オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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2.龍の髭を狙って毟れ!

龍の微睡み

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 鼓膜を緩やかに震わせる微かな波の音で、ぼんやりと目が覚めた。

 目の前に広がるのはまだ朝日も昇っていない広大な海。そう言えば昨日、カーテンを閉める元気もないまま雪崩れ込むようにベッドに入ったんだっけ。
 このままじゃ、陽が昇ったら光が水面に反射して眩しくなる。そうなる前にカーテンを閉めよう。

「……え、」
 ぬるくなったシーツから出ようとして、初めて自分の身体がびっくりするくらい重いことに気が付いた。重い、というより、熱い。
 腹に巻き付いた逞しい蛇のような腕が、俺をしっかりと捕えていて――。

「うで」
 寝惚け眼で腹を見下ろす。少し色の濃い、ぼこぼこと青白い血管の浮いた強そうな腕が俺の腹をぐるりと抱え込んでいた。素手で。

「っひ」
 途端にその他人の体温を感知し鳥肌が立つ。シーツの海の中で逃れようともがけば、耳元で色っぽい唸り声が聞こえより一層抱きすくめられた。ぎゅう、とくっついた素肌同士が熱くて堪らない。

 俺はTシャツ着てるけど、多分この人上裸だな?! 俺と同室のはずの彼のセンシティブな姿を想像して勝手に顔に血を集めてしまう。あの磨き上げられた身体が惜しげもなく晒されているなんて、それはちょっと目に毒すぎるだろう。

「か、かい、かいちょ、あの」
「……うるさい」
「ンィェッ」
 寝起き特有のざらついた声で囁かれて奇声を上げる。腰抜けた。今ので絶対寿命縮んだ!

「あの、腕、うで、せめて」
「ン……なんだ、はやい、な…………おきたのか……」
 いつもよりあどけない声の会長が、もにょもにょと言葉の輪郭をあやふやにしたままぼそぼそと囁いてくる。会長朝弱いタイプなのか。いつもなんやかんやでビシッと決めた姿しか見てないからギャップでやられそうだ。

「離してください、寝づらいでしょ……」
「抱き枕としては、わるくない……」

 またすー、と寝息が聞こえてきて、マジで離す気ないんだなと理解する。この状態で二度寝をすることも出来ないし、窓は全開だからそのうち水面から反射されてくる光に目がやられる。


 それならばいっそ、と身体を反転させて会長の方へと向き直る。折角同室になったんだ、不敬と罵る邪魔者も居ないなら綺麗なご尊顔ぐらい拝ませてもらってもいいだろう。
 薄い涙袋に影が落ちる程長い睫毛。すらりと通った鼻筋に薄い唇。昨日と違ってメイクは全部綺麗に落とされているというのに、どうしてか輝いて見える。すっぴんの方が美人ってもう化け物だろ。


「…………ふっ、くくくっ」
「……趣味悪くないですか」
「どっちが」
 長い睫毛をぴくぴくと震わせた会長が、耐えられないとばかりに身体を震わせ始める。どうやら既に起きていたのに、間抜けな顔で見とれる俺を気づいていないフリをしていたらしい。

「穴が開くかと思った」
「仕方ないでしょう、綺麗なんだから」
「そうだな、俺が色男なのが全部悪い」

 こう開き直られちゃ何も言えない。黒曜石の瞳を細めた会長は、気まぐれに俺の髪を梳いた。こうやってくっついてコソコソと話をするなんて、まるでピロートークのようだ。烏丸に合わせる顔の残機がどんどん減っていく。


「……聞いていいですか」
「なんだ?」
「初めて、篤志に会った時。なんでキスしようとしたんですか」

 ずっと気になっていたことだ。こうして龍宮虎徹という男を知っていく程に、彼が初対面の相手に手を出すような男じゃないと理解させられる。

 龍宮先輩の振舞は全て演出だ。他人に求められているからこそ、傍若無人で尊大な振舞をする。舞台の上で観客の為に台詞を諳んじる役者と何ら変わりはない。
 だからこそ、初対面で篤志に手を出しそうになったことが信じられない。誰かから見られていることを自覚している彼にとって、食堂という衆人環視の中で特定の個人に手を出すなんてことは悪手でしかないと分かっているだろうに。

「……運命、を、感じたことはあるか」
「運命?」
「俺は人生で初めて感じた。あの日、篤志を見た時に。『これは同種だ』と」
 現実主義の彼に似合わないロマンチックな言葉に顔をあげれば、会長は眉を下げて少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。

 同種。運命。他人に求められるままに生きるその姿は、二人とも確かによく似ていた。

「俺の人生は全てエンタメだ。いつでも誰かの為に在って、いつでも誰かに消費される。それ自体に文句はない。それが一番上手くいく生き方だと理解して、納得しているから俺はこうやって生きている。でも…………。同じように舞台に立っている役者を見つけたら、少しくらいは嬉しくなるもんだろ」

 それは暗に、篤志に出会うあの日まで誰も会長の理解者は居なかったということだ。前野は一族揃って特別だが、会長は突然生まれ落ちた特別個体なのかもしれない。それならば、見つけた時に気持ちが高ぶってしまうのも仕方がない、とは思う。

「だが、まあ、ペットボトルで頭をひっ叩かれて目が覚めたな。あそこであのまま篤志にキスしてたら大荒れだっただろうから助かった。あれはファインプレーだったぜ、後田」
「そうですか、そりゃようござんした」
「篤志は特別だが、お前はそうじゃない。それなのに必死で食らい付いて、あくまで一緒に生きようとしてくる……。昨日も言ったが、俺達みたいなのには、そういう姿が一等効く」

 存外硬い指先が俺の髪を梳いて、耳の輪郭をなぞって、そのまま頬に添えられる。ふ、と薄い唇から漏れた微笑みが鼻の頭を擽った。

 これ、これは、良くない。良くない雰囲気過ぎる。だって親指が唇の端を擽っているし、黒曜石の双眸がゆるりと蕩けているし。
 色事に鈍感な俺でも分かる、このまま行くとちょっかいをかけられると。

 何でこの学園の人たちって急に蓼を喰いたくなるんだ、と思いながら、全力で仰け反って会長の腕の中から逃れた。
 シーツを絡めながらずるりとベッド下に落ちれば、鈍い音をして肩を強打する。

「いって……」
「おい、すげえ音したぞ」
「お気になさらず! 俺、俺はその、日の出を見ようと思ってましたので! そろそろ行かないと!!」
「ははは! 俺ァ篤志に嫌われたくないからな、お気に入りに手出すような真似はしねえよ」
「嘘だ! ちょっとそういう雰囲気になってた!」
「反応が随分初心だから揶揄っちまった。悪かったよ」

 会長から視線を逸らさないようにしながら、ずりずりと後退していく。「おい、シーツは返せ」と言われて、会長がマジの全裸だということに気づいて変な声を上げてしまった。

「~~~ッ、甲板行ってくる!!」
「おー、気をつけてなー」

 シーツを丸めて投げつければ、会長は楽しそうにけらけらと笑う。大人に揶揄われた気分だ、と憤慨しながら、俺はスマホだけ引っ掴んで部屋を飛び出した。



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