オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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3.鹿の拳は使いよう

鹿の覚悟

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「それで?」
 ある程度の血と泥を落として一息ついたところで、隣に座る後田に話を振れば明らかにげんなりした顔になる。あの流れで無かったことになるわけ無いだろうが。

「……はぁ。部屋に戻ったら篤志に報告するか」
「ッそれは困る!」
 わざとらしい声に反射的に答える後田。チョロすぎて心配になるな。篤志の名前出したら臓器でもなんでも売るんじゃないか。…………あり得そうで眩暈がしてきた。

「え、ええと、俺の家庭はシングルファザーで……、母親のことは殆ど覚えてない。物心ついた時から、親父と二人でボロアパートで暮らしてた」
 後田は本当に話しづらそうに、ぎこちなく己の半生を語り始める。


「そこは結構閉鎖的な村社会だったから、俺を連れて引っ越してきた親父にはみんな冷たくて。正直、友達なんて殆ど出来なかった。小学校で同じクラスだった幼馴染二人としか喋った記憶が無い」
「ああ」
「そんで、親父がよく分かんない名前の病気になって。あの人、昔からすんげえ運が悪くてさ。百万だか三百万だかに一人の難病になって……、でも親類皆に勘当されてたから、頼る当てもなくて。日に日に悪化してくけど生きてく為には仕方ないって言って、ボロボロの身体で仕事に行ってた」

 後田からたどたどしく語られる過去は壮絶で、有難いことに貧困と不運に縁が無かった俺からすると随分と遠い話のように聞こえる。でも後田はそうやって生きてきた。

「ええと……。途中で花導さん……学園長な、が家にやってくるようになって。昔は面倒で煩い親父の友達って思ってたけど、今思えば探しに来てくれてたんだろうな。それからしばらくして、旦那様……ええと、篤志のお父様が、家にやって来た。それから親父は旦那様の伝手の病院に入れられることになって、俺は前野家で過ごすことになった」
「ん」

 すう、と後田の目が細められる。その瞬間黒漆の奥底に、どろりとした言い表しがたい不健全な色がちらついた。

「旦那様は色々と手を尽くしてくれたけど、結局親父は呆気なく死んで。俺には本当に何一つ無くなった。そんな俺に旦那様は前野家の従者という立場を与えてくれて、篤志は『篤志を護る』っていう理由を与えてくれた。一度空っぽになった俺は、前野家で全部満たされた。だから、俺は、指の先から髪の毛の一本まで前野家のものだ」

 ぞっとするような盲信と依存。だが、これこそが後田宗介なのだろう。空っぽになって粉々に割れてしまった心を、前野という光り輝く金で継いだ器がこの男だ。
 後田は前野のせいで歪んだ。でも前野という生き甲斐が無ければ、もっと昔に生きる意義さえ見失って野垂れ死んでいただろう。

 悍ましいと思うのに、それしか手段が無かったのだと分かってしまうから歯痒い。全ては今更の話だ。
 後田が砕け散る瞬間に立ち会っていたのは前野の一族で、その結果、後田は再構築された。最悪な形で。


「……こんな、もんでいいのかよ。俺の話なんて聞いても面白くないだろうに」
「面白い、とかそう言う話をしてるわけじゃない」
「そうか?」
 後田の口から語られたことは全て主幹に基づくものだ。だから今の話が全て事実だとは限らない。あえて隠されたことも、はたまた己でも意図せず語られなかったこともあっただろう。

 それでも、俺は今コイツの口からコイツ自身の話を聞けた。それだけでも、俺達と線を引いて距離を置こうとしている後田を繋ぎとめる一歩として、偉大なものとなるんじゃないだろうか。


「……っ、いやでもアレだな、俺の不運は親父譲りだって分かってたけど、まさかここまでとは。あの人もよく絡まれてたからなぁ。……あーでも、どうせ死ぬならサクッと死ねる殺され方がいいよな! 俺の不運体質的にそこら辺も望めなさそうだが、まああんまショッキングなのは困る。篤志の教育に良くない」

 黙りこくった俺に焦ったのか、後田は場違いなほど明るい声でそんな事を言ってみせる。
 自分を軽んじるような言葉は呪いになる。平気で自傷行為にも等しいことをしている後田を、周囲の大人は止めなかったのだろうか。

「――俺、以外」

 ぐ、と隣に座る後田の頭を引き寄せる。困惑するその顔を無理やり俺の肩口に押さえつけて、慣れない手つきで労わるようにその背中を叩いた。両親や蒼葉が俺によくやってくれていたその仕草を何とか思い出して、なぞる。


「俺以外、誰も居ない」


 いや、正確には少し遠くに転がってるクソ共が居るが。でも、お前が庇護対象として気にかけるような篤志や、前野の敵になるかもしれないと警戒すべき家柄の人間も居ない。
 実家の跡を継ぐ気も無いただの乱暴者が一人居るだけだ。だから。

「だから、誤魔化すな。怖かったなら怖かったって言え。怖いと思うことは何も間違ってないし、悪くない。誰にも責められることはない。……俺たちは、最終的には他人だから。言ってもらわねぇと、分かれねぇ」

 ポン、ポン、と吐き出させるように背中を叩く。強張っていた身体が、その振動に合わせてじわじわと弛緩していき、ついに俺の肩口にずるりと体重を預けた。
 おずおずと俺の太腿に掌が乗せられる。それをあやすように握ってやれば、後田はくぐもった声のままか細く呟いた。


「し、」
「ん」
「に、たく、ない……」
「…………そうだな」

 はああ、と凍えたように息を吐く。より一層肩を強く押し付けてやれば、最早縋るように俺の手を強く握り返してきた。その肉刺だらけの掌が震えている。

「かの、やの、の言う通り……、油断してたんだ。学校の中なら、暴力以上のことは起こらんて」
「……まあ、学園にスタンガンやナイフなんて持ち込んでる馬鹿が居るのは稀だ。鳳凰院が風紀になってから、そこら辺の取り締まりは以前より一層強化された」

 この学園も、数年前はもっとずっと治安が悪かったらしい。親の権力を笠に着て横暴な振舞をする者も多く、何かあっても金の力で揉み消されていたという。
 ただ、鳳凰院と龍宮が二大巨頭として頭角を現し学園を統治し始めてからは、徐々にそう言った悪質なケースは消えていったようだ。

 しかし最近、また不穏な空気が流れ始めている。それは恐らく前野篤志という男が現状にデカい風穴を開け続けているからだ。環境の変化は良くも悪くも人に刺激を与える。

 きっとこの先も、前野篤志に感化されて暴走する人間は出てくるだろう。そんな時真っ先に盾になるのがコイツだ。後田はそういう生き方しか出来ない。篤志のことはきっと死に物狂いで後田が護るだろう。なら、後田のことは、誰が護ってくれる?


「十兵衛さんに鍛えられて、俺は強いつもり、だった。どんな相手でも、箱入りの坊ちゃん相手なら俺の方が、ずっと強いって。苦労を知らない奴らが、必死で訓練してきた俺にかなうはずないって」
「ん」
「でも、でも、普通に負けそうになった。死ぬ時に卑怯だなんだって関係ないんだって、い、今更ながらに分かって。俺は結局弱くて、役立たずで、怖くて——死にたくないって——思っ、ちゃって」

 死にたくないって『思っちゃって』。この子供にそんなことを言わせる前野の家に少しばかり苛立つ。

 親を失ったばかりの子供に、差し出された庇護の手を振り払うことなど出来ない。それなのに、これは後田自身が選び取ったとばかりに錯覚させるその人間性が醜悪だな、と漠然と思う。篤志には悪いが、前野家の人間に会った時いい顔が出来るかは甚だ疑問だ。

「お、親父、いつも、怪我ばっかだったんだ。いっつも、どっかに、包帯巻いてた……。最近、絆創膏の減りが早くて。気づいたら俺も、どっかしらに小さい傷作ってる。俺もいつかそうなるって、おも、ったら……」

 後田はそれきり何も言わなくなった。それでも握りしめられた指先やじんわりと濡れていく肩口が、後田の隠し通そうとしていた傷口の片鱗を見せつけてくる。


 俺は無言でその身体を強く抱きしめながら、篤志だけじゃなくてコイツも護ってやらないと、と思った。
 俺に龍宮や鳳凰院のような能力は備わっていない。俺は天才と呼ばれる集団の中でも下位に属する人間だが、それでも、他よりは多少頑丈でずっと強い。少なくとも今ここで震えが収まらない甘ちゃんよりは、ずっとずっと。

 なら、この他より頑丈な拳はコイツを護る為に使ってやらないと。蒼葉ならきっとそう言う。そして俺もそうしてやりたいと思った。


「……少しは、誰かを頼れ。この学園には力を持て余してる奴がゴロゴロいる。篤志の味方じゃない、お前の味方を作る事にも尽力しろ。お前は篤志の盾なんだろう。そんな大事な奴が常日頃ボロボロなんじゃあ、いざって時に役に立たねえ」
「…………味方、作れる、かな。俺、何にもないから……」
「……何にもない、とか、関係ないだろ。ダチって、相手から何か欲しいからつるむわけじゃないって、それくらいお前も分かんだろ」
「分かる、よ」

 分かっているだろう。でもそれがどうしても自分に適用できない。後田の魂に刷り込まれた卑屈さは、きっとその無償の信頼と手助けが怖くて信用できない。

「……俺は今の時点じゃ、篤志の内側には入れない。なら、悔しいが最終的に篤志を護れんのはお前だ。……だから。だから、篤志の為にも、俺はお前を守る。手助けする」
 だから、お前に分かりやすい公式を。これはwin-winの関係なのだと言い聞かせて、その逃げる掌に俺の手を握らせる。


「………………ありがと……」
 ぎゅう、と後田の額が押し付けられる。

 いずれ二人とも茨の道を行くことになるだろう。だが、それはきっと今じゃない。なら、少しでもまだ覚悟の出来てないその柔肌に棘が刺さらないように。

 俺は、出来うる限り隣でこいつらのことを護ってやろうと、静かに決意した。



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