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1.オム・ファタールと無いものねだり
同室者
しおりを挟む「惜しいんだよなあ、ホント」
「何がだ」
「なんで変装させなかったかな。分厚い瓶底眼鏡ともじゃもじゃのカツラ、王道転校生には必須アイテムでしょ」
また馬鹿なことを言っている。俺が胡乱な目で見れば、前の席に陣取って椅子を抱えるようにしてこちらを見る男が口を尖らせる。
男が揺れ動く度に、サラサラと艶やかな黒髪が揺れる。本当に、見た目だけはぞっとする程の美人だ。喋るとキショいけど。
「なんで変装させなきゃなんねえんだよ」
「それはホラ~、あの……。前野だってバレるとヤバイから、とか?」
「アホ。そもそも伝手とコネ作りの為に来てんだぞ。前野を前面に押し出さねえでどうする」
「そうなんだけど~! そうじゃなくて~! ここまで来たらフルコンプしてほしかったというか! 分かっておくれよこのオタク心をさあ」
ヨヨヨ、とわざとらしく泣き真似をする男、クラスメイト兼同室者の砂盃の脛を蹴る。砂盃は赤い唇を歪めて抗議の意を示した。
この学校、私立瑞光学園は幼稚舎から大学院まで国内に存在する超マンモス校だ。広大な敷地と行き届いた教育、それが実現できるのは、在校生並びに歴代の卒業生たちが皆大なり小なり金持ちだからだ。
やれ何々財閥の御曹司、やれ何々グループの跡取り息子、そういう奴があちこちにわんさか居る。教室で「この菓子美味ぇ~」とスナックを食ってたら、「あ、それうちの会社の製品」なんてクラスメイトに言われる世界だ。
故に大人たちは自分の子供をここへ入れようと躍起になる。青い春を共に過ごした相手が将来良きビジネスパートナーになるかもしれないのだ。
ここは言わば現代のサロン。子供たちは親に見えないリードで繋がれたまま、この箱庭で金の卵を産む鳥として大切に大切に飼育される。
篤志も例に漏れずそうだ。前野の家にいつか『役立ってくれる』であろう鳥を見つける為入学した。ただ、旦那様のご意向で瑞光学園で過ごすのは高校三年間のみ。理由は、ひとところに長く居すぎると前野の血に狂う人間が多発するから。笑えない話である。
「ま、でもそれ以外はパーフェクトだからね。前野篤志、今学園内で最も有名な男。あの生徒会メンバーを片っ端から落として、一匹狼も爽やか君も射止めたトリックスター。風紀委員会も堕とされるんじゃないかってもっぱらの噂だよ」
「それは困るな」
今でさえ八人の猛攻から篤志を護るのに手いっぱいだというのに、これ以上増えられてたまるか。とはいえいずれ出会うことにはなるだろう。前野の血にはそういう引力がある。だからせめてエンカウントを送らせて、なるべく印象に残らない出会いにするよう努めるしかない。
「ヤキモチ」
「あ?」
「妬かないの? だーいすきな前野君が色んな人に取られちゃって」
サラリ。首を傾げたことによって、ハーフアップにされた艶やかな黒髪が揺れる。砂盃の四角い指先が、ツツッと俺の手の甲の血管を撫ぜた。
廊下の方からひゃああ、と聞こえたのはきっと気のせいじゃない。親衛隊持ちなんだから平生徒と変な接触するなよ。
「別に。篤志はそういう男だし、慣れてる。それよりアイツが変なことに巻き込まれないようにするのが、従者で大親友の俺の一番の役目だ」
「あ~~っ、全ッ然揺らいでない! 流石幼馴染主従! 不安になるとか嫉妬とか飛び越えての強い結びつき! いいよいいよ、そう言うのもッと頂戴!」
砂盃の手を振りほどけば、何やら気色の悪い声を上げて鼻息荒く身悶える男。砂盃の親衛隊はこの不審者全開の姿を知っているんだろうか。知ってて尚親衛隊に所属しているのならば、愛とは素晴らしいものだと脱帽して頭を下げなくてはならない。
「でもさあ、ちょっとモヤっとするとかさあ、無いわけ? 身の程を弁えた番犬攻めもいいけど、人気者に嫉妬してヤンデレ方向に振り切る従者攻めも見たいというかぁ」
「あ? ……おい、オラ、お迎え」
訳の分からないことを宣う男越しに、廊下の外で不安そうにキョロキョロとする少年を見つけた。あれは確か、砂盃のところの親衛隊。脛を蹴って教えてやれば、男はああと声を上げて振り返り、手を振ってやる。それだけで少年は頬を薔薇色に染めてはしゃいでみせた。
「今日はお茶会の日なんだよ」
「ああ、どうりで放課後なのに居座り続けると思った」
「酷い言い草。宗介だってそうじゃん」
「俺は篤志待ち。先生に雑用係として捕まったらしい」
放課後、クラスが違う篤志から『先生に荷物持ちで捕まった~! 終わったら教室行くから待ってて!』という喧しいメッセージが届いた。
届いていたのは数分前で、これから訪ね行っても恐らく篤志は教室には居ないだろう。何せ俺の在籍するB組と篤志の在籍するS組はやたらめったら距離があるのだ。S組は特に選ばれたものが集うクラス、らしい。
「宗介も来る? 親衛隊の子が美味しいお菓子用意してくれてるよ」
「ばーか、部外者が行けるもんじゃねぇだろ」
「宗介も俺の親衛隊に入ればいいのに~」
「誰が入るか。入るなら一番最初に篤志のに入るわ」
「う~ん愛が真っすぐ! 今日も新鮮な主従愛を見せつけてくれてサンキュー。じゃあな、また明日」
薄っぺらい鞄を手に取った砂盃は颯爽とした足取りで廊下へと向かって行く。入り口で待つ少年の頬に手を添えて何やら囁いていた。それだけで少年は神に全てを許された敬虔な信徒のようになるのだから随分とコスパがいい。
今日は親衛隊の内の誰かの部屋にお邪魔するらしい。今日の夕飯は一人か、と思いながら背中を見送って欠伸を一つ。
流石、進学校の名に恥じぬ偏差値の高さだ。ただの金持ちが集う学園ってわけじゃない。おかげで凡人は予習復習するだけで日々があっという間に過ぎ去っていく。
まあでも、昼休みの生徒会エンカウントは避けられたし、このまま何事もなく一日が終われば——。
「後田君、後田君いる?!!?」
——まあそんな日は殆ど無いわけだが。
ガラガラ! と盛大な音を立てて、B組の教室のドアが開け放たれる。クラスの全員がびっくりしてそちらを見て、それから声高らかに名前を呼ばれている俺を見た。
「あー、はいはい、なんだよ」
「た、たた、大変、なんだ、ッ、そのっ」
「落ち着けって、あー…………」
ドアに手をかけてぜーはー息を荒げる少年の旋毛を見下ろす。栗色の髪と頼りなさげなハの字の太眉と、整ってはいるが印象には全く残らない少女漫画のモブ顔系男子。
何度か見たことがある。確か篤志と同じクラスで、猪狩や鹿屋と共につるんでいたうちの一人だった気がする。名前が思い出せない。結構特徴的な名前だったはずなのに。
「…………チョレギ……?」
「蝶木! S組の蝶木です、そりゃあね、挨拶した時後田君全然聞いてなさそうだなとは思ったけど! 猪狩や鹿屋にばっかり関心が向いてるなあとは思ってたけど!」
「ああすまんすまん、君は害無しと判断したからどうにも印象が薄くて」
そうだ、蝶木。蝶木——なんだっけ、とにかくS組の珍しい『害無し』君。篤志に絆されてはいるものの、毒されてはいない。振り回されつつもなんやかんや「仕方ないなぁ」と助けてくれる、篤志の周辺だと珍しいタイプの友人だ。
「それで蝶木君、どうしたんだそんなに慌てて」
「そ、そうだ、前野がね……! 前野が、」
蝶木君にそのことを言われた瞬間、俺は着の身着のまま教室を飛び出していた。
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