オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

文字の大きさ
84 / 96
4.猪も七回褒めれば人になる

バードストライク 2

しおりを挟む


「卵……無事なのはだし巻き卵でも作るとして、すき焼きに卵は絶対欲しいよな……。買い直すか……」
「……後田、か?」

 地面を見つめながらぶつぶつと呟いていると、前方から声をかけられた。パッと顔を上げれば、先ほどのトンビと同じように少々疲弊した様子の氷の貴公子、もとい鳳凰院が立っていた。

「え、あ、鳳凰院先輩。お疲れ様です」
「ああ、成程。喋っていたのは君だったか。この学園の生徒が軒並み嫌いな彼が誰とと思ったが、君ならば納得だ」
 絹のような髪を揺らして納得したような顔をする風気委員長。なんでここに、と思ったが、それよりも気になったのは彼の口ぶりだ。
 『この学園の生徒が軒並み嫌いな彼』が、なんて、トンビという人間を知っていないと出てこない形容詞ではないか。

「お知り合い、なんですか」
「……まあ、そうだな。彼は私がそうラベリングすることさえも、疎ましく思っているようだが。私はそう思っている」
 濁される言葉に二人の関係性の複雑さを見た。

 トンビはなんと言っていた? 『これ以上俺から何を取り上げようってんだ』? それはすなわち、この男が少なからず何かをトンビから奪い取ったことがあるということだ。

「悪いことをしたな。私が購買部に行ってこよう」
「や、そんな、いいですいいです。今度トンビに払わせますんで」
「……気安い仲なのか?」
「いやあどうでしょう。成り行きというか、顧客というか。俺はあいつの本名も素性も知りませんから、ただの客の一人なんじゃないですか」

 思えばあの男の本名、学年、交友関係、全ての事柄を知らない。あいつと会うのは殆ど一人の時で、あの旧図書館にはいつも人気がない。情報屋のトンビとしてしか知らないのだ。

 なんでも知っていて、愉快犯で、ハッキングさえもお手のもの。いつも余裕綽々で掴みどころのない大男。それが俺の知っているトンビの全てだ。
 だが、先程見た男はなんだったんだ。怒りと絶望、そして僅かな諦念を宿したあの表情は。あれこそがトンビという役名を剥いだ後の生身のあの男だというのなら、主演男優賞を受賞してもいいのではないだろうか。

 じっと俺を見つめてくる鳳凰院の真意は読めない。だが、そのいつもは変わらない氷のような表情が若干げっそりとしていて、心配になるほど唇や頬から色が失せていた。
 あの鳳凰院が。いつだって完璧で乱れの無いあの鉄のような男が、こんな風に弱っている。より一層トンビとの関係性が気になってしまった。

「あー、あの。少し、休憩して行った方がいいんじゃないです? あんまり顔色が良くないです」
「そう……か。なら、そうしようか」
 渡り廊下は中庭と繋がっている。都合よく人も居なさそうだし、少しくらいはベンチで休ませた方がいいのではないかと思い誘えば、鳳凰院は存外あっさりとそれに頷いた。

 こんな場面鶴永先輩に見られたら殴られるどころじゃないな、と思いながらも、どうもにも放っておけなかったのでそのまま中庭のベンチへと導いた。明らかに足取りがおぼつかず、心ここにあらずと言った様子だ。
 大人しくベンチに座ってぼうっとする鳳凰院をこのまま放って帰れるわけも無くて、どうしたらいいか分からずに何となく隣に座る。鳳凰院は何も言わない。

「あー。これ、どうぞ」
「……ありがとう」
 パーティー用に買っていた缶ジュースを手渡せば素直に受け取った。男はそれを白魚のような指で弄ぶだけで何も言わない。

 気まずい。誘ったのは俺だが別に鳳凰院と仲がいい訳ではないし、パーティーの開始時刻は着々と迫っているし、食材は買い直しに行かなきゃだし、でも心配だから一人にも出来ないし。
 いっそ鶴永先輩に連絡して回収してもらうか……と思ったところで、鳳凰院がぽつりと言葉を零した。


「どうして、私は、いつも上手く出来ないのだろう」
「ええと……さっきの件、ですか?」
「うん。私は他の人間より全てのことが須らく優れていると自覚している」
「アンタが言うと嫌味にすらならんな」
「それなのに……。『普通の人間』が出来るコミュニケーションというものだけ、とことん上手くいかない」

 言葉は強気だがその実随分と参っている様で、はああ、と人間みたいに深いため息をついて缶を両手で握りしめる。
 彼にとって自分が他の人間より優れているということは、驕りでもなんでもなくただの事実なのだろう。だからこそ心底不思議なのだ、何故そんなに他より優れている自分がこうもコミュニケーションだけ上手くいかないのかと。

「別にそれは不思議でもなんでもないというか……。苦手なことの一つや二つ、誰にでもあると思いますが」
「そういうものか」
「そういうもんです。それは別に悪い事でも落ち込むことでもないと思いますよ」

 今まで苦手、出来ないという状況に陥ったことが無い彼にとって、苦手は未知で恐怖なのだろう。でも自分は他の事は出来るのだからこれも出来るはずだ、と強行しようとして、その実績と自負が足を引っ張って台無しにしている。そんなところだろうか。


「……全て、彼の為になると、思ったんだ」
「……」
「私は彼から取り上げてしまったから、せめてそれを埋められるだけのものを差し出してあげたいと思ったんだ。だけど要らないと言われてしまった」

 鳳凰院が力なく笑う。トンビから、取り上げてしまった。だから何かをあげようとした。でもその態度と『他の物でも埋められる』と判断されたことが、トンビの逆鱗に触れた。ぼやかされているがそういう事なのだろう。

「それ、相手の人本当に欲しがってたんですか?」
「……? 欲しがる欲しがらない、ではなく、彼にとっては確実に必要なもののはずだ」
 きょとりとした鳳凰院がサラサラの髪を靡かせながら首を傾げる。うーん、なんだか前提が違う予感。

「鳳凰院先輩は物事を何でも合理的に、そして客観的に考えられる人です。だから実際誰かに足りないものがあるなら、それを埋めて完璧にするのが良しと思ってるんですよね」
「当たり前だろう」
「そこが難しい所なんですけどね。『欲しい』と『必要』って、必ずしもイコールじゃないと思います。不足していても感情の部分で要らないと思うことも、満ち足りていても感情の部分でもっと欲しいと思うこともある。そういうとこ、結構曖昧なんじゃないかな」
「…………? 理解が、出来ない……」

 本当に理解できないようだ。その選択が最善であっても、必ずしも最良にはならない。そういう計算できない矛盾を抱えているから、人間は複雑怪奇で難しいのだ。きっと。

「そこって、多分、理屈じゃないっす」
「ダメだ……。本当に理解が出来ない。愚かすぎる。……だから私は、皆の言う通り人間ではないのだな」

 ふ、と寂しそうな顔で微笑む氷の貴公子。人間じゃない、なんて誰が言ったというのだ。こんな風に表情を変え、こんな風に一つのことで誰かの為に悩んでいる人間を。

「まさか。アンタは天才ですけど、どこまでも人間ですよ。だって今もこんな風に悩んで誰かの為になろうと努力してる。めちゃくちゃ人間臭いですって」

 俺がへらへら笑ってそう言えば、鳳凰院もそれに呼応して「君からはいつも言われ慣れない言葉ばかり貰うな」とへにゃりとはにかんだ。その雪解けのような表情が可愛らしくてひっくり返りそうになる。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ビッチです!誤解しないでください!

モカ
BL
男好きのビッチと噂される主人公 西宮晃 「ほら、あいつだろ?あの例のやつ」 「あれな、頼めば誰とでも寝るってやつだろ?あんな平凡なやつによく勃つよな笑」 「大丈夫か?あんな噂気にするな」 「晃ほど清純な男はいないというのに」 「お前に嫉妬してあんな下らない噂を流すなんてな」 噂じゃなくて事実ですけど!!!?? 俺がくそビッチという噂(真実)に怒るイケメン達、なぜか噂を流して俺を貶めてると勘違いされてる転校生…… 魔性の男で申し訳ない笑 めちゃくちゃスロー更新になりますが、完結させたいと思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです!

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

もういいや

ちゃんちゃん
BL
急遽、有名で偏差値がバカ高い高校に編入した時雨 薊。兄である柊樹とともに編入したが…… まぁ……巻き込まれるよね!主人公だもん! しかも男子校かよ……… ーーーーーーーー 亀更新です☆期待しないでください☆

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

ひみつのモデルくん

おにぎり
BL
有名モデルであることを隠して、平凡に目立たず学校生活を送りたい男の子のお話。 高校一年生、この春からお金持ち高校、白玖龍学園に奨学生として入学することになった雨貝 翠。そんな彼にはある秘密があった。彼の正体は、今をときめく有名モデルの『シェル』。なんとか秘密がバレないように、黒髪ウィッグとカラコン、マスクで奮闘するが、学園にはくせもの揃いで⁉︎ 主人公総受け、総愛され予定です。 思いつきで始めた物語なので展開も一切決まっておりません。感想でお好きなキャラを書いてくれたらそことの絡みが増えるかも…?作者は執筆初心者です。 後から編集することがあるかと思います。ご承知おきください。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

【完結】我が兄は生徒会長である!

tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。 名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。 そんな彼には「推し」がいる。 それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。 実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。 終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。 本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。 (番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)

処理中です...