暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話集 四季折々

晩秋の初恋(史上最強の××)3

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 フランシスが駆けつけた先では、衝撃的なシーンが繰り広げられていた。
 王妃の筆頭補佐官であるイアル・ランバートが、マリーを後ろから羽交い締めにし、彼女から肘鉄を食らいながら、待ってくれ、行かないでくれ、話を聞いてくれ、俺が悪かったのなら謝る、と口説いていたのだ。

 彼は確か、妻帯者であるはずである。それにそろそろ四十に近いはずだ。それが、自分の子供のような娘に手を出しているとは、騎士としても、男としても、到底許せる行為ではなかった。
 そんなことよりも、なにより、彼女に無理強いをしている、その姿を見ただけで、彼は頭に血が上っていた。

「離せ!」

 フランシスは突進した。ランバート補佐官の腕を取り、彼女から引き離そうとした。――が。
 ふっとランバート補佐官が見えなくなったと思ったら、ふわっと体が浮き上がり、青い秋の空が見え、そして、背中から硬いものにぶつかる感触が襲ってきた。
 何が起こったのかもよくわからなかった。腕を捻りあげられて取られたまま鳩尾に踵を捩じ込まれ、思わずうめき声が漏れる。

「何者だ」

 鋭い殺気に全身を刺される。彼の背中に、どっと冷や汗がわきだした。

「お待ちください! 申し訳ありません! 哨戒中に女性の悲鳴を聞いて駆けつけました。それは新入りで、事情をよく知らないのです。どうかお許しを」
「なんだ、エルの部下か」

 力強く腕を引っ張られ、起き上がらされた。まだ泡を食って頭の芯がどことなくぼんやりしており、自分の力というよりは、補佐官の力で、真っ直ぐに立つ形にされる。フランシスは背も高くがっしりした身体つきにしっかりと筋肉をつけており、体重は重いはずだった。それをこともなげに扱う膂力に、彼は驚いた。

「私の監督不行き届きです。申し訳ありません」

 声のした方を見れば、副隊長が頭を下げている。
 でも、この男が彼女に不埒な真似をしていたからだろう!? 何を頭を下げる理由がある!?
 フランシスはいきり立って、目つきを鋭くした。
 のだが。

「いや。私もつい、妻がいたものだから、警戒してしまった」
「えっ!?」

 妻!?

「ランバート王妃筆頭補佐官殿と、その奥方マリー殿だ」

 副隊長もフランシスに言い聞かせるように繰り返した。
 言われてみれば、確かに補佐官は彼女を背に庇っていた。どうやら彼の方こそ、暴漢か何かと思われたらしい。
 その背から、ひょこっと彼女の顔が現れた。やはりあどけなく可愛いらしい顔をしている。

「あら、あなた、この間はお世話になりました」

 フランシスに惜しげなく向けられた、にっこりとした表情は、やはりどう見ても十七、八の少女にしか見えない。
 だが、補佐官の奥方といえば、王の御子たちの乳母でもある。確か、王妃とは幼馴染で同い年のはずだった。
 そして、王妃陛下は、御歳三十五であらせられる。

「えええっ!?」

 嘘だ。この人が三十五歳なんて、嘘に決まっている!

「なんだ、これと知り合いなのか」

 補佐官から、冷やりとした殺気が流れてきた。フランシスは本能的に身をすくめた。穏やかそうな容貌をしているが、さっきの身のこなしといい、膂力といい、この殺気といい、ただ者ではない。
 というより、いつでも王妃に影のように付き従って戦場を駆け巡った武勇伝は有名で、それが嘘でもなんでもないことを、フランシスは身を持って感じたのだった。
 しかし、そんな補佐官に向かって、彼女はつんけんと言い放った。

「あなたには関係ありません」
「俺たちは夫婦だ。関係なくないだろう」 
「誰が夫婦ですか。私たち離婚しました。ええ、今度こそきれいさっぱり、縁を切りましたとも!」
「マリー!」

 補佐官は慌てた顔で、彼女の両腕をしっかりと捕まえた。その手を、彼女は難なくはずす。

「俺が悪かった。謝る。だから、機嫌をなおしてくれ」

 補佐官は、またもや彼女を捕まえようとして振り払われながら、懇願した。

「じゃあ、何が悪かったか、何を謝っているのか教えてちょうだい」
「それは」

 補佐官は言葉につまった。心当たりがありすぎるのか、なさすぎるのか、手堅く切れ者と噂の彼が、たじたじだった。

「そんなデリカシーの欠けた男は嫌い! 離してちょうだい!」
「マリー、教えてくれ、俺の何が悪かった。必ず反省して直すから、頼むから教えてくれ」
「しつこい男なんて、サイテーよ!」

 スカートの裾がひらめき、補佐官の向こう脛に蹴りが入る。
 あれは痛い。涙が出るほど痛い。
 案の定、補佐官は心持ち身を屈め、苦しそうな声を出した。

「マリー、愛してる。離婚なんて言わないでくれ」
「私が愛してるのはソランです! 次は子供たち! あんたなんか、下から数えて何番目だから!」
「マリー!」

 補佐官が悲痛に叫ぶのを、フランシスは唖然として見ていた。
 その腕をエルドシーラが掴み、元のコースへと引っ張っていく。
 彼は怒鳴り声と叫び声が聞こえるたびに振り返りたい衝動を抑え、おとなしく先輩に従ったのだった。



「いや、なんだ、その、そういうわけだ」

 夫婦喧嘩の声が聞こえなくなった所で、ぼそりとエルドシーラが言った。

「……はい」

 フランシスも、呆然としながら、ぽつりと答えた。
 それ以外、答えようがなかった。
 なぜなら。
 あの強烈な肘鉄。鋭い蹴り。話しながら補佐官の手を振り払う、流れるような組み手の攻防。それらはどれも、彼女の噂を裏付けるものだった。

 マリー・ランバート。王妃命の、史上最強と称えられる乳母殿。
 第一王子を狙った刺客三人を、ものの数秒で始末したと言われている女性だ。
 しかも、『王妃の花園』の中心人物でもある。

 補佐官相手に一歩も引かない、いや、むしろ完全に尻に敷いている姿に、フランシスは圧倒されてしまっていた。
 とても彼の手に負えるような女性とは思えなかった。

「あー、どうだ、業務が終わったら、飲みに行くか。奢るぞ」
「……はい。ありがとうございます」

 フランシスは、なんだか急に秋風が身と心に沁みて、魂の抜けた顔で、高い空を見上げたのだった。



 こうして彼の初恋は、終わりを告げたのだった。
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