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4.猪も七回褒めれば人になる
棒に当たってもわんとも鳴けない
しおりを挟む暴力、が、渦巻いていた。
衣貫の家に弱者は不要。故に女は不要、子供も不要。強く賢く都合のいい駒だけが優遇された。獣の理が刻み込まれた悍ましい家だった。
衣貫の家で実権を握るのは、バケモノのような父親だった。没落しかけていた衣貫家に生まれた麒麟児といえば聞こえはいいが、その実冷酷非道で人を人と扱わぬことでのし上がった人でなし。
先祖返りなのか知らないが、父親は飛びぬけて優れた筋力と極度の合理的な思考回路を持っていた。遠い昔の祖先が外の国と交わったことがあるらしい。父親は黒髪黒目の日本人から生まれた、色素が薄い碧の目の大男だった。
男は酷く合理主義の人間で、自分の血を色濃く受け継ぐ子供を作るために誰彼構わず抱いて種を注いだ。彼にとって家柄や容姿は全く関係なかった。ただただ強い胎がある、と判断すればすぐに褥に引きずり込まれた。
俺も、そうやって引きずり込まれた女中の胎から生まれた男児だった。
俺は生まれた時から他とは違った。他の赤子より一回り以上も大きく、触る玩具を悉く壊した。そして何よりも、父と同じ色素の薄い髪と碧の目を持っていた。
これに大喜びしたのは父親だ。自分の生き写しのような子供の俺を絶対に跡継ぎにすると宣言した。身分が低い卑しい女の胎から生まれた子供なのに、だ。
母を優秀な母体だと判断した父親は、俺を産んだばかりの母をすぐに褥に引きずり込んだ。種として優秀なのか、母はまた子供を孕み生んだ。生まれたのは女だったが、やっぱり俺と同じように色素が薄く碧色の瞳で、男の俺よりも力の強い赤子だった。
自分の納得できる跡継ぎが出来たことに大喜びしていた父親とは反対に、俺達親子を激しく憎んでいたのは正妻だった。
当たり前の話だろう。未だ子供が出来ないとは言え自分は正妻だ。それなのにそんな自分を差し置いて夫は手当たり次第に女を抱き、あまつさえ自分よりももっと下の身分の女が生んだ子供を跡継ぎにすると言って聞かない。プライドの高い良家の息女だった妻にとって、それは耐えられない侮辱だったのだろう。
父は俺を跡継ぎとして育てる為だと言い暴力による支配と矯正を行い、その妻はお前さえいなければと言って母を詰り手を上げた。
俺は父親のお気に入りだったから逃れていたが、父にとって不要な弱者である母と妹は日々女のため込む鬱憤をぶつけられ、いつも這いつくばって許しを乞うていた。妹は殴られる度に反抗して暴れ、その度に大勢の人間から取り押さえられては踏み躙られていた。
どれだけ父親から寵愛されていたとて、家の中での身分は低い。口を開こうとするたびに熱湯を浴びせられる母を見て、幼いながらに俺は言葉の無意味さを知った。
それは妹も同じだったらしく、俺達兄弟は表情の抜け落ちた無口な気味の悪い子供として、本家の人間たちに蔑まれ見下されていた。
俺が小学校に上がる前くらいに、ようやく父親とその妻の間に子供が出来た。俺にとっては腹違いにあたる弟だ。ようやっと自分の血を引く後継者を産み落とせた妻は狂喜乱舞し、そして凶行に走る。
ただの女中であった俺の母と妹を家から追い出したのだ。流石にお気に入りの俺を手放すことはしなかったが、弱者に興味のない父親はそれを許した。
血の繋がった母と妹を失って、俺は本当に一人ぼっちになった。唯一血の繋がっている父親は、相変わらず俺を後継者として扱って矯正と称した暴力を振るう。
それを見た妻は、『我が子がいるのに何故お前が』と言って手を上げてくる。最早自分の子という駒が居る彼女にとって、未だに父親のお気に入りの座を譲らない自分が疎ましくて仕方がないのだろう。
暴力の前に、言葉は無意味だ。なら無駄なことをしなければいい。明日を生きるエネルギーを、わざわざ無意味なことに割く理由はない。そうやって、全部を誤魔化して言い聞かせながら生きてきた。
社会勉強のためにと入学させられた瑞光学園で会長たちに出会い、そして綺羅と結羅という生意気な後輩も出来た。彼らは恐怖でまともに口を開けない俺を特別扱いせず、他と同じように扱ってくれた。その当たり前が心地よかった。
俺が言葉を発さないことで上手く伝わらないことも多くあったけれど、そこで生まれた穴は皆の才能で埋め合わせてくれた。だから俺も、その分皆の為に働こうと一生懸命皆に尽くした。
中等部に上がり一も二も無く寮生活を選んだ。あの暴力が渦巻いている空間から逃げられるならなんだって良かった。そこで兎和と同室になって、同じ空間に居ても自分を殴らない他人という生き物を初めて知った。
兎和は悪い事ばかり知っていて、何にも知らない俺を揶揄いはしたけれど馬鹿にはしなかった。
この学園での出会いは俺を変えた。変えたけれど、魂に染み込んでしまった恐怖は消える事は無かった。俺は一生このままなのだと理解して、諦めた。
そうして。篤志に、出会った。俺が上手く言葉に出来なくても待っていてくれて、そして零れた言葉の欠片たちをちゃんと繋ぎ合わせて理解してくれる人。
神様だと思った。いっぱい耐えた俺に神様がくれたご褒美だと思った。彼なら俺の全てを理解してくれる。彼なら、俺を正しい世界に導いてくれる。
でも、でも、でも。
『そのままでいいのか。そうやって、どれだけ誤解されても構わずに、何も言わずとも自分のことを分かってくれる奴の優しさに甘え続けるのか』
『じゃあ、そんな優しい人たちが傍から居なくなったらどうするつもりだ。そのいつかのもしもを想像しない程アンタは馬鹿じゃないはずだ』
あの男の言葉が脳内に木霊する。いつか優しい人たちが傍から居なくなったら? そんな事考えたことも無かったし、考えたくもない。俺は漸く幸せを手に入れられたのだから、そんな不透明な未来の事なんて想像したくもない。
会長や綺羅や結羅や兎和、それに、篤志が居なくなったら。俺はどうすればいい?
俺を見るB組の子たちの目がフラッシュバックする。怯えた目だ。蔑んだ目だ。自分の理から外れた異分子を排除しようとする視線。群れから弾き出された人間に明日は無い。
どれだけ誰も何も壊さないようにと手を伸ばすことを諦め、言葉を発することを諦め、理解されない相手から遠ざかろうとも。俺はそこに居るだけで恐怖を与える存在になってしまう。
父親から与えられたこの身体が憎くて仕方がない。篤志を抱きしめた時に骨が軋む音が聞こえた。篤志は一度も痛がらずに腕を回してくれたけれど、後田のおかげで力を緩める事が出来たけれど。もし俺がパニックになってあれ以上力を込めていたら、篤志の身体は粉々になってしまっていたかもしれない。
俺のせいで。俺が上手く自分を御せないせいで。
考えたくはない、でも、ずっと一緒に居る事は不可能だということも分かっている。母も妹もどこかへ行ってしまった。俺はいつだって置いて行かれる。
もしかしたら自分の手で失ってしまうかもしれない。そうなった時、俺の心は砕けずにいられるだろうか。
『じゃないと、俺みたいな凡人はアンタを一生分かれない。その無知が重なっていったら、いつか本当に大事なものも失っちまう』
いつか本当に、大事なものを。本当に大事な物って何だろう。母と妹は大事なものじゃなかった? それとも、本当に大事なものだったけれど、俺が声を上げることを諦めたから失くしちゃったのかな。
『あ? 何見てんだよ』
一生懸命頑張る下級生たちの為に何か手伝えることは無いだろうかと、でも自分が居ても怯えさせてしまうから何か下準備だけでもと先んじてB組の作業スペースに向かった時に見てしまった光景。悪意に満ちた顔をした生徒たちが、青いペンキを旗の上にぶちまけようとしている所。
『……なんだ、衣貫かよ。じゃあ大丈夫だな』
『な。梔子男だもんな』
ゲラゲラと笑いながら俺を指さす。彼らは確か、結羅のところの親衛隊だ。なんやかんやで結羅と上手くやれ始めているB組の面子が気に食わないのだろう。明確な妨害行為には至らないが、彼らの鬱憤を晴らす為のちょっとした嫌がらせ。
でも、その旗を一生懸命作っている子たちを知っている。体育祭という学内行事に与える影響は少ないけれど、それでもこの旗は情熱を持って作られている。あの子たちの営みが、こんな悪意にかき消されるのは耐えられない。
『だ、だだ、め……や、やめ、て』
『だめ~だって。もっと声出せよ。聞こえねえっての』
生徒がペンキを振りかぶる。俺は慌ててその手を掴んだ。必死だったがゆえに制御できなかった俺の怪力は、いとも簡単に生徒の骨を軋ませた。
『い、っで!』
悲鳴と共にペンキの缶が落ちる。耳障りな音がして、世界はあっという間に青に染まった。そこからはもう、頭が真っ白で殆ど覚えていない。
俺があの時もっと声を上げらえていたら。力ではなく言葉で説得出来ていたら。何か変わったのだろうか。失いかけなくて済んだのだろうか。
失いたくない。これ以上、失いたくない。でも俺は力が強いから、握りしめようとするときっと大事なものを壊してしまう。
それなら噛みつくのではなく、吠えなくちゃいけないのだろうか。考えるのが嫌になってしまって、躾に怯える犬のようにベッドの中で丸まって眼を閉じた。
俺は今日も、目を逸らして生きている。
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