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65.キロヒ、力の大事さを知る
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「イミルルセにも友達ができましたのね」
狭いけれども綺麗に整えられた部屋。窓辺に並べられた植木鉢には春の花。
テーブルには椅子が二つしかなく、二人暮らしなのが分かる。形の違う椅子がもうひとつ運ばれてきて、お茶の席が整えられる。
お茶は二人にだけ振る舞われた。ベールを持ち上げれば飲食はできるだろうが、その気はないということなのだろう。
「いただきます」
「ありがとうございます」
クロヤハと二人、揃いのカップで出された。きっとイミルルセと母親が使っていたものだろう。香り豊かな香草茶だ。手ごろな価格のお茶で、特に女性に人気が高い。
「娘は元気にしているかしら」
その問いに、クロヤハはちらりとキロヒを見る。同じ部屋なので、彼女が答えた方がいいという配慮の視線。
「はい、とても元気です。同じ部屋で、いつも助けてもらっています」
「まあ、そうですのね。あなたに手紙を託したということは、娘もきっとあなたを信頼していると思うわ。仲良くしてくださると嬉しいわ」
そう言われると、キロヒもくすぐったい気持ちを覚えた。確かに屋根裏部屋では、キロヒとイミルルセは対等な関係を築けていると思う。それを信頼関係という言葉で表現されると、嬉しくも気恥ずかしい。
「もしお返事を書かれるなら、春休暇が終わる頃に一度ここに寄りましょうか?」
「まあ……そうしていただけると助かりますわ」
ベール越しに喜びは伝わってくる。娘のことをとても愛しているのが分かる。
分かるだけに、イミルルセがどうして帰らなかったのかが不思議だ。学園でやりたいことがあるわけでもなく、帰省にお金の心配もない。家族仲が良好なら、帰らないという選択肢はないように思えた。
「あの、こんなことを聞くと、なんて親馬鹿かと笑われるかもしれませんが……」
イミルルセの母は、少し深刻そうな声でこう言った。
「娘の美しさが、学業の妨げになっていたりは……していませんの?」
キロヒは、不意打ちな話題にしばし言葉を失った。これは確かに、前置きがいる話だ。世間一般で親が子供についてこう言い出したら、親馬鹿だと思われても仕方がない。
しかし、その対象はイミルルセである。いまは十一歳という同学年の中だけでの生活なので、際立って問題は起きていない。学年を越えた付き合いが薄いのも、イミルルセにとっては好都合だろう。
せいぜいオマセさんなカーニゼクが絡んできたくらいだ。彼もまあ、節度がある方なので今のところは問題というほどではない。
「いまのところは大丈夫です……もしかして、ここでは何かありました?」
キロヒは慎重に答えた。あのイミルルセがこの家で生活していたことを考えると、問題が発生していてもおかしくない。
しかし、彼女の母は首を横に振る。
「いいえ、いいえ、何もありませんわ。何もないようにしていたのです」
奇妙な表現だ。キロヒが首を傾げたことに、イミルルセの母は小さくため息をついて話し始めた。
「幼い時から、あの子は本当に美しくて……私はあの子を絶対に守らなければならないと思いましたの」
聞かされた内容は、衝撃的だった。イミルルセは、幼少時だけで三度さらわれかけていた。このままではいけないと、彼女の母はここへの引っ越しと同時に、娘の美しさを殺す方法を考えた。
幼い間は部屋の中で暮らさせ、少し大きくなったら前髪を伸ばさせた。生まれつき顔にアザがあると周囲には話し、化粧でアザまで描いた。美しい髪は灰で汚した。
彼女の母から語られる子供時代の生活は、徹底したものだった。だからこの周辺の人々は、彼女の本当の顔を知らないという。
同室のイミルルセの髪型は、ポンパドゥール。長い前髪をふんわりとふくらませて、後ろに流す形だ。あの前髪を下ろせば、イミルルセの顔はほとんど隠れてしまうだろう。
彼女が帰省しないわけだ。帰って来たとしてもイミルルセは家の中に引き込もるか、あざを描いて灰で汚した髪を下ろして生活しなければならない。
「力のない人間にとって、美しさというのは毒でしかありませんわ。力を持つ者を飾り付ける勲章でしかなく、手に入れるためなら何をしても許されると思われるのです」
哀し気な声には切実さがこもっていた。
いま目の前の女性が、これほど姿をごまかしていることにも関係があるのだろう。イミルルセの母である。この人もまたとても美しく、それを頭巾やベールで隠しているのではないか、と。
力のない美しさの危険について、キロヒは深刻に考えたことがなかった。自分には無縁の話だったからだ。けれどイミルルセが卒業後、都市の精霊士になり、貴族と関わる可能性が高いという話をイシグルから聞いた時は、キロヒも不安を覚えた。
イミルルセの母がこれを聞いたら、もっと不安になってしまうだろう。とてもキロヒの口からは言えない話だ。
「あの子が、精霊の友達を得たことは本当に幸運でしたわ。少なくとも自分の身を守れる力を手に入れられるのですもの」
優しく上品で、すこし寂し気なイミルルセの母の声。娘に会いたいのだろう。けれど会うには不自由がつきまとう。それでも彼女の母は、娘の明るい未来を信じていた。
「美人すぎるのも大変なんだな」
「そうですね」
手紙を届けた帰り道。クロヤハに協会まで送ってもらいながら、十一歳の男女には扱いづらい話をする。男のクロヤハには、きっともっと遠い話に感じるだろう。
「カーニゼクには注意しとくよ。イミルルセもいい気分じゃないだろうから」
「あー、そうですね。せっかく一緒に活動できていても、そういう目でしか見られないのは、居心地悪いかもしれません」
けれど、十一歳は十二歳になる。十三歳にもなるし十四歳にもなる。年齢を重ねるごとに、心も体も大人になっていく。イミルルセの美しさと聡明さが、周囲の毒になってしまう可能性も十分にある。
彼女の母が願ったように、キロヒもまたイミルルセが、自分の身を守れる強さを身に着けることを願った。
狭いけれども綺麗に整えられた部屋。窓辺に並べられた植木鉢には春の花。
テーブルには椅子が二つしかなく、二人暮らしなのが分かる。形の違う椅子がもうひとつ運ばれてきて、お茶の席が整えられる。
お茶は二人にだけ振る舞われた。ベールを持ち上げれば飲食はできるだろうが、その気はないということなのだろう。
「いただきます」
「ありがとうございます」
クロヤハと二人、揃いのカップで出された。きっとイミルルセと母親が使っていたものだろう。香り豊かな香草茶だ。手ごろな価格のお茶で、特に女性に人気が高い。
「娘は元気にしているかしら」
その問いに、クロヤハはちらりとキロヒを見る。同じ部屋なので、彼女が答えた方がいいという配慮の視線。
「はい、とても元気です。同じ部屋で、いつも助けてもらっています」
「まあ、そうですのね。あなたに手紙を託したということは、娘もきっとあなたを信頼していると思うわ。仲良くしてくださると嬉しいわ」
そう言われると、キロヒもくすぐったい気持ちを覚えた。確かに屋根裏部屋では、キロヒとイミルルセは対等な関係を築けていると思う。それを信頼関係という言葉で表現されると、嬉しくも気恥ずかしい。
「もしお返事を書かれるなら、春休暇が終わる頃に一度ここに寄りましょうか?」
「まあ……そうしていただけると助かりますわ」
ベール越しに喜びは伝わってくる。娘のことをとても愛しているのが分かる。
分かるだけに、イミルルセがどうして帰らなかったのかが不思議だ。学園でやりたいことがあるわけでもなく、帰省にお金の心配もない。家族仲が良好なら、帰らないという選択肢はないように思えた。
「あの、こんなことを聞くと、なんて親馬鹿かと笑われるかもしれませんが……」
イミルルセの母は、少し深刻そうな声でこう言った。
「娘の美しさが、学業の妨げになっていたりは……していませんの?」
キロヒは、不意打ちな話題にしばし言葉を失った。これは確かに、前置きがいる話だ。世間一般で親が子供についてこう言い出したら、親馬鹿だと思われても仕方がない。
しかし、その対象はイミルルセである。いまは十一歳という同学年の中だけでの生活なので、際立って問題は起きていない。学年を越えた付き合いが薄いのも、イミルルセにとっては好都合だろう。
せいぜいオマセさんなカーニゼクが絡んできたくらいだ。彼もまあ、節度がある方なので今のところは問題というほどではない。
「いまのところは大丈夫です……もしかして、ここでは何かありました?」
キロヒは慎重に答えた。あのイミルルセがこの家で生活していたことを考えると、問題が発生していてもおかしくない。
しかし、彼女の母は首を横に振る。
「いいえ、いいえ、何もありませんわ。何もないようにしていたのです」
奇妙な表現だ。キロヒが首を傾げたことに、イミルルセの母は小さくため息をついて話し始めた。
「幼い時から、あの子は本当に美しくて……私はあの子を絶対に守らなければならないと思いましたの」
聞かされた内容は、衝撃的だった。イミルルセは、幼少時だけで三度さらわれかけていた。このままではいけないと、彼女の母はここへの引っ越しと同時に、娘の美しさを殺す方法を考えた。
幼い間は部屋の中で暮らさせ、少し大きくなったら前髪を伸ばさせた。生まれつき顔にアザがあると周囲には話し、化粧でアザまで描いた。美しい髪は灰で汚した。
彼女の母から語られる子供時代の生活は、徹底したものだった。だからこの周辺の人々は、彼女の本当の顔を知らないという。
同室のイミルルセの髪型は、ポンパドゥール。長い前髪をふんわりとふくらませて、後ろに流す形だ。あの前髪を下ろせば、イミルルセの顔はほとんど隠れてしまうだろう。
彼女が帰省しないわけだ。帰って来たとしてもイミルルセは家の中に引き込もるか、あざを描いて灰で汚した髪を下ろして生活しなければならない。
「力のない人間にとって、美しさというのは毒でしかありませんわ。力を持つ者を飾り付ける勲章でしかなく、手に入れるためなら何をしても許されると思われるのです」
哀し気な声には切実さがこもっていた。
いま目の前の女性が、これほど姿をごまかしていることにも関係があるのだろう。イミルルセの母である。この人もまたとても美しく、それを頭巾やベールで隠しているのではないか、と。
力のない美しさの危険について、キロヒは深刻に考えたことがなかった。自分には無縁の話だったからだ。けれどイミルルセが卒業後、都市の精霊士になり、貴族と関わる可能性が高いという話をイシグルから聞いた時は、キロヒも不安を覚えた。
イミルルセの母がこれを聞いたら、もっと不安になってしまうだろう。とてもキロヒの口からは言えない話だ。
「あの子が、精霊の友達を得たことは本当に幸運でしたわ。少なくとも自分の身を守れる力を手に入れられるのですもの」
優しく上品で、すこし寂し気なイミルルセの母の声。娘に会いたいのだろう。けれど会うには不自由がつきまとう。それでも彼女の母は、娘の明るい未来を信じていた。
「美人すぎるのも大変なんだな」
「そうですね」
手紙を届けた帰り道。クロヤハに協会まで送ってもらいながら、十一歳の男女には扱いづらい話をする。男のクロヤハには、きっともっと遠い話に感じるだろう。
「カーニゼクには注意しとくよ。イミルルセもいい気分じゃないだろうから」
「あー、そうですね。せっかく一緒に活動できていても、そういう目でしか見られないのは、居心地悪いかもしれません」
けれど、十一歳は十二歳になる。十三歳にもなるし十四歳にもなる。年齢を重ねるごとに、心も体も大人になっていく。イミルルセの美しさと聡明さが、周囲の毒になってしまう可能性も十分にある。
彼女の母が願ったように、キロヒもまたイミルルセが、自分の身を守れる強さを身に着けることを願った。
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