【R18】不幸な弟の幸せを壊したかった

鈴元 香奈

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 リビングルームで待っていると、環は昨夜着ていたワンピースに着替えてバスルームから出てきた。
「なぜ僕を誘ったのか、説明してくれないか?」
 僕はソファに座るように目線で環を誘いながらそう訊いた。
「別に……」
 俯きながら呟く環の答えは嘘に決まっている。二十歳の処女が理由もなく男を誘う訳はない。

「君から誘ったんだ。嫌なら帰るようにとも言ったはずだ。ここに残ることを選択したのも君だ。それなのにあの状態で止めてくれって、酷すぎるんじゃないか? しかも、ずっとすすり泣いているって、まるで僕が無理やり犯したみたいじゃないか。男にとってはトラウマもんだぞ。こんな事した訳ぐらい教えてくれてもいいと思うけど」
 軽く環を睨んでやると、顔色がさっと青くなった。
「ごめんなさい。初めてが痛いことも、男の人は途中で止めるのが困難なことも知っていたのに。迷惑をかけてしまいました」
 環の声が震えているので、僕はきつく言い過ぎたかと反省した。
「処女が痛がるのは普通だろうから、そのことに怒っている訳ではない。君がこんなことをした理由を知りたいだけだ」
 なるべく柔らかい声になるように気をつけながら訊いた。

「昨日、見合いをしたの。相手は離婚したばかりの四十二歳の男。その場でキスをされて、今度温泉へ行こうと誘われた。嫌だけど私から断ることはできないの。あんな男に処女をやるぐらいなら、捨ててしまいたかった。ごめんなさい」
 環は床の一点を見つめながら語り出した。
「なぜ断れないんだ? 親からの命令か?」
 そんな親が今時いるのかと思うが、子どものことを搾取できる従属物とでも思っている親がいることは否定できない。
 しかし、環は頭を横に振った。
「違うの。父も母も断ろうって言ってくれた。でも、そうすればうちは倒産してしまう。小さな印刷会社だけど従業員もいるし、借金をかかえて倒産したりしたら、父も母も苦しむから。私一人が我慢すればそれで済むと思ったの」

 環がぽつぽつと語ったことを要約すると、見合い相手の男は美容器具を製造販売している会社の社長で、環の父親がやっている印刷会社にフルカラーの立派なパンフレットとパッケージを大量に発注した。
 環の父親は今後も受注することを見込んで、印刷機を高速なものに一新して、紙の梱包材を作るためにダンボールを複雑な形状に自動で折りたたむ高価な機械も購入してしまったらしい。
 しかし、そのパンフレットとパッケージにミスがあった。価格が一桁違っていたのだ。父親は電話で価格改定を伝えられた言っているが、その男は否定していると言う。
 パンフレットとパッケージの代金支払い拒否と今後の取引停止。その上、価格のミスに気付くまで定価の十分の一の価格販売した損害や商品回収にかかる費用を賠償しろと言われているらしい。

「でも、私と結婚すると親族になるんだから、考慮するって。国立大学卒の嫁は自慢できるから、結婚は卒業後でいいけど、すぐに婚約して欲しいと言われたの」
 そんなことで結婚を決めるなんて馬鹿じゃないかと思うが、環は従おうとしているらしい。

 僕はその男が徹底的に気に食わない。
「明日授業はある?」
 環は僕の質問の意図がわからず首を傾げながらもちゃんと答えた。
「明日は月曜日だから、四限と五限だけ。三時に着けば間に合う」
 僕は卒論以外の単位は全て揃えているから、休んでも問題ない。
「それなら、もう一泊してもいいか?」
 環は驚いて目を見開いた。握りしめた手が震えている。
「ごめんなさい。こんないい部屋をとってもらったのに、甲斐田さんを満足させるどころか辛い目に合わせてしまって。でも、今晩は…… できるのなら後日で駄目でしょうか?」
 環に潤んだ目で見つめられた。それって男を煽っているのかと思ったけれど、環にその意図はないのだろう。

「僕は嫌がる女を無理やり抱く趣味はないから安心して。君はこのまま帰るのは辛そうだし、心当たりがあるので明日ちょっと尋ねてみようと思うんだ。その後大学まで送っていくよ。まずは朝食をルームサービスしよう。好きなの選んで」
 環は動くのが辛かったのか、僕の提案に反対しなかった。
 

 朝食後は部屋でゆっくりビデオを見て過ごした。映画の趣味が同じで、見るビデオがすぐに決まったのが嬉しかった。
 昼前に外出しないかと誘うと環が頷いたので、ホテルのレストランで昼食をとり、車に乗って観光地に行ってみることにした。
 有名な神社とお寺。ミュージアムも行ってみた。日曜日なのでどこも混んでいたが、それなりに楽しかった。

 コンビニに寄って下着を購入してホテルに戻ることにする。夜はもちろん別のベッドで寝た。破瓜の痛みのあるうちに抱くほど僕は飢えてはいない。それに、環の信頼を得たかった。


 月曜日、九時過ぎに部屋を出た。三十万円を超える宿泊料金を聞いた環が申し訳なさそうにしていた。そして、カード支払いのために署名をした僕を見て本名だったのかと驚いていた。



「凪?」
 目的地に向かって車を運転していると、大きな荷物を持った凪が歩道を歩いているのを見かけた。僕は道端に車を停めてクラクションを鳴らす。すると凪がこちらを見た。
「乗っていくか?」
 僕は窓を開けながら声をかけた。凪はためらっていたが助手席に環が乗っているのを見て安心したのか、こちらに近付いてきた。僕は降りて後部座席のドアを開けると凪は素直に乗ってきた。

「すいません。向こうのドラックストアで安売りをしていたので、つい買い込んでしまって」
 凪はテッシュとトイレットペーパを手に持ち、腕からぶら下げた袋には洗剤やシャンプーが入っていた。
「あのマンションにはシェアカーがあるんじゃないのか?」
 ここはマンションから歩くことができない距離ではないが、大型の荷物があるなら車を借りた方が楽に決まっている。
「運転免許を持っていないんです。でも、結婚すると家族手当を二万円もらえるようになり、章さんは自由に使っていいって言ってくれているので、ある程度貯まったら自動車学校へ行こうと思っています」
 僕はため息を付いた。
「父は援助をしているはずだが。運転免許を取るぐらいの金はあるだろう」
「子供のために貯めておきたいから。教育費は高いって聞いているので。外国の大学や大学院に行きたいと言うかもしれないし。章さんに子供だから」
「凪さんは父や俺を馬鹿にしているのか? 孫や甥、姪が進学を希望しているのに僕たちが支援しないとでも思っているんだ」
 僕がそう言うと、凪は何かをためらっているようにしばらく無言になった。

「貴方たちは私のような女には何を言ってもいいと思っているでしょうけど、言われた方はとても辛いです」
「あんな事を言った僕の世話にはなりたくない」
「はい」
 凪は小さ声で肯定した。

 マンションが見えてきて僕は車を止めた。
「ありがとうございました」
 礼を言う凪の声は震えている。土曜日のことを思い出していたのかもしれない。凪は自分でドアを開けて走り去るようにしてマンションに消えていった。

「あの人に何を言ったの?」
 それまで黙っていた環が突然訊いてきた。
「童貞をたらしこみマンションに転がり込んで寄生している女」
 僕は環に引かれるかと思いながら正直に答えた。
「酷いことを言うのね。まるで、好きな娘を虐める小学生みたいよ」
 環は思わぬことを言う。
「違う。凪は弟の結婚相手だ。それに、土曜日に初めて会ったばかりなんだ」
「きれいな人ね。中性的な顔立ちに短い髪が似合っているし、スレンダーで背も高い。まるでモデルさんみたい。童顔で背が低くて胸だけが大きいアンバランスな私とは大違い」
 環にとって、あの柔らかい胸もコンプレックスらしい。
「僕は童顔の方が好みかもしれない」
「ロリコンなの?」
 環は少し嬉しそうに笑った。
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