オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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2.龍の髭を狙って毟れ!

夜のような人 2

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 二日前、親睦会は無事に終わった。

 我らがアリーズが掲げていた『篤志とリカルドをペアにする』『生徒会長を捕まえる』『鳳凰院先輩を鶴永先輩が捕まえる』という全ての目標を達成したのだ。

 まるで夢みたいな話だが、現実である。俺一人では決して成し遂げられなかったことが、篤志を想う人たちが集って形になったのだ。


 さて、親睦会は当日だけが本番ではない。その後にはもっとビッグなイベント――つまり、後夜祭とも呼ばれるクルージングパーティーが控えているのだ。
 正直な話、生徒たちの真の目当てはこちらの後夜祭の方なのだろう。親睦会当日にここまでガチになるのは珍しい方なのかもしれない。

 金曜日の夕方に港を出発して、夜通しパーティーを行い翌日の夕方にまた同じ港に戻る。どこかに寄港するのかと思ったが、客船自体に無数の施設がある為そんな暇はないのだという。船は当たり前のように瑞光学園の貸し切りだ。

 海の上に浮かぶ鉄の中で、非日常を味わいながら全校生徒入り乱れて交流をする会。成程確かに、この隔絶された空間でならいつもより羽目を外して遊ぶことも出来るだろう。
 いつもは喋らない相手とも話すことが出来て、それがもしかしたら長い付き合いのきっかけになるかもしれない。

 私立瑞光学園は現代のサロン。子供たちは親に見えないリードで繋がれたまま、この箱庭で金の卵を産む鳥として大切に大切に飼育される。まさにその通りである。


 乗船前に一度屋敷に帰った時、俺と篤志を待っていたのはにんまりと悪魔のような笑みを浮かべた香梅姐さんと使用人たちだった。

『アンタ、龍宮の坊主捕まえたんだって? やるじゃなぁい、でかしたわね!』
『もうお屋敷中大喜びだったわよぉ、うちの宗介が! って』
『でしょう、そーすけってばすごいでしょ~!』
『香梅姐さん、やめてくださいよ……』

 うりうりと頭を撫でまわしてくる香梅姐さんと、おっとりとした表情で小さく踊る可愛らしい養母、ふふんとふんぞり返る篤志。
 皆が向けてくれる剥き出しの誉め言葉がくすぐったくって、俺はわざと素っ気ない声で返してしまった。

 パキッとした色合いのリップが似合う強い女代表のような香梅姐さんは、世界をまたにかける有名なデザイナーだ。彼女もまたかつて旦那様にお世話になった人らしく、その恩を返したいからと幼い頃から篤志や俺の洋服を作ってくれている。
 全力で遊び相手になってくれる素敵な女性だから、俺も篤志も大層懐いていたらしい。

 今は流石に大人になったから彼女と一緒になってはしゃぎまわることは無いが、ことあるごとに昔の俺たちのことを持ち出してはニマニマと揶揄ってくるのだ。
 親戚のちょっと悪い大人、みたいで格好良くて大好きな人。食える雑草と食えない雑草の分別はこの人に教えてもらった。

 実は今回後夜祭の前に一度屋敷に呼び戻されたのも、パーティーに相応しいスーツを香梅姐さんが持って来てくれたからだった。しかも篤志だけじゃなくて俺にも。

 俺は物凄い抵抗をしたのだが、俺達に贈呈されたスーツは白と黒、二つで一つの代物らしい。
『アンタが着ないなら篤志にもあのスーツは渡せないね。そしたら篤志はテキトーな安物を着る羽目になって、折角のパーティーだって台無しだ。前野の名にも傷がつく。世界の鶯生香梅の偉大な作品が、まさかモデルに着用拒否される日が来るなんて!』
 なんて、すごい勢いで捲し立てられた。そんなことを言われてしまったら、俺も袖を通すしかない。

 篤志と前野の名前を出すなんて卑怯だぞ、と睨みつければ、悪い大人は『篤志と前野に弱いアンタがいけないのさ』とけらけら笑った。

 結果、俺は身の丈に合わない世界のコウメ・オウショウのスーツを身に纏うことになってしまったのだ。
 篤志と二人で香梅姐さんに好き勝手にスタイリングされ、十兵衛さんの運転で港へ。少し早い時間ではあるが、もう船に乗ることは出来るとのことだったので、早めに客室へやって来たのだが。

 まさかこんな早い時間に会長とかち合ってしまうとは。まあ会長も根は真面目な人だから、基本的に集合時間より早く現場に行くタイプの人間なのだろう。だが緊張感が凄い。こんなことならラウンジで時間を潰してから来るんだった。


「うっわ……部屋、ひっろ……」
 入室してすぐに感嘆の声を上げる俺とは裏腹に、会長は何も目新しくないとばかりにずかずかと足を進めていく。流石金持ち、この程度の客室には慣れてるってか。お上りさんはキョロキョロ一つ一つ眺めるのに精いっぱいだってのによ。

「すげー、ウェルカムフルーツ」
「食いたきゃ言えば切ってくれる。後で勝手に頼め」
「切ってくれるんだ……」
「お前、この部屋でパイナップル切る気か? 勘弁してくれ」

 まるでホテルの一室かのような広さと豪華さに圧倒される。会長はくあ、と大きく欠伸を零してつまらなさそうにソファに腰かけた。足を組んで窓の外を見つめるその姿が絵になりすぎて気まずかった。

 全生徒の乗船が確認されたら、形式上の避難訓練が行われる。それまでは自室待機とのことなので、篤志や砂盃たちの元へ向かうわけにもいかないから居心地が悪い。こんなことならもっと遅く乗れば良かった。

 暇だし室内探索でもするか、と部屋の中をうろつき出したが、その中々拝めない豪華な客室内の様子に、俺のテンションはじわじわと上がっていった。
 シャワールームもベッドルームもめちゃくちゃ広いし、広すぎるバルコニーも備わっているから部屋から海が一望できる。朝日とか見れるかな。出来るなら明日は早起きして見ちゃおっかな。

 いつの間にか俺は会長が同じ部屋に居ることも忘れて、大興奮しながら部屋を隅々まで歩き回っていた。
 

「……はあ。お前はガキか」
「す、すいません……! 五月蠅かったですか」
「いや、いい。飼い犬は主人に似るなと思っただけだ」

 いつの間にか開いていたラップトップから目を離さないまま会長は穏やかに笑う。その随分と凪いだ様子を見て、
この人は本来は夜のように静かな人なのかもしれない、と思った。

 皆に望まれるから、壇上では高圧的で無敵な皆を照らす太陽であるかのように振舞っている。その在り方は、どこか前野の人間と同じだ。
 望まれているから身を切ってそれに応える。それが持つ人間の責務なのだと言われれば、持たざる者である俺には何も口出しできまい。


「……あの」
「なんだ」
 俺が対面のソファに座って恐る恐る話しかければ、会長は画面から顔を上げてしっかりと目を見てくれる。こういう所が、沢山の人間に慕われる理由なんだろうなと漠然と思った。どんな人間であろうと分け隔てなく目を見て話を聞く、というのは、なかなかできやしないことである。

「俺たちを失格にしないでくれて、ありがとうございました」
「…………」
「アレ、ほぼほぼ卑怯みたいな手だったじゃないですか。リカルド先輩にも危ないことさせたし」

 おかげで俺は担任どころか結構な人数の先生にこってりと絞られてしまった。反則スレスレなやり口だったこともあり、俺とリカルド先輩は失格の上何かしらの罰則をという話が上がったが、それに待ったをかけてくれたのは他ならぬ会長だった。
 会長の口添えもあって、多少のお叱りは受けたものの罰則は無かったし、篤志とリカルド先輩のロックは解除されないこととなったのだ。そうして今、会長はこんな貧乏人と同じ部屋に詰め込まれている。

「それでも龍宮先輩が庇ってくれたおかげで、俺達は目標を達成することが出来ました。……ありがとうございます」
 仮にも自分で捕まえた相手にどんな面で言うんだ、とは思うが、それはそれ、これはこれだろう。あの騙し討ちの極みみたいなやり方でも受け入れてくれた会長の懐の深さにただただ感謝するほかない。

 ここまでの会長の振舞で、多分篤志と二人部屋になったからと言って同意なしに襲うようにな人間ではないとよく分かった。
 だがまあそれは今更だし、そもそも初対面でキスしてきた前科は持ち合わせている。無駄な警戒心ではなかったのだと思いたい。


「……お前たちは全力を尽くして俺を捕まえた。諦める人間が多いこの学園の中で。それがどれだけ馬鹿で、無謀で、……諦められる側の俺たちにとって嬉しい事か、多分お前は分からないだろう」
「はい、すみません。きっとどう逆立ちしたって分からないと思います」
「潔いな、そういう所はお前の美徳だ。……だが、実際そうなんだ。嬉しい事なんだ、誰かに『諦められない』ってことは。だから――感謝するのは、俺の方だろう」
 会長が微笑む。傾きかけた日差しが男のシルエットを神々しく照らす。

 この人は天才だから、この人はすごい人だから。だから敵わない、勝てない、逆らうだけ無駄、どうせ俺たちの事なんて理解してくれない。
 そういう薄汚い凡人の嫉妬がこびり付いた羨望は、彼らにとってじわじわと身を蝕んでいく毒なのだろう。

 幼い頃から天才を目の当たりにし続けてきたこの学園の生徒たちは、無意識に諦めて敗北を認める。その方が楽だからだ。
 長いものに巻かれて、差し出される美しさと優秀さを啜って生きる方が楽しく便利に生きられる。啜られた方はたまったもんじゃないだろうが。

 そう言う怠けた心は、俺の心にも確実にある。だけど篤志のことを支えたいから、少しでもその怠惰な心を奮い立たせて、白い目で見られながらも不格好に走り続けているのだ。
 その凡人のちっぽけな努力が、会長にそう言葉にしてもらえたことで、ちょっとだけ報われたようで。少し、いや大分嬉しくなってしまった。

「……ありがとうございます。そう言っていただけると、俺のこのやり方は、間違ってなかったんだなと思えます」
「ああ。お前だけは諦めるな。修羅の道かもしれないが、お前くらいは篤志を諦めてやるな」
「はい」

 俺が真っすぐと前を見て頷けば、会長は満足そうに微笑んだ。視界の端に映る窓の外の街並みが、じわじわと蜜柑色に染まっていっている。時期に色濃い夜が来る。



「そろそろアナウンスが流れるだろう。一年目の後夜祭、存分に楽しめよ」
「はい!」




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