オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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4.猪も七回褒めれば人になる

バードストライク 3

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「あー、あの、それ将成先輩にあげるんで。飲んでもらっていいですよ?」
「……開けられない」
「えっ」
「爪が、剥がれそうだ」
 随分と長く手で弄んでいるなとは思ったが、まさか開けられないから困っていたとは。少し拗ねた表情で、無言で差し出された缶を見て流石に笑ってしまう。完全に子供じゃないか。

「もー、どんだけ甘やかされてるんです? どうせ鶴永先輩でしょ」
「缶ジュースなんて飲んだことがないから」
「ガチ箱入りの方だった」
 はいはい貸してください、と受け取ってプルタブに爪を引っ掻けて。

 あれ、そう言えばこのジュース――炭酸ジュース、さっきビニール袋に入ってたよな、と思った瞬間にはすでに遅く。手元の缶は膨張し、あっという間に弾けていた。
 ――――ブシュッ!!

「お、わああああッ!」
 プルタブから溢れ出してくる甘ったるい匂いの液体は止まらず、俺の手をびしゃびしゃに濡らした。咄嗟に立ち上がったからスラックスにはつかなかったが、開けた瞬間に飛び散ったジュースが白いシャツに点々と跳ねている。

 ぽかん……と口を開けて俺を見つめていた鳳凰院は、段々と今しがた起きたことを理解していったようで、最終的に手を叩いて子供のようにはしゃいで笑った。

「ぷっ…………あっはは! すごい、噴水みたいだ!」
「最悪だ……、あの巨漢とぶつかった事忘れてた……」
 ぽたぽたと手を伝い落ちる甘い汁が気色悪い。人工甘味料の香りが周囲に立ち込めて不快で仕方が無かった。

「はー、はーっ、うふ、ははッ!」
「……かかってませんか……」
「んふふ、私には、何も」
「それだけが救いッス……。アンタにかかってたらマジで鶴永先輩に処される」
 ひとしきり腹を抱えて笑った後、涙をぬぐい立ち上がった鳳凰院がハンカチを俺の手に握らせてくれる。ああそんな高そうな手触りのいいハンカチ使わんでくれ。

「……なんか、少し気が楽になったな」
「そりゃ良かった。パフォーマンスした甲斐がありますよ」
「だって、だって君……。ふふっ、すごい声で、凄い顔してるから……、んふっ」
 炭酸シャワーを浴びて驚愕する俺の様子が随分とお気に召したらしい。言葉を紡ぎながらも思い出し笑いをしては肩を震わせているその様子は、ただのツボの浅い男子学生だ。これを鉄仮面とか機械とかAIとか呼ぶ奴はどんだけ目が腐っているのだろう。

「……そろそろ行かないと。時間を取らせてしまってすまなかった。含蓄のある言葉をどうもありがとう」
「ああ、ハイ。お役に立てたか分かりませんが……」
「……もし、君があの人と気軽に話せる関係性なら。少しだけ、気にかけてあげてくれないか。今のあの人は元気がない。それに、この学園の中では頼れる相手も誰も居ないだろう。だから、もし叶うのならば君が」
 あの人、はトンビのことで良いのだろうか。彼がここまでトンビのことを気に掛ける理由は何なのだろう。知りたくはあるが、それは自分のような人間には重すぎる荷でもある。

「私や、ましてや前野の言葉などは届かない。我々のような奪う側の者の言葉では彼には響かない。君のような『奪われる側』の人間でないと、あの人には届かないのだ」
 奪われる側。その言葉に首を傾げる。
 鳳凰院、そして前野が『奪う側』と呼称されるのは、まあ不愉快ではあるが理解できる。持たざる者たちにとって前野や鳳凰院が持ちうる吸引力は、全てを奪い去っていく嵐や竜巻に等しいだろう。

 だが俺が『奪われる側』と称されるのは甚だ理解に苦しむ。俺は与えられたことはあれど奪われたことはない。鳳凰院は何を見て俺をそう呼んだのだろう。

「……俺は、奪われる側の自負はありませんが」
「…………そうだな。今は、まだ」
 鳳凰院が目を細める。今はまだ。それじゃあ、いずれ? 問いただすよりも前に男が歩き出す。

「今度は、ちゃんとした炭酸ジュースを飲ませてくれ。楽しみにしている」




 中庭のベンチに一人残される。手元には開けたばかりの炭酸ジュースと、しっちゃかめっちゃかになった本日の食材達。
『この学園の中では頼れる相手も誰も居ないだろう』
 頼れる相手が居ない、のは、とても辛い。それは幼い頃の俺があの村で経験し実感したことの一つだ。

 俺にあの男の頼る相手に成れるだろうか。孤独だというあの鳶の巣にはなれずとも、疲れた時に足を休める止まり木くらいには。
 お節介だとは分かっていても、俺の指はスマホのコールボタンを押していた。


『……なんだ』
「卵Lサイズ12個入り、知ってるとは思うが部屋番号は428だ」
『……は?』
「だから、お使い。後で弁償する、んだろ?」
 先ほど言われた言葉を繰り返せば、電話の向こうの男は少しだけ怯む。

 他者を拒絶する男。あのいわゆるノンデリの鳳凰院ですら手を焼き、手を伸ばすのを躊躇う男。その生き様と過去に興味がないといえば、嘘になる。
 そういう好奇心が隠れているのは否定しない。だけど、それ以上に。紙のように白いあの痛々しい顔が、脳裏から離れなくて寝覚めが悪いのだ。

『いや、だから、俺は……』
「俺はそこそこ優良顧客だと思うが? そういう相手には誠意をもって対応した方がいいと思うぜ」
『…………』
「待ってる」
 それだけ言い残して一方的に切った。いつもは向こうが一方的に会話を切り上げて切ってくるのだからおあいこだろう。

 さて、と伸びをしてからビニール袋を持って立ち上がる。招待客が一人増えるんだ、気合を入れてパーティーの準備をしなければ。




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