要素と立地から導き出された後田のあまりのちゃちな作戦に笑い出しそうになった。

 この建物は親睦会中は完全な一方通行となる。そして別動隊の報告から、リカルドは俺より後にやってくることが確定している。
 ならば、リカルドもまたこの二階へと上がる階段を通らざるを得ない。二人の合流地点から少しでも引き剥がしたいのならば、俺を最奥までおびき寄せる必要がある。

 今しがた聞こえた物音に引っかかった俺が廊下を最奥まで駆け抜ける。何も教室の中まで入らせなくたっていい。俺が餌に引っかかった瞬間に、リカルドが階段を駆け上がり篤志と合流すればいいだけの事。

 リカルドの脚力ならば造作も無いだろう。あれは獣のような男だ。
 『相手から純然たる力を受けたい』という邪な理由で各部活を踏み荒らしている男が、『追手と龍宮から逃げ続けながら篤志を捕まえる』という分かりやすいハードゲームに挑まない訳がない。
 全く篤志も乱戦において最適な助っ人を釣って来たものだ。まあ、釣ったのは篤志じゃないかもしれないが。

 俺を篤志と引き剥がす。それが目的ならば、餌に釣られた俺から最も遠くなる場所――すなわち、階段を上ってすぐの教室にいるはずだ。


 棟に入る前の報告から、あと数分もしない内にリカルドが到着するのは分かっている。あの男がこの建物に足を踏み入れる前に片を付けなければならない。
 俺は人より少しだけ人を惹きつけられるのが得意なだけの人間だ。あれ程分かりやすいフィジカルギフトは持ち合わせていない。真っ向から勝負すれば負けるのは俺だ。今後一年の生徒会運営の為にも、それだけは避けなければならない。

 俺は駆け上がった勢いを殺さないまま、躊躇わずに一番手前の教室のドアに手をかけた。

 後方から教室へと駆け込む。こちらに背を向けて整然と存在する机と椅子、左手側にずらりと並ぶロッカー。目の前の突き当りには、窓からの太陽光を反射する背の高い掃除用具入れ。――の、閉じられた戸から、僅かに布地が覗いている。

 太陽光に透かされて煌めくメッシュ素材の生地。それは一年生が纏う赤のゼッケンと同じ色合いをしていた。

「…………ハッ」

 教卓の前に吊るされている時計は、あと五分で十二時を指す。そうすればきっと終わりの鐘が敷地内に鳴り響くだろう。それは等しく魔法が解ける合図だ。それまでに俺は肺かぶりの姫を捕まえなければならない。


 バタバタバタ、と遠くから足音が聞こえる。もうすぐそこまでリカルドがやってきている。時間は、ない。

 こんなものに構っていられるかと鼻で笑い、俺はそのまま足を踏み出して、それからぐるりと踵を返して教室を出た。そのままわざとらしく足音を立て廊下を走り、――そしてその教室の前扉から、直角に曲がって勢いよく入室する。

 一度出たと思わせてから、再度同じ部屋に入室する。フェイクとしては上々だろう。現にガタリ、と何かがズレた物音を耳が拾い、やはりここであっているなと確信した。

 掃除用具入れからはみ出ていたゼッケンは恐らくフェイクだ。似た材質のハンカチでも仕入れて罠として使ったのだろうが、如何せん生地の透け具合が安っぽい。学園の備品はもっと上質なメーカーの物を使用している。
 暗い所であれば誤魔化せたかもしれないが、生憎燦々と煌めく太陽光がその質の違いを浮き彫りにしていた。

 その上、ゼッケンがはみ出ている位置もおかしかった。篤志の身長から考えて、あの位置から上半身に纏っている布地がはみ出るのはおかしい。低すぎるのだ。
 もしあそこに腰から上がある状態ならばかがまなければならないが、あの真四角で狭い掃除用具入れの中にそんなスペースは無い。


 ロッカー以外で唯一隠れられる場所、すなわち、先程僅かに物音が聞こえた教卓の下へ近づいて一息に覗き込んだ。



 視界に飛び込んでくるのは、目の覚めるような赤。一年生の纏う、赤。





「――――お迎えありがとな、ダーリン」




 ――にやり、と悪人面で俺を見上げていたのは、篤志ではなく後田だった。




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