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4.猪も七回褒めれば人になる
青の侵食 2
しおりを挟む「ちょっと待ってくれ。アンタ、そのまま篤志に情けなく縋りついたままで終わるつもりですか」
「……っ、」
「ちょちょ後田、何言ってんの」
慌てた様子の猪狩が制止しようとするが、その手を振り払って俺は冷たい視線で大男を刺しながら告げる。
「今までそれでどうにかなってたかもしれねえけどな、そんなんじゃこの先すぐ野垂れ死にますよ。あんたには考える脳があって、言葉を発せる喉があって、そんで他よりもずっと話を聞いてもらえる立場の人間のはずだ」
少なくとも家柄と実力重視のこの学園で、一席ずつしか役職が用意されていない生徒会に抜擢されている人間だ。
他の委員会と違い、生徒会は全校生徒の中から選挙によって選ばれる。なら、この学園の大多数の人間が、衣貫という人間を認めていることに他ならない。
そんな人間が、何に怯えているのか。俺はその傷を理解できないし、する義理も無い。
「そのままでいいのか。そうやって、どれだけ誤解されても構わずに、何も言わずとも自分のことを分かってくれる奴の優しさに甘え続けるのか。じゃあ、そんな優しい人たちが傍から居なくなったらどうするつもりだ。そのいつかのもしもを想像しない程アンタは馬鹿じゃないはずだ」
衣貫が俺の発する強い言葉に傷つき、怯えた目で俺を見つめてくる。誰かを救うのは篤志の役目だ。でも救いだけじゃどうにもならないことだってある。
前野は世界の感情集約装置。そう仰ったのは旦那様だった。そうあるからこそ、ここまで栄えて生き残って来たのだと。その在り方を否定できない。どう足掻いたってその在り方は真実だからだ。
ならばせめて、篤志に集う感情は美しいものだけを。憎しみや怯えや嫌悪は、出来る限り俺が回収しようと決めたのだ。
吃音混じりで掠れた自分の声でも、耳を傾けてくれる人間がいるのは幸運なことだろう。
だがそれはほんの一握りで、自分の都合を押し付け聞こえないふりをする人間の方が世界には溢れかえっていることを、他ならぬ自分が知っているはずだ。ここに至るまでに、その悪癖をそのままにして生きてきたのならば。
「篤志みたいな清らかで優しい人間じゃない俺達の為に、ちゃんと届く言葉を発してくださいよ。じゃないと、俺みたいな凡人はアンタを一生分かれない。その無知が重なっていったら、いつか本当に大事なものも失っちまう」
衣貫の目が大きく見開かれる。俺と、それから手元に抱き寄せている篤志を交互に見比べて、は、はと荒い息を吐きながら、音を発した。
「…………お、れ、じゃない……」
色を失った唇を震わせながら、衣貫が細々と弁明する。教室内は静まり返っているから、衣貫の吃音混じりの言葉も、しゃくり上げるような呼吸も、カチカチと鳴る歯の音も鮮明に聞こえてくる。
必死で伝えようとしている。そう理解した生徒たちは、嫌悪や侮蔑の視線を何とか引っ込めてその拙い言葉に耳を傾けた。
「俺、が、きたときに、……二年の、奴らが、ここにいて……三人……。ぺ、ぺぺ、ペンキ、持ってた。やめろって、ダメだって、言ったけど、……と、とめ、とめられな、」
ふうふうと荒い息を吐きながらも視線を彷徨わせて、言葉を紡ぐ。ぎゅう、と握りしめた篤志のシャツからビリ、と嫌な音が聞こえた。
「…………ご、め、なさい………………」
役に立てなくて。溺れているような声で絞り出した言葉ごと、篤志が背伸びをして抱きしめた。自分がペンキで青く染まろうが関係なしに力強く。衣貫はその背中に縋りつくように腕を回した。
「ありがとう。話してくれてありがとう。止めようとしてくれて、ありがとう。衣貫先輩は優しいね」
そう言ってふわふわの髪を撫でて囁くその姿は聖母のようだ。何人かの生徒が目を見開いてその姿を見つめているのに気が付いて肩を竦める。あのうちの何人かが墜ちるのだろう。精々制御しやすいタイプだと良いんだが。
「おえー……、なーんなんだよアレ……」
「お、尾宅は耐性あるタイプか」
「耐性って何」
篤志よりも強く大切に想っている奴が居るタイプの人間には、篤志の人たらしパワーは効きにくい。
げえっと顔を顰めて衣貫と篤志、それを取り囲む生徒の光景を見つめている尾宅は、意外と一途で純粋なタイプらしい。
「尾宅」
「なに」
「悪かった。こんな風に駄目になっちまったのは、体育祭実行委員の俺の責任だ。ここまで頑張って作り上げてくれたすげえモノだったのに」
「うえっ! なんでお前が謝るんだよ、気色悪い。顔上げろって」
尾宅に向かって頭を下げれば、ぎょっとした尾宅が手を振って俺をいなす。誰がどこで何をしたかはどうでもいい。ただここに、コツコツと積み重ねてきたものが台無しにされてしまった人間が居るという事の方が重要だ。
「……お前、あの人の言い訳、信じるのかよ」
「まー、監視カメラでも見ない限り、あの人の言ってることが本当か嘘か分からないからな。なら、俺は俺に都合のいい方を信じることにする」
「なんだそれ」
「俺みたいな奴に煽られて、あんなになってまで自分の言葉で言ったんだ。流石に嘘じゃねえだろ」
「お前って、時々めちゃくちゃな性善説信者になるよなぁ」
呆れたように笑われて首を傾げてしまう。性善説、ではなく、ただ単に自分に都合のいい方を信じているだけだ。
嘘も信じ続ければ誠になる。こっちが一方的に決めつけてしまえば、いずれ相手方も歪んで都合の良い結果になるんじゃないかと思って生きている小賢しいだけの人間だ。性善説を信じている美しい人間は篤志の方だろう。
「それと。お前らに悪い、って思った上で、もっと図々しいお願いする」
「はあ……?」
「デザインはどう変えてもいいから、旗は完成させてくれ。お前たちなら出来るだろ?」
「はぁっ……? ……はは、マジかよ、無茶言うぜ実行委員様」
「俺は計画性のあるタイプだ。だから計画は続行する」
暗にお前たちなら出来るだろ、という意味が込められた煽りをしっかり受け止めた尾宅は、引くついた笑みを浮かべながらもその目にめらりと炎を宿す。
「ははぁ、体育祭実行委員様は人使いが荒い」
「実行委員様だからな。俺が法だ」
「へーへー。平民は大人しく従いますよって」
気合を入れるように背中をバシバシと叩いてやれば、尾宅はうざったそうな顔をしながら生徒たちの方へ歩いていく。
「お、話まとまった?」
皆の様子を黙って見守っていた猪狩が声をかけてくる。こういう時、猪狩は大体黙っているということに気づいた。まるでこういう腹を割った話し合いに関わりたくないみたいだ。
「おいお前ら! 委員長様のご命令で納期厳守になった! 呆けてる暇はねえぞ!」
「おお、流石そーすけ鬼軍曹。俺達も手伝うよ、ね、衣貫先輩」
「ん、うん、て、ててつだ、う。なんでもやる……」
「アンタらはとりあえず手とか服とか洗ってこい。そんなんじゃ全部真っ青になる」
尾宅にしっしと追い払うような仕草をされて、衣貫と篤志は顔を見合わせる。その言葉は暗に帰ってきたらこき使ってやるというもので、受け入れられているということが分かるものだった。
「良かったね、衣貫先輩」
「ん…………」
天使のように笑った篤志につられて、ようやく衣貫も少しだけ微笑む。あーあまた篤志信者が増えちまったな、なんてため息をつけば、猪狩は難しそうな顔をして呟く。
「……やっぱ半分くらいは後田のせいじゃね?」
「あ? 何がだ」
「……んーん、なんでもなーい。それより俺達も手伝おうぜ、あと一週間しかねえんだし」
「そうだな。折角篤志が上手くまとめてくれたんだ、無駄にしねえぞ」
体育祭まであと一週間しかない。放課後練だって学業だってあるんだから、クラス旗にばかり構ってられない。ここは一致団結してさっさと終わらせねえとな、と笑えば、猪狩はまた何とも言えない表情で薄く笑った。
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