無双の始まりは婚約破棄から

真田奈依

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第十話 説教令嬢 その1

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 ほんの小さな失敗だった。ノートを落としてページがくちゃっとなっただけ。慌てて拾った。
 だが、その瞬間を見逃さない女がいた。背後から高らかな声が飛んできた。
「女の子なら、もっと所作を丁寧にすべきよ!
 まったく、だめね。もっと気をつけなさい!」
 振り返ると、エミイ・ツイスターが腕を組んで仁王立ちしていた。
 周囲の男子が注目するのを確認してから、わざわざ声を張り上げる。
「女の子なら、持ち物一つだって大切に扱うべきでしょう! そうでなければ、将来恥をかくのよ!
 女の子なら、きちんとしていないと男子に幻滅されるんだから。あなたのためを思って言ってあげてるんだからね」
 背の高いエミイが得意げに腰に手を当て、見せつけるようなポーズ。
 わたしは小さく縮こまり、屈辱に顔を赤くし、周囲の視線に耐えるしかなかった。

 事あるごとにエミイはわたしに説教した。
「ペンは親指と人差し指と中指で支えるもの!小指が動いてるわよ!」
「ドアを開けるときはノックしてから二秒待つべき!一秒じゃ早すぎるの!」
「言葉の語尾は伸ばさない!“えっとー”なんて絶対だめ!」
 わたしを叱ることが、エミイにとっては「いい女アピール」なのだ。
 胸が締めつけられる。
 エミイに説教されると、モヤモヤして夜眠れなかった。



 ダンスのレッスンの時間だった。
「セシリアの踊る姿は綺麗ね。姿勢がいいし、所作が優美よね」
 クラスメイトのシドニーに褒められた。
「ありがとう」
「それに引き換え、エミイ・ツイスターのダンスったら、まるで体操ね。
 エミイがあなたに説教する資格なんてないわ。大股で大きな音を立てて歩くし、物の扱いは粗雑だし。スープは音を立てて啜るくせに。
 しかも平民出身の転入生のくせに偉そうに。
 セシリア、なんで言い返さないの?」
 けれども私は微笑んで、
「エミイは、私のためを思って言ってくれているのだと思うの」
 と返す。


 その日、教室では近々開かれる学園の舞踏パーティーの話題で持ちきりだった。
 女子たちは「誰から誘われるのか」と胸を弾ませ、男子たちは「どの子を誘おうか」とひそひそ相談している。
 セシリアも、もちろん参加したかった。
 けれど――彼女には、誘いを期待できるような相手がいなかった。
「セシリア、あなたはどうするの?」とクラスメイトに問われても、曖昧に微笑んでごまかすしかない。
 そのとき、エミイの鋭い声が飛んだ。
「パーティーに参加したいのなら、まずは立ち居振る舞いを改めるべきよ!
 女の子なら、誘っていただけるような品格を持ちなさい!」
 説教令嬢エミイ・ツイスターの声が響く。教室がシンと静まり返る。
 いつものように、エミイは腰に手を当て、得意げに説教を続けた。
 みんなの前で繰り返されると、まるで自分が本当に“出来の悪い子”みたいに見えてしまう。
 ――やめて。そんなこと言わなくてもいいのに。
 セシリアは唇を噛みしめた。
 そしてその夜。寮の部屋にひとり戻ったセシリアは、机に突っ伏して深いため息をついた。
「……私、パーティーに出られるのかな」
 窓の外の星明かりが、静かに揺れていた。



 ある日の授業後、セシリア・ハートウェルは、うっかり教室でインク瓶を倒してしまった。
 机の上に黒い染みが広がり、教科書の端が少し汚れてしまう。
 ――あっ……。
 慌てて布で拭き取ろうとした、そのときだった。
 鋭い声が教室中に響き渡る。
「まあ! セシリア! 人に迷惑をかけてどうするの!?」
 声の主は、もちろん説教令嬢エミイ・ツイスターだった。
「女の子ならもっと慎重に行動すべきでしょう! インクをこぼすなんて、品位に欠けているわ。
 とんでもないことよ、これは!」
 エミイは腰に手を当て、わざと周囲に聞かせるように声を張り上げる。
 やがて腕を組み、ねちねちと説教を続けた。
「そもそもね、女の子が机を汚すなんて言語道断。
 ペンの持ち方から見直すべきなの。肘の角度が悪いから、インクが安定しないのよ。
 それにあなた、普段から慎みがない証拠だわ。私は見てるのよ!」
(……ただのインクこぼしなのに……)
 セシリアは唇を噛みしめた。
 失敗を厳しく責めても解決しないのに。自分でも不注意を反省しているのに、どうしてここまで言われなければならないのだろう。
 説教は止まらなかった。
 延々と続く声に、教室は次第に気まずい空気に包まれていく。
 ――その日を境に、セシリアは「とんでもない失敗をした人」として学園中に知られることになる。
「聞いた? セシリア様が教室をインクまみれにしたんだって」
「だからエミイ様が長時間お叱りになったそうよ」
 噂は尾ひれをつけて広がり、セシリアはすっかり「大失敗の生徒」として扱われた。
 近づいて話しかけてくれる男子生徒は、誰ひとりいなくなった。
 廊下ですれ違うと、陰でくすくす笑う声すら聞こえる。
 ――これじゃあ、パーティーのパートナーになってくれる人なんて、もういない……。
 セシリアは絶望の淵に立たされ、落ち込み、ひとり静かに肩を震わせた。
 精神的に追い込まれながらも、ただ耐えるしかなかった。
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