精霊士養成学園の四義姉妹

霧島まるは

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11・キロヒ、飛びのく

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「おい、ビニニブス! どうやってこの精霊を上霊させた! 教えろ!」
「わー」
 屋根裏部屋に帰るや否や、サーポクの襟をつかんで前後に強く振るニヂロの姿があった。
 ここまでずっと不機嫌さを隠していなかったニヂロだったが、屋根裏部屋の扉を閉めるなり、そんな暴挙に出ると思っていなかったため、キロヒはぽかんとその光景を見つめるしかできなかった。
「およしなさい、ニヂロ」
 その手を払ってイミルルセは、島の少女を助け出す。そこでやっと、キロヒもオロオロしながらサーポクの方へと近づいた。自分の意見も、こちら側だという気持ちの表れだった。
「うるせぇ、早く上霊しねぇとヤバイって分からねぇのか! 好きなように操られんだぞ……あの教師に」
 ニヂロは、最後の言葉を絞り出すように言った。しかしその目は、間違いなくサーポクに向けられている。
 いま、ニヂロは自制したのだろう。教師と言いながらサーポクを見た。サーポクの気分次第で、この部屋で彼女が主導権を持てることを、本人に教えたくなかったに違いない。
 いまはまだ、サーポクは勉強が遅れている。文字や数字を覚え、授業についていけるようになれば、いまニヂロが隠したことを理解してしまう。
 そうすれば教師と同じ圧で、残り三人を従えられるのだ。
 この島の少女の性格的に、ひどい従属を強いることはないだろう。しかし、それはサーポクの善意にすがることに他ならない。それそのものが、ニヂロには耐えられないのだろう。サーポクの顔色を窺って生きるのは屈辱に違いなかった。
「じょーれー?」
「上霊でしてよ。サーポクの友人のザブンは、出会った頃はもう少し小さかったのではなくて? 小さかった精霊が大きくなることを上霊と言うのですわ」
 イミルルセが分かりやすく説明する。外見が大きくなるというのは、大きな変化で、それならばサーポクも分かると思ったのだろう。
「うん、ザブンは大きくなったとよー。はじめはこのくらいだったとよ」
 片方の手のひらを出して、思い出のザブンがそこにいるかのようにもう片方の手で甲羅を撫でる仕草をする。おそらく初級精霊の頃だ。
「それで、このくらいに大きくなったとよー」
 その手のひらが、両手で水をすくう形の手のひらになる。中級精霊の頃。
「それからそれから、こんなになったとよ」
 そして両手は離れ、肩幅くらいの広さを表す手の形に。上級精霊の頃。
「いまはこんな大きさになったとよー」
 背負い紐で縛られた特級精霊の大きなザブンを、上下に軽く揺らしてサーポクは誇らしげだ。
 楽し気にサーポクは大きくなっていく過程を口にしたが、初級から特級まで彼女の側で上霊したのは確実だ。
 バリバリと自身の頭をかきむしるのは、ニヂロ。サーポクの思考と言葉の速度は、ニヂロが望むものより遥かにゆっくりで、正確な答えにたどりつくためには短気なだけでは無理なのだと、短いつきあいでも分かって来たはずだ。だからより正解に近い答えに早くたどり着くために、彼女はきっと言葉を選び出そうとしているのだろう。
「こんくらいになった時、覚えてんのか?」
 ニヂロは歯をむき出しにしながらも、自分の両手をバッと肩幅くらいに開いて見せる。中級精霊のひとつ上、ザブンが上級精霊になった時の大きさだ。
「このくらい……」
 同じ幅の手にしたサーポクが、うーんと光の差し込む上の方を見て考え込んだ。それから、どれほど考え込んでいただろうか。ニヂロが耐えきれず怒鳴り出す寸前で、ようやくサーポクは「あー」と動き出した。
「嵐がきたとよ……家の屋根も吹き飛んだとよー」
 思い出し思い出し語られる、南の島の出来事。
「そしたら、ウチも吹き飛んだとよ。うひゃひゃ、あん時はびっくりしたとよー」
 猛烈な強い風雨に、ころころと転がっていくサーポクが思い浮かぶ。そこには危険こそあれ、面白い要素は皆無に感じるが、島育ちにとってはそうではなかったらしい。
「海まで転げ落ちたとよ。あん時は、生まれて初めて溺れて、ぐるぐるがばごぼになったとよ」
 がぐるぐるばごぼが島の方言でなければ、溺れる時の臨場感溢れる擬音語だろう。泳げないキロヒにとっては震えあがるような状況を、そんな気の抜ける音で片付けるのはやめてほしいと思った。
「海の中でぐるぐるがばごぼしとったら、海が静かになっとって、海の上に出とったとよ。見たら、おなかの下に大きくなったザブンがおったとよ。そのまま乗せて島に戻ってくれたとよ。ザブンは優しかとよー」
 サーポクの嬉しそうな上下運動で、背負ったザブンも上下に揺れる。
 キロヒは、そんなザブンを同情的な目で見つめた。これまでザブンは、サーポクを守るために苦労してきたに違いない、と。
 ザブンはサーポクのために力を必要として、サーポクのために上霊してきたのだろう。どうやって上級から特級に上霊したかを聞くと、もっと同情する気持ちになりそうな予感があった。
「なるほど……アタシが死にかければいいってことか」
 そして、こっちはこっちで思考の壁に激突している人間がいた。ニヂロである。その表情には本気しかなかった。
「お待ちになって」
「……手っ取り早いのは、落下死か凍死か」
「お待ちになって、と言っているのですわ……えいっ」
「いって、何しやがる」
 手のひらでニジロの額をぺちんと叩き、無理矢理に集中力をちぎったのは、イミルルセである。
「その賭け、失敗したら全部終わりでしてよ」
「はぁ? 何当たり前のこと言ってやがんだ」
 ニヂロは心底あきれた声で言い返す。声にまで本気しかない。
「この学園の卒業率くらい、図書室に行くついでに調べてますわ……最終学年の卒業率は九割でしてよ。命など賭けなくても、ほとんどの生徒はちゃんと上霊できてますわ」
 イミルルセは有能だ。キロヒは、それに畏敬に近い気持ちさえ覚えた。同じ十歳とは思えない。
 サーポクの勉強のために図書館を特別に利用する権利をもぎ取った彼女だが、そのためだけに利用していたわけではなかった。他の一年より先んじて、その場所で情報を仕入れていたのだ。
 九割という具体的な数字は、イミルルセを安堵させたのだろう。それには、キロヒも安堵する。裏返せば一割は卒業できないということになりはするが、五年の猶予期間を考えると何とかなりそうな気がしてくるという、希望の持てる割合だった。
「……一年の間に上霊できる割合はいくらだ」
二分にぶでしてよ」
「四人くらいか。二年の間では?」
「一割ですわね」
「二十人……三年は?」
「はぁ……一割五分ですわ」
「三十人……ということは、三年終わるまでに上級精霊にできるやつは、約五十四人。同学年全体の四分の一ってところか。残りは四年以降ってことだな……この中に一人いるかいないか」
「そう……ですわね」
 イミルルセが情報を持っていると知るや、ニヂロは更に突っ込んで詳細を引き出す。九割で満足していたキロヒは、ニヂロと比べて自分がどれほどぬるいかを思い知る。
 そして更に、ニヂロの苛烈な言葉は続くのだ。
「ダメじゃねえか! どんだけのんびりしてんだよ。悪党が特級連れて学園ここに乗り込んできたらどうすんだ!」
「先生は、犯罪者は精霊と絶交されるとおっしゃってましたわ」
「それを頭から信じてるとか、色気ブス、お前馬鹿だろ? 犯罪ってどの範囲だ? どのくらいのことをしたら絶交とやらをされるんだ? 抜け穴はねぇのか? あるだろ、あるんだよ。悪党ってのは、絶対にそういう抜け穴を見つけるもんなんだよ!」
 ここまで一息。そして息を大きく吸い直して。
「それに精霊だって怒ったら地形を変えると言われただろ。そん時、人間に傷ひとつつけずに地形を変えるのか? そうじゃないだろ? ということは、精霊が人間を殺さないわけじゃねぇってことだ。そんな価値観を持つ精霊のいう犯罪って何だよ。子供に悪ささせないためのおとぎ話みたいなもん、くらいで考えてないと痛い目みるぞ」
 同じ授業を聞いても、人によってこれだけ考えることが違う。キロヒは、叩きつけられ続ける言葉に、しばし息をするのを忘れて聞き入っていた。
 ようやくニヂロの言葉が途切れ、目の前の会話にぽっかりと空白があく。その隙間は、キロヒに「あれ?」という疑問をよぎらせる余裕を与えてくれた。その隙間に、彼女はぽろりと言葉をこぼしていた。
「あの……精霊との絶交って、神殿でやるやつですよ、ね?」と。
「はぁ?」
「そうですの?」
 二人の視線が同時に向けられ、思わず半歩下がってしまう。
「えっと、犯罪をする人に、精霊を持たせておくと……危ないので、はい、神殿で神官様が友人のつながりを、ちょきんと……切ると聞いたことがあります」
 情報源は、キロヒの父親である。娘が精霊養成学園に入ることが決まった後、少し話をしてくれた中に入っていた。せっかく良い仕事が得られるかもしれないから、愚かなことをして絶交されないようにと言われた言葉も一緒に甦ったが。
 それは、世間ではさほど有名な話ではないようだ。二人が知らないのだから。
 確かに「犯罪をしたら神殿が絶交させますよ」というより「犯罪をしたら精霊に絶交されますよ」の方が、抑止力としては高い。だからあえて、公表していないのかもしれなかった。
「そ……んなん! 抜け穴しかねぇじゃねえか! 捕まらなければいいだけだろ!」
「ひっ!」
 珍しく自分の知識が役に立ったかもしれない、と自己満足を覚えかけていたキロヒだったが、ニヂロの絶叫に大きく飛びのく羽目になったのだった。
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