悪役令息は第二王子の毒殺ルートを回避します!

宮本れん

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1巻

1-3

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「それじゃ、俺は仕事に戻るよ」
「はい。あの、ありがとうございました」
「うん。じゃあ、また夜に」

 名残を残してセドリックが部屋を出ていく。
 ドアが閉まるのを見送って、レイモンドはもう一度日記帳に目を落とした。

「すごく、心配かけちゃったんだな……」

 日記帳を渡した理由を、セドリックは暇潰しや気持ちの整理のためと言っていたけれど、本当に言いたかったのは最後の言葉だろうとわかる。弟を心配するからこそ、なんとか助けたいと思ってこれを譲ってくれたのだろう。

「セディ兄様。ありがとう……」

 日記帳をぎゅっと抱き締める。
 これを大切にしよう。そして、兄に話しかけるつもりで思ったことを正直に書こう。
 レイモンドは机に向かうと、厳かな気持ちで日記帳を開いた。
 お気に入りの羽根ペンをインク壺に浸しながら物語の言い回しを思い浮かべる。ああでもない、こうでもないとじっくり考えた上で、思いきって最初のページに決意表明をしたためた。



《第一葉》
 これは、レイモンド・キングスリーによる日々と願いの記録である。
 ペンタグラムとウロボロスによってすべての言葉が守られんことを。



「おお。我ながら格好いい!」

 惚れ惚れとしながら書いたばかりの文章を見つめる。
 古めかしい言い回しは本物の『魔法の書』のようだし、そこに自分の名前があることで、自分が主人公になったみたいでドキドキする。
 レイモンドはブロッターをコロコロと転がしてインクを押さえると、すぐに次のページを捲った。
 ここからは今日の日記だ。
 とはいえ、いろいろなことがありすぎてどれから書けばいいか迷ってしまう。反省もしなければいけないし、セドリックの気遣いがうれしかったことも書き留めておきたい。前世のこと、伶のこと、『シュタインズベリー物語』のこと―――

「それだ」

 今何より願うのは、第二王子を毒殺したりしないようにということだ。大好きなキャラクターの命と笑顔は何が何でも守らなくては。

「ブラッドフォード様はどんなお顔なのかなぁ。どんなふうに笑うのかなぁ」

 かつて伶が読んだ『シュタインズベリー物語』には残念ながら挿絵がなかったため、登場人物の詳細な容姿はわからない。それでも皆がブラッドフォードを「光り輝く麗しの王子」と褒め称える場面があることから、きっと容姿端麗で素敵な人なのだろうと想像しながら読んでいた。
 ここが物語の世界なら、ブラッドフォードもどこかで生きていることになる。

「もしかして、会えるってこと?」

 ふと打算的な考えがよぎり、レイモンドはぶんぶん首をふった。
 ブラッドフォードに会うということは、物語に足を踏み入れるということだ。毒殺に一歩近づくこともである。

「でも、ちょっとだけ……遠くから見るだけなら……」

 接触さえしなければ間違いが起こることはないだろう。
 それに、せっかく同じ世界にいるのだから大好きなキャラクターを見てみたい、会ってみたいというのも本当のところだ。
 レイモンドは深呼吸とともに今日のことを反芻すると、もう一度羽根ペンを取った。


《ピンクムーンの月 第六日》
 頭を打ったことがきっかけで、ぼくは前世のぼくを思い出した。
 そして、ここが『シュタインズベリー物語』の世界らしいと気がついた。
 本当にそんなことがあるなんてまだ信じられないけれど、少しずつ見極めていかなくちゃ。
 ぼくが物語に出てくる側仕えだとしたら、いつかブラッドフォード様に毒を飲ませてしまう。
 それだけは絶対に回避しなくちゃ。それなのに、どうしたらいいかわからない。
 衝動的に家出しようとして、セディ兄様をとっても心配させてしまった。
 父様や母様にも心配かけちゃった。本当にごめんなさい。もうしません。
 今はまだ思いつかないけど、毒殺を回避する方法が見つかりますように。
 それから、もしも叶うなら、憧れのブラッドフォード様に会ってみたいな。
 どんな方なんだろう。本のとおりかな。格好いいのかな。一目でいいから会いたいな。



    4.運命の出会い


 謹慎すること一週間。
 反省したご褒美にと、セドリックが街へ連れていってくれることになった。
 弟に甘い兄は、謹慎がはじまって二日後にはもうどこへ連れ出そうかと考えはじめていたそうで、それを聞いた母のマリアが「またそうやってレイを甘やかして……」と苦笑したほどだ。
 それでもセドリックは父にきちんと許可をもらい、『婚約者への贈りもの選びに同行させる』という建前でレイモンドを家から連れ出してくれた。
 絶賛ブラコン中のセドリックだが、家督を継ぐ立場上、彼には親同士が決めた許嫁がいる。
 いわゆる政略結婚ながら当人たちの関係は至って良好で、お相手の女性はレイモンドにとって心やさしいお姉さんだ。時々屋敷に招いて一緒にお茶を飲むこともあるし、話をするのも楽しいし、早くお嫁さんに来てくれたらいいのにと思っている。実際には家同士のことなので、そう簡単にはいかないのだろうけれど。
 そんなわけで、許嫁へのプレゼントを買う兄につき合って、レイモンドも馬車に揺られているのだった。
 自分の用事ではないけれど、久しぶりの外出だと思うと気分も浮き立つ。
 降り注ぐ日差しはやわらかく、吹き抜ける風も爽やかで、皆が春が来たことを喜んでいるようだ。レイモンドもその一員になって心を浮き立たせながら車窓の景色を目に焼きつけた。

「小さな頃から変わらないなぁ」

 隣でセドリックがくすくす笑う。

「いつもそうやって窓に囓りついて」
「だって、とっても楽しいです!」
「家で本を読んでいる方がいいって言われるかもしれないと思ったんだけどね」
「本を読むのも好きです。でも、セディ兄様とお出かけするのも好きだから」

 いつもと違う特別感があるし、大好きな兄と一緒にいられる。
 そう言うと、セドリックは感極まったように目頭を押さえた後で、満面の笑みを浮かべた。

「おまえがいい子に育ってうれしいよ。今日は楽しもう。なにせ、兄弟ふたりきりのデートだ」
「もう。セディ兄様ったら」

 十二歳も離れているセドリックは、レイモンドから見れば立派な大人だ。その彼も今はわくわく胸を躍らせているのだと思うとなんだかうれしい。
 レイモンドはビロード張りの座席の上でゆらゆらと揺れながら移りゆく景色を眺めた。
 ふたりを乗せた馬車は石造りの橋を渡り、街の門を潜っていく。
 城塞に沿うように少し行ったところで馬車が止まった。小さな路地が入り組んだ街はそれ自体が迷路のようになっている。そのためここからは徒歩で回るのだ。馬でついてきた侍従たちも駒繋こまつなぎに馬をつなぎ、ふたりの後ろに従った。

「わぁ!」

 馬車を降りるなり、風に乗ってにぎやかな音楽が聞こえてくる。人々の笑い声や、石畳を荷車が行き交うガタガタゴトゴトという大きな音も。
 静かな屋敷の周りとはまるで違う雰囲気に浮かれ、ぴょんぴょんと飛び上がったレイモンドは、いても立ってもいられなくなってセドリックの手をむんずと掴んだ。

「セディ兄様、早く行きましょう。早く早く!」
「ははは。おまえは本当に、小さな頃から変わらないんだから」

 セドリックが楽しそうに苦笑する。
 好きにさせてくれる兄の手を引きながら、レイモンドは張りきって大通りへと入っていった。
 この街一番のメインストリートだ。
 とてもにぎやかなところで、石畳の両側には煉瓦れんが造りの建物がひしめいている。かわいい出窓には赤やピンクの花が飾られ、道行く人たちの心を和ませた。
 パブの前にはテーブル代わりのワイン樽が置かれ、いつでも酒盛りができるようになっているし、肉屋の軒先にぶら下がったおいしそうなベーコンが人々の目を釘づけにしている。隣には宿屋が、反対側には食堂が、向かいには武器屋に金物屋に菓子屋など、様々な店が雑多に軒を連ねていた。
 どれも箱入り息子のレイモンドにとっては珍しいものばかりだ。
 あっちにも、こっちにも、見てみたいものがたくさんある!
 それでも、せっかく連れてきてもらったのだからいい子にしていなければ。衝動的に行動してはいけないと、この一週間でよくよく反省したのだ。
 とはいえ好奇心を完全に抑えるのは難しく、薬屋の棚に並んだ薬草に知らず目を奪われていると、後ろでくすくす笑う声がした。
 ふり返れば、セドリックが小刻みに肩を揺らしている。

「そんなに見たいなら行っておいで」
「えっ。いいんですか?」
「父上や母上には内緒だよ。俺はあっちで贈りものを選んでいよう」

 セドリックはそう言って斜向かいの菓子屋を指す。街で評判の店だ。
 彼の婚約者は甘いものが大好きで、中でもセドリックがはじめて贈ったこの店のチョコレートがお気に入りなんだとか。おかげでセドリックは新作が出るたびにおねだりされ、せっせと店に足を運んでいる。

「チョコレートなんて、彼女には珍しくもないだろうにね」
「セディ兄様の贈りものだからうれしいんですよ、きっと。ぼくだって、あの日記帳をいただいてとてもうれしかったですから」
「レイ……」

 セドリックは少し驚いた顔をした後で、すぐに白い歯を見せて笑った。

「おまえにそう言ってもらえると心強いな。よし、レイに背中を押してもらったし、とっておきのものを選んでくるとしよう」
「はい。行ってらっしゃいませ」

 侍従とともに店に向かう兄を見送り、レイモンドも薬屋に向き直る。
 わくわくしながらドアを押し開けた途端、身体に染み渡るような生薬の香りに包まれた。
 壁一面にたくさんの小さな引き出しが並び、それぞれにラベルがついている。おそらくあの中に薬が入っているのだろう。細長いカウンターの上には調合前の薬草や香草、乾燥させた花や木の根、さらには虫や動物の一部と思しきものまでが透明の瓶に入って整然と並べられていた。

「うわぁ……すごい……」

 まさに圧巻の一言だ。
 図鑑で見たものもあれば、伶が研究していたもの、実際によく使っていたものもある。
 興味津々で見入っていると、奥から店主と思しき中年の男性が現れた。客が貴族の子息らしいと知るや、彼は意外そうな顔で目を瞬く。

「いらっしゃいませ。本日はどのようなものをお求めで?」
「あ、いえ……すみません。興味があって、つい入っちゃいました」
「さようでございましたか。どうぞどうぞ、遠慮なくご覧ください」

 ありがたい言葉に甘え、レイモンドはさっそく店内をキョロキョロと見回した。

「珍しいものがたくさんありますね。これも、これもはじめて見ます……わぁ、あんなのも……。この間植物図鑑を読んだばかりで、こうして見ているだけでも楽しいです」
「なるほど、図鑑を。興味がおありでしたらいくつかご紹介しましょうか」
「ぜひ、お願いします!」

 店主はにこやかに頷くとカウンターの内側に回り、棚から瓶をひとつ下ろす。中から取り出してみせたのは爪の先ほどの茶色い種だ。

「一口に薬草や香草と言ってもその効果は千差万別です。たとえば、このベルトラムには老廃物を排出してきれいな血を増やすとともに、頭脳を明晰にする効果があると言われています」
「え? ベルトラム?」

 手のひらに乗せてもらった数粒の種をまじまじと見ながら、レイモンドは鸚鵡おうむがえしにくり返した。その名前に覚えがあったからだ。ただし見るのははじめてだ。

「へぇ。これがベルトラムなんですね」
「おや、ご存じで?」
「はい、名前だけは。でも日本ではどうしても手に入らなくて」

 だから本を読んだり、写真を見たりして想像するしかなかった。それがまさか、こうして実際に触れる機会があろうとは。

「ニホン、というのは……?」
「あっ、なんでもないです。えーと、味見してみてもいいですか?」

 危ない危ない。
 怪訝そうな顔をする店主に曖昧あいまいに笑い返しつつ、粉末にしたものを少し分けてもらう。舐めてみると口の中に爽やかな風味が広がった。クローブにも似ているけれど、こちらの方が苦みが軽い。

「こんな味だったんだぁ」

 ジーンとするレイモンドとは対照的に、店主は困ったように苦笑した。

「粉だけ舐めても旨くはございませんでしょう」
「とんでもない。感激しました」
「さようでございますか……?」

 店主が不思議そうに首を傾げる。
 そこへ、セドリックが店に入ってきた。

「レイ」
「セディ兄様。素敵な贈りものは見つかりましたか」
「あぁ。あちらの家に直接届けてもらうよう手配してきた。おまえの方も、何かおもしろいものはあったかい?」
「はい。とっても!」

 頷きながらふり返ると、店主はますますなんとも言えない顔になる。
 セドリックはそれを見逃さず、やれやれと肩を竦めた。

「悪かったな。この子が困らせていたか」
「いえ、そのような……」
「これを見せてもらっていたんですよ。ベルトラムです。やっと見られたのでうれしくって」
「ベルトラム?」

 セドリックが首を傾げる。
 兄と店主が顔を見合わせる横で、レイモンドは今度はカウンターの上の香草を指した。

「さっきのベルトラムもそうでしたけど、薬屋さんなのに食用のものも置いているんですね」
「あぁ、これですか? これが何かおわかりですか?」
「ディルです」

 即答すると、店主がにこやかに頷く。

「そのとおり。古くから食用としてだけでなく、薬としても使われてまいりました」
「神経を落ち着かせたり、消化器系統の機能を助けたりする働きがありますね」

 その起源は古代エジプト時代にまでさかのぼる。まさに人の歴史に寄り添ってきたハーブの代表選手のひとつだ。

「よくご存じで。ちなみに田舎では、花嫁の靴にディルを入れる風習もございます」
「それ、聞いたことがあります。ディルの強い香りが悪魔を追い払うって言い伝えられているからなんですよね。だから、花嫁さんが守られるように靴に忍ばせたって……ふふふ。セディ兄様も、結婚式ではお義姉さんの靴にディルを入れてあげてくださいね」
「レイ。おまえ、風習のことまでよく知っているね?」

 目を丸くするセドリックに片目をつむると、レイモンドは再び店内を見回した。
 こうして実際のものに触れるたび、話すたびに、伶の知識がどんどんあふれてくるのが自分でもわかる。目の前が鮮やかに色づいていくようですごく楽しい。

「あ、これ。この丸い葉っぱはフェヌグリークじゃないですか?」
「おっしゃるとおりです」

 レイモンドは香草の束を手に取ると、そっと鼻を近づけた。フェヌグリークにはセロリのような強い芳香があるのだ。

「いい香り……。フェヌグリークは栄養が豊富で、食欲低下に効果があると言われていますよね。古代では、種から作ったペーストを身体に塗って体温を下げる方法もあったとか……暑いところで暮らす人々の知恵ですね」
「そんな方法が?」

 ついに店主まで目を丸くする。

「あっ。ぼくはやったことはないですよ」

 でも、試してみたいと思ったことならある。もちろん伶だった頃の話だ。
 懐かしさに胸を躍らせつつ、レイモンドは何気なくカウンターの奥に目を向けた。そうして棚の隅に隠すように置かれていたガラス瓶を見つけてハッとなる。遠目ながら、中に入っているものを見てピンと来たからだ。

「あれを見せてもらってもいいですか?」
「あ、あちらは……」

 店主はわずかに躊躇ためらったものの、レイモンドが「マルタンですよね」とズバリと言い当てると、観念したようにガラス瓶を取ってくれた。
 中には乾燥させた植物の根が入っている。

「マルタン? いったい何だい?」

 カウンターに手をついたままめつすがめつする弟に興味をそそられたのか、セドリックが小瓶の蓋に手を伸ばした。

「あっ! 触っちゃだめです兄様。毒なので!」
「ど、毒⁉」

 セドリックがギョッとして手を引っこめる。

「マルタンは根っこだけじゃなく、葉っぱや花にも毒を持っている恐ろしい植物なんです」
「どうしてそんなものを扱っているんだ」

 責めるような視線を向けられ、店主があたふたと頭を下げた。

「この辺りでは、昔から矢毒として利用しておりますので……」
「あぁ、矢毒か。なるほど」

 レイモンドも援護のため説明に加わる。

「マルタンは即効性のある毒なんです。毒性が強くて分解時間も早いので、大型獣を捕らえる時によく利用されるんですよ」
「坊ちゃまのおっしゃるとおりです。食用獣だけでなく、害をもたらす獣の駆除にも」
「それはわかったが……そんなに強い毒なら、射止めた動物の肉を食べるのは危ないだろう」
「大丈夫ですよ、セディ兄様。長時間加熱することで毒素が弱くなるんです」
「売る方としましても、誰彼構わずお渡しするわけではございません。国が発行する特別な許可証をお持ちの方にしか販売してはならない決まりがございます」
「そうか。よくわかった」

 セドリックはひとつ頷いた後で、「それにしても……」とこちらを見下ろした。

「おまえはいつからそんなに薬草に詳しくなったんだい? レイの口から毒薬の話を聞くことになるとは思わなかったよ?」
「えっ。えーと、その……本で読んだんです。植物図鑑で!」
「家の図鑑だろう? 俺も子供の頃に読みはしたけど、そこまで詳しく書いてあったかな……」

 首を捻るセドリックにギクリとなる。
 確かに彼の言うとおり、実際には植物研究をしていた伶の知識がほとんどだ。だからといって、それを正直に言うわけにもいかない。
 レイモンドはなんとか笑って誤魔化ごまかすと、「セディ兄様、そろそろ……」と兄を促した。小さな店にあまり長居するのも良くないだろう。

「あぁ。行こうか。長々と邪魔をした」
「とんでもございません」

 一礼する店主に、レイモンドも感謝をこめて微笑んだ。

「楽しかったです。珍しいものを見せてくださってありがとうございました」
「ご満足いただけましたら幸いでございます」
「今度はお客さんとして来ますね」
「またのお越しをお待ちしております」

 店主に見送られ、セドリックとともに店を後にする。
 一歩外に出た途端、忙しない往来の音に包まれ、一気に現実に引き戻された。

「やれやれ、不思議な店だったなぁ。レイの珍しい一面も見られた。連れてきて良かった」
「ぼくも、セディ兄様とご一緒できて良かったです」

 それもこれも、頑張って一週間謹慎に耐えたおかげだ。
 そう言うと、セドリックは「まったく……」とたしなめながらも笑ってくれた。

「でも、きちんと反省して偉かったからね。実は、レイの分のチョコレートも買ってあるんだ」
「えっ。本当ですか!」
「あぁ。ご褒美をあげすぎだと母上に叱られるかもしれないから内緒だよ。帰ったら一緒にお茶にしよう」
「わぁ、うれしい。セディ兄様、ありがとうございます!」

 チョコレートはレイモンドの好物でもある。
 その場でぴょんぴょん飛び跳ねる弟を見て、セドリックもうれしそうに目を細めた。

「このまま帰るのももったいないね。少し街を散歩しようか」
「はい!」

 大喜びで通りを歩きはじめる。
 すると向こうから、ひときわ大きな馬車がやってくるのが見えた。
 黒塗りの豪華な四頭立てで、一目で王室のものだとわかる。通りにいた人たちはいっせいに道を譲り、沿道の左右で頭を垂れた。
 レイモンドも、セドリックと一緒に敬礼しながら馬車を見守る。
 こんなところで王族に出会すとは思わなかった。慰問からの帰りだろうか。それとも灌漑かんがい工事の視察にでも行かれたのだろうか。
 それとなく見ていると、少し離れたところで馬車が停まり、ひとりの若い男性が降りてきた。
 数人の侍従を引き連れ、沿道の人々と言葉を交わしながらこちらへやってくる。その堂々とした振る舞いは間違いなく上に立つもののそれだ。光に透けるような美しい金色の髪をなびかせ、颯爽と歩いてくる姿は物語の中の王子様そのもののように思えた。

「……王子様?」

 自分の呟きにハッとなる。
 ―――もしかして……!
 レイモンドは胸を高鳴らせながらもう一度男性に目をやった。
 年齢は二十代半ば、二十二、三歳といったところだろうか。すらりとした長身で、均整の取れた体躯はまるで彫刻のようだ。同じ男でありながら思わず見惚れてしまうほどだった。
 その男性が、少しずつこちらへ近づいてくる。
 距離が縮まれば縮まるほど美しさは匂い立つようだ。秀でた額や男らしく切れ上がった眉からは聡明さを、目の覚めるような青い瞳や形の良い唇からは艶やかさを感じた。
 襟や袖に刺繍の施された裾の長い上着が上品な彼によく似合っている。
 ―――こんな素敵な方がこの世にいるんだ……
 この目で見ているのにまだ信じられない。
 衝撃のあまりため息を洩らすことさえできず、息を詰めて見守っていると、レイモンドの視線に気づいた男性がふとこちらを見た。

「……!」

 その瞬間、彼は雷にでも打たれたかのように動きを止める。美しい青い瞳は見開かれ、戸惑とまどいと歓喜に揺れるのが少し離れたところからでも見て取れた。

「驚いた……なんと可憐な……」

 ため息交じりに呟きながら男性が歩み寄ってくる。
 そうしてレイモンドのすぐ前に立つと、彼は眩しいものを見るように目を細めた。
 はにかむような笑顔に胸が高鳴る。王族の、それも年上の男性にこんなことを言ったら失礼だとわかってはいるけれど、なんてチャーミングな笑い方だろう。さっきまでの近寄りがたい雰囲気もどこへやら、途端に彼が身近に思えた。
 だから自然と、レイモンドも頬をゆるめる。
 男性は、側近が止めるのも聞かず、さらには弟を下がらせようとしたセドリックも目で制すと、レイモンドに話しかけてきた。

「出会えたことをうれしく思う。俺はシュタインズベリー王国第二王子、ブラッドフォードだ」

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