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変わらぬ現状
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契約を交わし、アリシアは大公家の侍女として正式に雇用された。
ジェイデンは何もしなくていいと言っていたが、ジェイデンに抱かれるのをただ待つだけなど、アリシアには耐えられなかった。
しかも突然現れたアリシアが大公家に居着き出したら、周りの使用人から奇異の目で見られてしまう。
どうしてもそれだけは避けたかった。
「本日より大公家に配属となりました。アリシア=ランカスターと申します。至らぬ点もございますが、何卒よろしくお願いいたします」
もう離縁届も受理される頃だと思い、今度は旧姓を名乗る。
使用人達と挨拶をするが、マリアのように快く受け入れてくれる者もいれば、それとは逆に新参者を嫌煙する者もいる。
「ずいぶん、辛気臭い方が入ってきたものね」
「えぇ。大公様はどうしてあんなのを受け入れたのかしら」
挨拶の為に頭を下げていると、ふとそんな呟きが耳に入る。
だが、アリシアが動揺することはない。
こういった台詞に慣れているからだ。
嫌というほど、この手の文句や嫌がらせは散々受けてきた。
そんなことで怖気づくほどの、繊細な心はすでに持ち合わせていなかった。
「何か気に食わないことがございましたら、直接言っていただけると助かります。先輩方を煩わすような真似はしたくありませんので……」
声の主たちに向けて、それとなく話した。
とたんに黙り込んでアリシアを鋭くキッと睨んでいる。
こうして皮肉のように対応しにこりともしないアリシアに、夫は無愛想だとブツブツ文句を言っていた。
アリシア自らもそういう自覚があった。だからこそ夫は、より女らしく甘え上手な女性ばかりに手を出していたのだろう。
傾く子爵家をどうにかしようと奮闘していたアリシアに甘えている余裕などなく、唯一甘えられる存在だったはずの夫は、懸命に働くアリシアを突き放し、好き放題遊んでいた。
「生意気っ!」
「なに、あの態度っ!」
どこへ行っても、変わらない。
やはり自分という存在は、受け入れられないのだと改めて自覚した。
◆◇◆
ハミルトン大公家は広大だった。
屋敷の規模、部屋数、使用人の人数、敷地面積。
とにかく子爵家とは比べ物にならない。
新人のアリシアは洗濯物などを洗う雑用係として働いた。同じく雑用係としてアリシアと同僚になった中に、アリシアと同い年の女性がいた。
彼女はアンという。背丈はアリシアと同じ位で、金髪に青い瞳、そばかすが可愛らしい彼女は25歳で男爵家の三女だった。
「おはよう、アリー!」
「おはよう、アン」
アンは明るくアリシアにも積極的に話してくれ、同年代の二人はすぐに仲良くなった。
その日は天気も良く、大公家の中にある井戸の洗濯場で洗濯物を洗っていた。
「アリーの痣も、だいぶ良くなってきたね」
裸足でシーツを踏みながら揉み洗いしていたアリシアを、隣で同じく洗っていたアンがしみじみと呟いた。
「そう? ようやくね」
こういう話題を避けられるより、はっきりと言ってくれるアンに、アリシアの心は少しずつ軽くなっていった。
「アリー……」
「心配してくれてありがとう。これでも、ここに来れてずいぶん楽になったのよ」
アリシアはアンに大まかな事情を話していた。
アンは親身になって聞いてくれた。年の近い友達がいなかったアリシアにとって初めてできた友人だった。
「でも、アリーの旦那さんてホント酷い人だよね! 暴力振るう男なんて最低だよっ!」
アリシアが大公家に来て、一月が経っていた。
まるで自分のことのように怒ってくれるアン。大公家に無理やり留まることになったアリシアは、アンの存在に救われていた。
「私の努力も足りなかったから……」
「どうしてそうなるの!? 暴力なんて振るうほうが悪いんだよ?! アリーは被害者なの!」
「……そうなのかしら」
「そうなの!」
アンが怒ったようにシーツを手でぎゅうっと絞っている。その様子に思わず苦笑した。
子爵家では夫に暴力を振るわれても、アリシアが悪いとしか言われなかった。お前が悪い、お前の努力が足りないと。
だがアリシアはできる限りのことはしていた。
それでももっと努力しろと言われ、どうすることもできず、次第に無気力になっていった。
アンがこうして好意的に接してくれる反面、もちろんそうではない輩もいる。
洗ったシーツを大きな籠に入れて、二人で外に干す途中。
突然、歩いていたアリシアの足に何かが引っかかる。
「あっ!」
「え! アリー、大丈夫!?」
持っていた籠からシーツが外へと落ちた。地面に落ちてしまったシーツは土がつき汚れてしまった。
「あら? 邪魔なものがあると思ったら、またあなたなの?」
「まだ居たのね。やだっ、せっかくのシーツが台無しじゃない! 洗濯もまともにできないなんて……ほんっと、役に立たないわね!」
笑いながら転んで地面に膝をついているアリシアを嘲笑う。
繰り返される場面に、アリシアは思わず苦笑を漏らした。
結局、世の中など、どこへ行こうとも別段変わりなどしないのだ、と。
ジェイデンは何もしなくていいと言っていたが、ジェイデンに抱かれるのをただ待つだけなど、アリシアには耐えられなかった。
しかも突然現れたアリシアが大公家に居着き出したら、周りの使用人から奇異の目で見られてしまう。
どうしてもそれだけは避けたかった。
「本日より大公家に配属となりました。アリシア=ランカスターと申します。至らぬ点もございますが、何卒よろしくお願いいたします」
もう離縁届も受理される頃だと思い、今度は旧姓を名乗る。
使用人達と挨拶をするが、マリアのように快く受け入れてくれる者もいれば、それとは逆に新参者を嫌煙する者もいる。
「ずいぶん、辛気臭い方が入ってきたものね」
「えぇ。大公様はどうしてあんなのを受け入れたのかしら」
挨拶の為に頭を下げていると、ふとそんな呟きが耳に入る。
だが、アリシアが動揺することはない。
こういった台詞に慣れているからだ。
嫌というほど、この手の文句や嫌がらせは散々受けてきた。
そんなことで怖気づくほどの、繊細な心はすでに持ち合わせていなかった。
「何か気に食わないことがございましたら、直接言っていただけると助かります。先輩方を煩わすような真似はしたくありませんので……」
声の主たちに向けて、それとなく話した。
とたんに黙り込んでアリシアを鋭くキッと睨んでいる。
こうして皮肉のように対応しにこりともしないアリシアに、夫は無愛想だとブツブツ文句を言っていた。
アリシア自らもそういう自覚があった。だからこそ夫は、より女らしく甘え上手な女性ばかりに手を出していたのだろう。
傾く子爵家をどうにかしようと奮闘していたアリシアに甘えている余裕などなく、唯一甘えられる存在だったはずの夫は、懸命に働くアリシアを突き放し、好き放題遊んでいた。
「生意気っ!」
「なに、あの態度っ!」
どこへ行っても、変わらない。
やはり自分という存在は、受け入れられないのだと改めて自覚した。
◆◇◆
ハミルトン大公家は広大だった。
屋敷の規模、部屋数、使用人の人数、敷地面積。
とにかく子爵家とは比べ物にならない。
新人のアリシアは洗濯物などを洗う雑用係として働いた。同じく雑用係としてアリシアと同僚になった中に、アリシアと同い年の女性がいた。
彼女はアンという。背丈はアリシアと同じ位で、金髪に青い瞳、そばかすが可愛らしい彼女は25歳で男爵家の三女だった。
「おはよう、アリー!」
「おはよう、アン」
アンは明るくアリシアにも積極的に話してくれ、同年代の二人はすぐに仲良くなった。
その日は天気も良く、大公家の中にある井戸の洗濯場で洗濯物を洗っていた。
「アリーの痣も、だいぶ良くなってきたね」
裸足でシーツを踏みながら揉み洗いしていたアリシアを、隣で同じく洗っていたアンがしみじみと呟いた。
「そう? ようやくね」
こういう話題を避けられるより、はっきりと言ってくれるアンに、アリシアの心は少しずつ軽くなっていった。
「アリー……」
「心配してくれてありがとう。これでも、ここに来れてずいぶん楽になったのよ」
アリシアはアンに大まかな事情を話していた。
アンは親身になって聞いてくれた。年の近い友達がいなかったアリシアにとって初めてできた友人だった。
「でも、アリーの旦那さんてホント酷い人だよね! 暴力振るう男なんて最低だよっ!」
アリシアが大公家に来て、一月が経っていた。
まるで自分のことのように怒ってくれるアン。大公家に無理やり留まることになったアリシアは、アンの存在に救われていた。
「私の努力も足りなかったから……」
「どうしてそうなるの!? 暴力なんて振るうほうが悪いんだよ?! アリーは被害者なの!」
「……そうなのかしら」
「そうなの!」
アンが怒ったようにシーツを手でぎゅうっと絞っている。その様子に思わず苦笑した。
子爵家では夫に暴力を振るわれても、アリシアが悪いとしか言われなかった。お前が悪い、お前の努力が足りないと。
だがアリシアはできる限りのことはしていた。
それでももっと努力しろと言われ、どうすることもできず、次第に無気力になっていった。
アンがこうして好意的に接してくれる反面、もちろんそうではない輩もいる。
洗ったシーツを大きな籠に入れて、二人で外に干す途中。
突然、歩いていたアリシアの足に何かが引っかかる。
「あっ!」
「え! アリー、大丈夫!?」
持っていた籠からシーツが外へと落ちた。地面に落ちてしまったシーツは土がつき汚れてしまった。
「あら? 邪魔なものがあると思ったら、またあなたなの?」
「まだ居たのね。やだっ、せっかくのシーツが台無しじゃない! 洗濯もまともにできないなんて……ほんっと、役に立たないわね!」
笑いながら転んで地面に膝をついているアリシアを嘲笑う。
繰り返される場面に、アリシアは思わず苦笑を漏らした。
結局、世の中など、どこへ行こうとも別段変わりなどしないのだ、と。
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