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本編
11】微睡
しおりを挟む長いような短いような曖昧な時間の中を揺蕩い、時折り水面に浮き上がるような感覚の中を漂い、海底深くに潜るように沈んで…。溶けるような感覚は気持ちよく、浸るように肢体を伸ばす。気分が良かった…。
『ここに通うよ。このオアシスを大きくする。砂漠がなくなる程に大きくしてやる。お前を解放して貰えるように。貰えるぐらい頑張るから。だから、だから、もう消えないでくれ……』
懐かしい声…。そんな声がした気がする……。その声を幾度も聴きながら、微睡の中で蹲っていた…。
………冷たい。
目が覚めると、冷たい地面に転がっていた。頬が冷たい泥に接触してる。
固い…。冷たい…。寒い…。
確かな物に手をついて身体を起こす。
掌に体重を感じた。
身体が重い…。小石が掌に食い込む。痛い。目が物を見ている…。光りを感じて目を細める。痛い…。
手足がある。
指もある。
痛覚がある。感覚がある。
手が泥で汚れていた。
その手で、指で、顔を触り、目鼻を確認。ある…。触れてる感覚がある…。目には植物の緑が映って…。目が光りに慣れて来た。風が肌を撫でてる…。
耳を触り、ある事を確認して、引っ張って、痛みに自分のだと実感し、髪を引っ張り、その痛みに生きてる事を感じた。
鼻の奥がツーンとして、視界が歪んだ。
溢れ出てくる液体は熱くて、視線を手に向ける。
手が揺れてる。
瞬きすれば、パタパタと泥に汚れた掌に落ちた。涙がとめどなく出てくる。
「エミル?」
声のした方に視線を向ければ、懐かしい瞳を持った美丈夫が立っていた。
彼の手には木を手入れする道具の入ったバケツが持たれていた。
それは、彼の手を離れて、音を立てて地面に落ち、道具が転がり散らばった。
赤い瞳。
ダークブルーの深い青色の髪。
長い髪は後ろでひとつに束ねている。
整った顔は陽に焼けて、目尻にシワが刻まれて……。
目に映る男は、僕と同じ歳もしくは、上な気がする。領主さまに似てるけど…。
領主さまは若くて…。僕はトウが立った男で、情夫で、ただの回復人形で…。もう人ではなくなってて…。
なんと返せば良いのでしょう…。僕は、エミルだけど…。
僕は僕ではなくなっていて……。この僕は、僕だけど、人はやめてたはずで…。ヌシさまと一緒に、これからも一緒で…。僕は、エミルでいてもいいのだろうか…。
見た目は前の状態になってるとは言え、人であるという保証も…ないのです。
『大丈夫。人だよ。ほぉ、ほぉ、ちゃんと復元出来て良かった。ほぉ、ほぉ、ほぉ』
ヌシさま?
頭の中でヌシさまが、とても嬉しそうに笑い宣ってます。
立ち尽くしてた彼が、ぎこちない動きで、一歩ずつ…徐々に近づいてきます。
くしゃくしゃの顔で近づいてくると、着ていた上着を脱ぎ、泥で汚れた僕に躊躇なく羽織らせてくれ、大きな身体で包み込むように抱きしめてくれました。
少し苦しいぐらいに強く。でも、心地よくて…。あの頃と何も変わらなくて…。よく分からないけど、領主さまなんですね。
誰かに感謝の言葉を呟いてます。この温もりは、領主さまで間違いなくて、声も渋みがあって…心地いいです。
ヌシさまが微睡の中で何か言っていた気がします。
若木を依代にしようとか。誰かと相談してるような話し声…。
50年ほど保つ容れ物を用意できるかとかなんとか。
ヌシさまは一度眠ると数年だったり数時間だったり、千年だったりするとか言ってたけど…。元気にされてたようです…。
共有する感覚がヌシさまの楽しそうにしてる様子を伝えてきていました。僕はなんだか周りを元気にするんですね。元気になってくれるのは嬉しいです。
僕はただただ漂うように眠りを貪っていた間に、ヌシさまは短い眠りで目覚めて、精力的に活動していたようですね。
僕なんかの為にあれこれ試していたのを夢うつつに感じていたのを思い出して来ました。
……ありがとうございます。
相談相手は領主さまだったのでしょうか。だとすると、領主さまも頑張ってくれていたという事ですね。
僕は、なんと言うか……、ただの回復要員の情夫だった者に…、申し訳ないです。
『ありがとう、ヌシさま』
僕は、地上に還ってきたようです。ヌシさまがなんとか分離してくれて、何かを依代に…。僕の身体を作ってくれた。すごい事です。
「領主さま…」
彼にキュッと身体を寄せて、小さく呟いた。
僕は……、一番帰りたかった場所に帰って来れたのですね。彼の胸は心地よくて、目を閉じて心臓の音を聴いていました。
「もう領主じゃない。名を呼んでくれるだろうか?」
静かな声。振動も心地いい。
領主さまにも名前があるんだと呑気に見上げて彼を見遣ります。赤い瞳…。綺麗だなぁ。
見惚れながらコクリと頷いていました。
意志の固さを思わせる形良い唇が動くのをぼんやり見てます。
「ヴィクトル。……エミル、探したよ」
探させてしまったらしい。どうしてだろう…。
「ヴィクトルさま。僕は…」
領主さま、もとい、ヴィクトルさまは僕の言葉を待っているようです。
目覚めてすぐの僕は、ぼんやりで、でも忙しく頭の中は回ってて、言葉は生まれてはシャボン玉のように弾けて、消えていくのです。困りました。
「ひとまず、屋敷に行こう」
ヒョイと抱えられました。横抱きで運ばれてます。腕の中は安定感があって、安心して身体を預けられました。
緑が広がってる。
乾いた風も感じる。
目に映る全てを見ていたかったのですが、急激に眠気がやってきて…。疲れてしまったようです。
以前より逞しくなった胸に縋りついて眠ります。懐かしい匂いです…。
目が覚めるとふかふかのベッドで、天井を見上げると、天蓋。
天蓋付きのベッドです。
なんだかデジャヴ…。
ゴロリと寝返りを打つと、離れたところのソファに座り、ローテーブルに書類を広げ、手元の紙束を見てるダークブルーの髪の人がいました。
手元の書類を捌いてる。あっちは終わったの。そっちは保留で、こっちは未処理?
結構な量ですね。
仕事をしてるその姿をぼんやり眺めていました。領主さまは働き者ですね。
肩幅も張って一回りは大きくなってる気がします。広い背中には頼り甲斐のある落ち着いた雰囲気が漂ってます。
自分の状態に意識を向けてみます。
泥だらけだった身体は綺麗になっています。
素肌にシーツの乾いた感触…。
どの感覚も懐かしく、新鮮な気分です。
『ヴィクトルさま…』
心の中で呟いてみれば、ほわぁんと温かくなります。とても幸せな気分…。
微睡む中、領主さまを想っていたと思う。
度々、気づけば、接触スレスレに様子を見に行ってたようで、気付いては引き返していた。会いたくて…、会いたくて…。
彼を強く想えば、抱かれた感覚が唐突に蘇り、身悶える事もあった…のだと、今は思い返せる…。
あれは仕事だったのに、抱かれたがってるようで、自分が嫌になって。悔しいような、イラつきと悲しさでいっぱいになっていた。
身体の中をスライムが這い回るような気さえ起きたりもしていた…。身体が疼き、心が疼き、ズクズクと痛んだ…。
会いたい…。即座にそんな事はないと、否定して、苦しくなって、泣いては、ヌシさまがヨシヨシと撫でてくれていたのだった。迷惑かけていたです…。
揺蕩い、微睡の中、領主さまを恋しく想っていた。
全てを否定して、苦しくなって……。
これでは好いた人に会いたいようではないか…と思い至って、咽び泣いた。戻れない…。
ヌシさまが『帰りたいか?』と訊いてくる。
思い浮かぶ場所は、彼の腕の中だった…。
僕は、領主さまに恋していたんだ。年甲斐もなく、年若い、身分違いの彼に恋をしていた。
夢の中で自分の気持ちに気づいて、叶わぬ想いに涙も枯れて、冷笑する。
自分はただの情夫なのだ。もう情夫ですらない。
深く眠ろう……。
それが最後だった。
同化してるというのは何にかも共有されてる、全て筒抜けで……恥ずかしい。
ヌシさまがなんらかの事をしてくれたのだろう…。身体を作ってくれた。これだけで十分だ。
領主さまに会えた。抱きしめても貰えた…。
もう十分だ。
この場からどう逃げようか…。
『もう消えないでくれ』……あれは誰の言葉だろう…。
ぼんやりとしていた…。
================
不思議空間の表現は難しいです。伝わるかなぁ(^_^;)
さあ、エミルどうする? そしてヴィクトルも…。
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