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第八話 後編 お人好し令嬢は攻撃されたので、反撃することにしました
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秋も深まり、学園では冬休み前の華やかな行事が続いていた。
エミイ・ツイスターは、その中心にいた。
楚々とした笑顔。控えめな物腰。涙ぐむ様子を見せれば、誰もが「かわいそうな子」と庇った。両親を亡くし、兄夫婦とも疎遠。帰る家のない少女――そんな哀れな境遇が、貴族子女たちの同情心を刺激したのだった。
仮面の裏で彼女がほくそ笑む姿を、知っているのはクラリス・フォンテーヌだけ。
エミイ・ツイスターと関わってしまった。
──それが、すべての間違いだった。ゾッとするほどの敵意を笑顔の仮面で隠していたことに気づかなかった、自分が愚かだった。
恩を仇で返したエミイ・ツイスターに報復しようとした。でも未だ実行できずにいる。私は根っからのお人好しなのだ。人に危害を加える方法さえ思いつかなかった。
ただ耐えた。ただ黙って、日々を過ごした。
侯爵令嬢シルヴィア様の誕生日茶会に招かれた。
上級生であり、信頼厚いシルヴィア様は、慎重で賢明な人物として学園でも一目置かれていた。その茶会に、エミイも招かれた。
「それにしても、エミイさんはお気の毒だわ。ご家族と距離があるなんて……お兄様とは、もう随分お会いになっていないのでしょう?」
紅茶を口に運びながら、別の令嬢がふと話題を振った。悪意はない、純粋な関心からだった。
「……ええ。兄夫婦は、あたしのことを……嫌っていて……」
エミイは小さく目を伏せ、言葉を濁した。
だが、そのとき――
「まあ、当然よね。あれだけご実家で横暴に振る舞っていれば」
音を立てて、銀のティースプーンが落ちた。それはシルヴィア嬢の従姉、男爵夫人ミレイユ様だった。上品で、普段は穏やかな彼女の口調には、怒りの色があった。
「……ミレイユ様?」
「あなたの兄嫁、私の友人なのよ。相談されたことがあるの……。
使用人たちが義妹のエミイにいびられて辞めていくので困ってるって。
友人も小姑にやることなすこと難癖をつけられ、随分いびられたようね。とても一緒には暮らせなくて、それであなた、お兄様に寮のある学園に入れられたのよね」
エミイの顔色がさっと変わった。
「そ、それは……誤解です。義姉が、私のことを――」
「ええ、嫌っていたわ。理由は……よく分かるわ。友人をいびっておきながら、友人を悪者にして『私は被害者なの』って言いふらしていたそうじゃない。
あなた、被害者の顔がうまいのよね。まさか学園でもそれを?」
会場の空気が凍りついた。私は、静かにカップを置いた。
誰も口を開かない中、シルヴィア嬢がため息をついた。
「わたくしも気になって調べました。あなたがクラリス嬢と別荘で過ごした夏のこと。使用人に訊ねたら、皆が言っていたわ。『クラリスお嬢様はエミイ様にとても優しくされていました』と」
「そうよね。あんなに楽しそうにしていたのに、いじめられてたなんて変だと思っていたのよ」
誰かが口を開く。
「エミイさん、クラリス様に感謝してもいいはずじゃなくて?」
「ち、違うの……あたし、ただ……!」
声はかすれ、手が震えている。
「人前では仲良くしているふりをして、陰で冷たく当たられていたんです!」
エミイの顔は引きつり、目だけが泳いでいた。
「人を陥れるなんて最低ね」
怒涛のように押し寄せる疑念と非難。
――嘘が、崩れていく。
もう、誰もエミイの言葉に耳を傾けなかった。
ルシアンもその場にいた。ただ、沈黙のまま、エミイを見ていた。かつて自分が「かわいそうな子」と信じた少女を。
その視線が、何よりも残酷だった。
静かに、私の隣に歩み寄ったルシアンは、そっと手を取った。
「……僕が、間違っていた」
私はその手を、そっと引いた。
そして、微笑んだ。
「ご自身で気づいてくださったなら、もう何も申しませんわ」
雪が舞い始める頃には、誰もエミイに近づかなくなっていた。
年末、私は帰省の準備を整え、迎えの馬車に向かう。
「……クラリス様」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、寮の入口にエミイが立っていた。薄いコートを羽織り、両手を握りしめている。
「お屋敷に……連れて行ってもらえませんか?」
私の心に、一瞬だけ迷いがよぎった。でも、その問いに答えることはなかった。
「どうか、良いお年を」
私はただ微笑んで一礼し、馬車に乗った。
「エミイさん、どうしているかしら?」
私は婚約者と共に、暖炉の暖かい別荘で過ごしながら微笑む。もちろん、心から心配してなどいない。
恩を仇で返すようなことをされなければ、私はいくらだって親切にしたのに。
──善意を裏切った報いは、静かに降りかかった。
冬の冷たい風が吹き込む、人気のない学園寮。
廊下に飾られたままのクリスマスリースと、冷え切った石造りの部屋。
嘘がバレたあの日から、すべては変わった。
エミイ・ツイスターは一人、寮に残って年を越した。
エミイ・ツイスターは、その中心にいた。
楚々とした笑顔。控えめな物腰。涙ぐむ様子を見せれば、誰もが「かわいそうな子」と庇った。両親を亡くし、兄夫婦とも疎遠。帰る家のない少女――そんな哀れな境遇が、貴族子女たちの同情心を刺激したのだった。
仮面の裏で彼女がほくそ笑む姿を、知っているのはクラリス・フォンテーヌだけ。
エミイ・ツイスターと関わってしまった。
──それが、すべての間違いだった。ゾッとするほどの敵意を笑顔の仮面で隠していたことに気づかなかった、自分が愚かだった。
恩を仇で返したエミイ・ツイスターに報復しようとした。でも未だ実行できずにいる。私は根っからのお人好しなのだ。人に危害を加える方法さえ思いつかなかった。
ただ耐えた。ただ黙って、日々を過ごした。
侯爵令嬢シルヴィア様の誕生日茶会に招かれた。
上級生であり、信頼厚いシルヴィア様は、慎重で賢明な人物として学園でも一目置かれていた。その茶会に、エミイも招かれた。
「それにしても、エミイさんはお気の毒だわ。ご家族と距離があるなんて……お兄様とは、もう随分お会いになっていないのでしょう?」
紅茶を口に運びながら、別の令嬢がふと話題を振った。悪意はない、純粋な関心からだった。
「……ええ。兄夫婦は、あたしのことを……嫌っていて……」
エミイは小さく目を伏せ、言葉を濁した。
だが、そのとき――
「まあ、当然よね。あれだけご実家で横暴に振る舞っていれば」
音を立てて、銀のティースプーンが落ちた。それはシルヴィア嬢の従姉、男爵夫人ミレイユ様だった。上品で、普段は穏やかな彼女の口調には、怒りの色があった。
「……ミレイユ様?」
「あなたの兄嫁、私の友人なのよ。相談されたことがあるの……。
使用人たちが義妹のエミイにいびられて辞めていくので困ってるって。
友人も小姑にやることなすこと難癖をつけられ、随分いびられたようね。とても一緒には暮らせなくて、それであなた、お兄様に寮のある学園に入れられたのよね」
エミイの顔色がさっと変わった。
「そ、それは……誤解です。義姉が、私のことを――」
「ええ、嫌っていたわ。理由は……よく分かるわ。友人をいびっておきながら、友人を悪者にして『私は被害者なの』って言いふらしていたそうじゃない。
あなた、被害者の顔がうまいのよね。まさか学園でもそれを?」
会場の空気が凍りついた。私は、静かにカップを置いた。
誰も口を開かない中、シルヴィア嬢がため息をついた。
「わたくしも気になって調べました。あなたがクラリス嬢と別荘で過ごした夏のこと。使用人に訊ねたら、皆が言っていたわ。『クラリスお嬢様はエミイ様にとても優しくされていました』と」
「そうよね。あんなに楽しそうにしていたのに、いじめられてたなんて変だと思っていたのよ」
誰かが口を開く。
「エミイさん、クラリス様に感謝してもいいはずじゃなくて?」
「ち、違うの……あたし、ただ……!」
声はかすれ、手が震えている。
「人前では仲良くしているふりをして、陰で冷たく当たられていたんです!」
エミイの顔は引きつり、目だけが泳いでいた。
「人を陥れるなんて最低ね」
怒涛のように押し寄せる疑念と非難。
――嘘が、崩れていく。
もう、誰もエミイの言葉に耳を傾けなかった。
ルシアンもその場にいた。ただ、沈黙のまま、エミイを見ていた。かつて自分が「かわいそうな子」と信じた少女を。
その視線が、何よりも残酷だった。
静かに、私の隣に歩み寄ったルシアンは、そっと手を取った。
「……僕が、間違っていた」
私はその手を、そっと引いた。
そして、微笑んだ。
「ご自身で気づいてくださったなら、もう何も申しませんわ」
雪が舞い始める頃には、誰もエミイに近づかなくなっていた。
年末、私は帰省の準備を整え、迎えの馬車に向かう。
「……クラリス様」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、寮の入口にエミイが立っていた。薄いコートを羽織り、両手を握りしめている。
「お屋敷に……連れて行ってもらえませんか?」
私の心に、一瞬だけ迷いがよぎった。でも、その問いに答えることはなかった。
「どうか、良いお年を」
私はただ微笑んで一礼し、馬車に乗った。
「エミイさん、どうしているかしら?」
私は婚約者と共に、暖炉の暖かい別荘で過ごしながら微笑む。もちろん、心から心配してなどいない。
恩を仇で返すようなことをされなければ、私はいくらだって親切にしたのに。
──善意を裏切った報いは、静かに降りかかった。
冬の冷たい風が吹き込む、人気のない学園寮。
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エミイ・ツイスターは一人、寮に残って年を越した。
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