オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

文字の大きさ
61 / 96
3.鹿の拳は使いよう

すきなもの、きらいなもの、どうでもいいもの

しおりを挟む


 真昼の白い太陽が、広い敷地に敷き詰められた豊かな自然を眩く照らす。
 道中に人影は見えない。当たり前だ、時間的に言えば今は三時限目の授業中。こんな風に外をふらふらと歩いているのは病み上がりの俺だけで、皆は真面目に授業を受けているに違いない。

 今日の三限目って何だったけな、確か数学だった気がする。担当の蜻蛉羽先生、休みだった人にも容赦なく演習問題解かせようとするからなあ。明日は凪登里にノート借りないと。

 黙々と歩き続けている内に、目的地にたどり着く。
 開けた土地にぽつんと立ち竦む大きな洋館。随分と大きなドアにはめ込まれたガラスは曇ってはいるけれどひび割れは見当たらないし、入り口にゴミや土や砂が溜まっている気配も無い。

 土がこれだけ近くに大量にあるこの場所で、これだけ綺麗なのは人の出入りがある証拠だ。居ついている誰かが定期的に掃いているのかもしれない。

 ドアを押し開けて、光が差し込む廊下をゆっくりと歩く。広い受付のその先は円状で、整然と並ぶ本棚たちを天井にはめ込まれたガラス越しに太陽が照らしている。
 放射状に広がる本棚。迷いなくその真ん中へと足を進める。ふかふかの絨毯が俺の足音を掻き消してしまって、世界に俺一人だけの気分だった。

「――よォ、待ってたぜ主人公様」

 中央に円形に設けられた読書用のスペース。それを囲むように湾曲する背の低い本棚に、お行儀悪く腰かける男がひらひらと手を振って笑いかけてくる。

 座っていても分かる長身とがっちりとした身体、着崩された制服から覗く日に焼けた肌と耳に光る大ぶりのピアス。今朝方、保険医の吉兆先生から教えてもらった特徴と一致する。

 この人が、“旧図書館の情報屋”だ。宗介が俺に隠れてこそこそ取引している相手。そして、宗介越しに俺に回りくどくアプローチをしてきているであろう厄介者。
 俺は今日、コイツと契約の話をするためにここに来た。目敏い宗介が傍に居ない今のうちに、出来る根回しはしておかないと。

「……こんにちは。貴方が『トンビ』ですか?」
「その通り。全く、飼い主の方がよっぽど礼儀正しいじゃないか。アイツに言ってやれ、初対面には敬語を使えってな」
 俺が彼と宗介との関わりを認識したのは親睦会当日の電話の一件のみだ。だけど多分、準備段階で呼び出されてた電話の相手もこの男だろう。この親し気な口ぶり的に、それ以上に交流しているのかもしれない。

「思ったよりも早く釣れたな。エビでタイを、ってやつか」
「そーすけのことエビなんて言わないでよ」
 俺が鯛だなんて思ったことも無いけど。俺がムスっとして言い返せば、またトンビは面白そうにけらけら笑う。

 軽薄そうな人だ。でも多分、意図的にそう見せているだけ。誰からの干渉も拒絶して、遠くから都合よく盤面を観察して動かしたいタイプの人間なんだろう。

「で? その飼い主様がこんな外れにわざわざご足労下さった理由は?」
 分かっているだろうに、俺から言い出させたいんだろう。俺も相手のペースに呑まれないようにへらりと軽薄な笑みを浮かべて言う。

「うちのがお世話になったみたいだからさ、いい事教えてあげようと思いまして。そーすけが言った情報の真偽。俺、別にあそこのケーキ好きじゃないよ。俺が好きだって言うと、優しい大人たちは皆買ってきてくれるでしょ? だから俺はそれをそーすけにあげるの」

 そしたら宗介ははにかみながら笑って喜ぶんだ。『実は俺もこれ好きなんだ。それに、篤志から貰ったから百倍美味しい』って。
 俺はその笑顔を見る為だけに、別に好きでもないケーキを好きだって言い張って生きている。平然と嘘をついて皆を騙している。

「俺が特別好きなものなんて無いよ。俺が人生で特別好きなものなんて、無い。全部同じ。どれもあっていいし、別に無くてもいい。どうでもいい。無かったら諦めて別の物を探して、ある物で適当に誤魔化すから」
「それは『物』に限るのか? それとも『人』も含むのか?」

 意地悪そうな笑みを浮かべるトンビに曖昧な微笑みだけを返す。好きに受け止めて好きに俺を形作ればいい。俺たち前野は人に都合よく形作られることで真価を発揮する。

 俺達はスライムみたいなものだ。その人の心にぽっかり空いた穴にぴったりフィットする形を、変幻自在に整えてお出ししてあげるのが役目。
 俺達はそうやって都合よい偶像になってあげる代わりに、利用された相手のお情けを頂いて繫栄させてもらってきた浅ましい一族だ。

「宗介は優しいから信じちゃったけど、対価としては流石にあれじゃあ“安すぎる”」
「なんだ。飼い犬があれなら飼い主も馬鹿なのかと思ったが、そうでも無いみたいだな」
「宗介は馬鹿じゃないよ。そう言うのに疎いだけ。……遠ざけてきた、ともいう」
「その結果の飼い殺しってか。ははっ、金持ちのやることにはつくづく反吐が出るね」
 そこでようやくトンビが表情を変える。眉を顰めて吐き棄てるように言った。

「まるでブリンジャーだ」
 ブリンジャーってなんだろう、と思いながらも、ああこの人はそっち側の人間かと理解する。初めて一瞬だけ晒された本心の端っこから彼の本質が垣間見える。

 金と権力で人生をめちゃくちゃにされた人。そう言う人は大概前野が大嫌いだ。前野には金も権力も有り余るから。呼吸をするたびに誰かの人生をめちゃくちゃにしているから。


「……で。こんなに回りくどい事をして、そーすけに恩を売って。俺を引きずり出して、何をお願いしたいんですか?」
 この人が宗介にちょっかいをかけるのも、破格の対価で情報を売ったり協力するのも、その後ろに居る俺が目当てだったんだろう。宗介を盾に取られたら俺は協力せざるを得ない。全く、人を見る目がありすぎる人だ。


「…………女を探してる。鳶取とびとり仁愛にあ。鳳凰院の一族に搾取されて、そうして捨てられた女だ」


 トンビの口から出てきた『鳳凰院』の名前に目を見開く。鳳凰院なんて珍しい名前、国内に早々あるモンじゃない。ってことは、やっぱりあの風紀委員長の鳳凰院先輩のお家ということだろうか。

「打てる手は打っていると思うが、今のところ髪の一本も見つかりゃせん。俺には家の後ろ盾も力も無い、国外なんかに逃げられてちゃ打つ手がないのが現状だ」
「そ、の人は……トンビさんにとっての、何なんですか?」
 すり、と自らの顎を摩ってしばらく遠くを見た後、通常装備のニヒルな笑みすら取り払って言った。

「俺が、俺以外に愛するたった一人の人間だ」
 真っすぐに俺を見て澄んだ声でそう言う。この人の全部が信用ならないけれど、この言葉だけは信頼できると前野の血が囁く。

 金と権力が嫌いで、でもそれを頼らざるを得なくて、そして愛の為に生きる人。ちょっとだけ宗介に似てるなと思った。

「交換条件だ。俺が後田の学園での手助けをしてやる代わりに、お前は前野の伝手を使って鳶取仁愛について調べてくれ」
「貴方でも見つからないのに?」
「おいおい、俺を買いかぶるな。さっきも言ったが、俺はただの卑しい身分の一介の学生さ」

 恭しく自らの胸に手を当てるトンビ。彼の正体は知らないけれど、彼の実力は色んな人から聞き及んでいる。そんな彼の力をもってしても見つからない人間が、たかだか『人に好かれる』だけの俺に見つけられるのだろうか。

「……分かりました。伝手だけは無駄にありますから、色々と掛け合ってみます。だからそーすけの手助けをしてあげてください」
「物分かりの良い主で助かるよ。お前のところの番犬はどうにも頭が固い」
「……そう、変なところで頑固だから。助けてあげて」

 きっとこの先も宗介は色んなことに巻き込まれる。俺の傍に居るから。傷ついてもなお心配かけさせまいと笑いかけてくる宗介にごめんと思うくせに、宗介を解放してやれない俺は、傲慢で欲張りで最低な人間だ。

 この三年間だけ。この三年間で最後にする。そしたら思い出を全部攫って胸に秘めて、それを燃やした篝火だけを頼りに残りの人生を歩くつもりだ。その時には必ず宗介を解放するから。

 だから、俺の我儘を通すこの三年間だけ。宗介が少しでも安全に生き抜けるような保険が要る。俺じゃなくて宗介を優先して護ってくれる人間が必要だ。それは多ければ多い方がいい。

「豚を差し向けたのはお前の計算か?」
「ううん、あれはリカちゃん先輩が勝手にそーすけを見つけてくれただけ。でもすごく助かるな、強い人が味方に付いてくれてたらそれだけで安心できる」

 砂盃も着実に育ってくれてはいるけれど、アイツは喧嘩や護衛が得意というわけではない。だからリカちゃん先輩の登場は嬉しい誤算だ。あれだけ強くて聡明な人が傍に居てくれるだけで牽制にも成りうる。同時に厄介な敵も作ってしまうのが難点ではあるけれど。

 前野の血に連なる悪意が俺に牙を剥いた時、矢面に立つのはきっと宗介だ。宗介自身もそれを許容してしまっている。そして、前野自身ではその献身をどうやっても止めることは出来ない。前野は誰かを犠牲にして生き残り続ける生き物だから。

 だからその簡単に無茶をする首根っこを掴んで止めてくれるか、それよりも前に出て悪意を潰してくれる人間をもっと増やさなければならない。


「ま、俺としても前野とのコネは作っておきたい。アイツのこと以外で困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ、特別価格で答えてやるさ」
「うーん、それはいいかな。そう言う人は事足りてる」
「流石人材の宝箱」

 詳しい情報はメールで伝える、と言われて自分のスマホに登録されたアドレスを見つめながら、宗介に怒られちゃうなあなんて思う。
 遠くの方でチャイムが鳴った。あ、三限目が終わった。昼休みにはきっとまた誰かが保健室を訪ねてくるから、それまでには帰らないと。


「……あの、一つだけ聞いてもいいですか?」
「答えられることなら」
 正門の前で時折見る氷のような麗人を思い浮かべる。鳳凰院将成。前野家と肩を並べる財力を有し、前野家よりもずっと伝統と血筋を重んじる由緒ある家系だ。
 俺は直接話したことは無いけれど、パーティーや式典で何度もその横顔を見たことがある。彼らの関係者の中に、鳶取という苗字の人間はいなかったはずだ。

「鳳凰院の一族が嫌いですか? その中に鳳凰院将成さんも、含まれますか?」
 学園内で二人が会話しているところを見たことが無い。どころか、この男が校舎に居る所さえも見たことが無い。

 あえて鳳凰院の一族と言ったということは、『鳶取さん』という人間はあの家全体に何か不利益を与えられたということだ。
 不利益の原因に鳳凰院先輩自身が含まれているのか、それとも一族の一人だからというだけで憎いのか、あるいは直接関係ないからどうでもいいのか。

 彼にとっての逆鱗をここでなんとなくでも把握しておかないと、多分、後から面倒になる。前野の直感はそう告げている。



 俺のそんな問いかけに、男は今日見た中で一番爽やかな笑みを浮かべて言い放った。


「勿論。あの家も、あのお坊ちゃんも。全部大っ嫌いさ!」



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ビッチです!誤解しないでください!

モカ
BL
男好きのビッチと噂される主人公 西宮晃 「ほら、あいつだろ?あの例のやつ」 「あれな、頼めば誰とでも寝るってやつだろ?あんな平凡なやつによく勃つよな笑」 「大丈夫か?あんな噂気にするな」 「晃ほど清純な男はいないというのに」 「お前に嫉妬してあんな下らない噂を流すなんてな」 噂じゃなくて事実ですけど!!!?? 俺がくそビッチという噂(真実)に怒るイケメン達、なぜか噂を流して俺を貶めてると勘違いされてる転校生…… 魔性の男で申し訳ない笑 めちゃくちゃスロー更新になりますが、完結させたいと思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです!

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

もういいや

ちゃんちゃん
BL
急遽、有名で偏差値がバカ高い高校に編入した時雨 薊。兄である柊樹とともに編入したが…… まぁ……巻き込まれるよね!主人公だもん! しかも男子校かよ……… ーーーーーーーー 亀更新です☆期待しないでください☆

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

ひみつのモデルくん

おにぎり
BL
有名モデルであることを隠して、平凡に目立たず学校生活を送りたい男の子のお話。 高校一年生、この春からお金持ち高校、白玖龍学園に奨学生として入学することになった雨貝 翠。そんな彼にはある秘密があった。彼の正体は、今をときめく有名モデルの『シェル』。なんとか秘密がバレないように、黒髪ウィッグとカラコン、マスクで奮闘するが、学園にはくせもの揃いで⁉︎ 主人公総受け、総愛され予定です。 思いつきで始めた物語なので展開も一切決まっておりません。感想でお好きなキャラを書いてくれたらそことの絡みが増えるかも…?作者は執筆初心者です。 後から編集することがあるかと思います。ご承知おきください。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

【完結】我が兄は生徒会長である!

tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。 名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。 そんな彼には「推し」がいる。 それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。 実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。 終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。 本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。 (番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)

処理中です...