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66.キロヒ、実家から逃げ出す
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キロヒは、久しぶりに実家に帰って来た。
「おかえりなさい、キロヒお嬢さん。元気そうで何よりです」
長く勤めているふっくらとした家政婦に迎え入れられ、「ただいま」と、彼女は少し照れ笑いを浮かべた。一緒にいる時間は、間違いなく母親より長い相手だ。キロヒが生まれた時から面倒をみてくれている。
家の中に入ると、誰もいる気配がない。彼女の家では、よくある光景だ。店と家が離れているので、仕事中はいつもこんなものである。
「みんな忙しいの?」
「ええ、旦那様も奥様もお嬢さん方も、いまは南部の港の方へ出られてます。船の進水式だそうですよ」
お嬢さん方とまとめて言われたので、姉たちだけでなく妹たちも一緒に行ったのだろう。九歳と八歳だ。もう置いて行かれる年頃でもない。
「そう、なんだ」
新航路の民間への開放により、この国の南部の港は空前の貿易祭りだという。サーポクの故郷もその海路の近くにあり、最近この国に編入された島のひとつだったはず。
サーポクは無事に島に帰りつけただろうかと、キロヒはふと心配になった。最悪、故郷の島までザブンに乗って帰りそうである。暖かい海とザブンがいれば、まあ大丈夫だろうとキロヒは心配をそこでやめた。
「荷物はございませんか?」
「うん、大丈夫よ。学校には便利なものがあるから、手ぶらで大丈夫なの」
「そうですか」
「少し部屋で休んでくるね」
「はい、夕飯は腕によりをかけますね」
家政婦との会話を終え、キロヒは自室に戻った。自室と言っても妹二人と同室だ。娘が五人もいる家だと、貴族でもないのだから一人一部屋は無理である。
五年間寮に入ることが決まったので、さぞや部屋は妹二人に占領されているだろうと思ったが、出て行った時のままである。ベッドが三つ。机がひとつと椅子が三つ。クローゼットは共用。
南部まで長期旅行に出たので、家政婦に綺麗に片づけられたのだろう。
「帰って来る意味……あったかなぁ」
ぼそりとキロヒは呟く。昔から家族が忙しく、こんな状態は珍しくもない。妹たちも一緒に行くようになってしまったら、家に帰ってもキロヒが一人で寝起きするだけだ。それならば、まだ二人残っている寮の方がいいのではないかと思える。
ただ、ひとつだけ希望があるとするならば──祖母の家。
キロヒがクルリと出会った町の郊外にあるその家に、明日にでも行こうと思った。
「まあキロヒ……よく来てくれたわね。顔を見せてちょうだい。」
「おばあちゃん、元気だった?」
「ええ、元気ですとも」
真っ白な髪と皺がいっぱいの顔で優しく笑う祖母は、キロヒが大好きな人だ。祖父が亡くなり、一人息子であるキロヒの父親が商売に都合のいい場所に引っ越してしまったため、ここに住み込みの家政婦と二人で暮らしている。
若い頃は祖父と一緒に行商をしていた祖母は、「もう旅はいいわ」と言っていた。
「さあさあ学園の話を聞かせてちょうだい、未来の精霊士様」
家の中に案内され、春の午後のお茶会が始まる。
祖母はクルリがお気に入りで姿を見たがるので、テーブルの上に座らせてからお茶を飲む。妹たちがいると、クルリに悪戯ばかりしようとするので隠していないといけなかったが。
「そんなに長い休暇なのね。じゃあ帰るまでこっちにいてもいいのよ? むこうはみんな忙しいでしょう?」
祖母の優しさが、キロヒの十一歳の身に染み入る。キロヒはようやく帰って来た気持ちになって、祖母を独り占めしながら幸せな時間を過ごすことができた。
「ぴゅうるりー」
季節は春。それは秋ではないということ。
しかし風はまだ少し冷たく、冬を越えた木々は必死に若葉を芽吹かせようとしているが、いまだ生えそろってはいない。
そんな季節は、気温だけ考えれば秋に似ている。
クルリは裏庭のロウバイの木に登ってご機嫌そうだ。キロヒはその根元に座って、足を得た友人を見上げていた。
「クルリは飛んで遊ぶのが好きだったのに……足のせい?」
木の枝に座って、足をぷらぷらしながら日向ぼっこしているクルリに、少し複雑な気持ちだった。勝手に足を生やされた件は、この場所のクルリの思い出ごと、別の色に塗り替えられた気がして、少し面白くなかった。
"そうねえ、足が生えれば飛ぶ必要はなくなるわね"
その諸悪の根源が、キロヒの頭の中で勝手にしゃべる。帰省で学園の周囲以外を見られることに喜んだ謎精霊だ。本体からこんなに距離があっても関係ないようだ。
キロヒの言葉に反応する時としない時がある。謎の精霊に向かって意識して問いかけた時か、向こうが興味のある話題だけ。
クルリの行動の変化については、興味があるようだ。
「それって、クルリの中身が何か変わったということですか?」
丁寧語になる時は、謎精霊に話かけている時だ。
"葉っぱの気持ちしか分からなかったのが、木の気持ちも分かるようになったということだわ。悪いことじゃないわね"
すらすらと語られるが、キロヒは納得できなかった。不満が土台にあるのだから、その上に何の装飾をつけられても、やっぱり不満は隠し切れない。
「元に戻してって言ったら、戻せます?」
"あら、それはいやよ。そんなことをしたら、私はまたあの場所に閉じ込められてしまうわ"
さらりとした拒絶の言葉に、キロヒはがっくりと肩を落とした。
それはもはや寄生ではないのか、と。
「おかえりなさい、キロヒお嬢さん。元気そうで何よりです」
長く勤めているふっくらとした家政婦に迎え入れられ、「ただいま」と、彼女は少し照れ笑いを浮かべた。一緒にいる時間は、間違いなく母親より長い相手だ。キロヒが生まれた時から面倒をみてくれている。
家の中に入ると、誰もいる気配がない。彼女の家では、よくある光景だ。店と家が離れているので、仕事中はいつもこんなものである。
「みんな忙しいの?」
「ええ、旦那様も奥様もお嬢さん方も、いまは南部の港の方へ出られてます。船の進水式だそうですよ」
お嬢さん方とまとめて言われたので、姉たちだけでなく妹たちも一緒に行ったのだろう。九歳と八歳だ。もう置いて行かれる年頃でもない。
「そう、なんだ」
新航路の民間への開放により、この国の南部の港は空前の貿易祭りだという。サーポクの故郷もその海路の近くにあり、最近この国に編入された島のひとつだったはず。
サーポクは無事に島に帰りつけただろうかと、キロヒはふと心配になった。最悪、故郷の島までザブンに乗って帰りそうである。暖かい海とザブンがいれば、まあ大丈夫だろうとキロヒは心配をそこでやめた。
「荷物はございませんか?」
「うん、大丈夫よ。学校には便利なものがあるから、手ぶらで大丈夫なの」
「そうですか」
「少し部屋で休んでくるね」
「はい、夕飯は腕によりをかけますね」
家政婦との会話を終え、キロヒは自室に戻った。自室と言っても妹二人と同室だ。娘が五人もいる家だと、貴族でもないのだから一人一部屋は無理である。
五年間寮に入ることが決まったので、さぞや部屋は妹二人に占領されているだろうと思ったが、出て行った時のままである。ベッドが三つ。机がひとつと椅子が三つ。クローゼットは共用。
南部まで長期旅行に出たので、家政婦に綺麗に片づけられたのだろう。
「帰って来る意味……あったかなぁ」
ぼそりとキロヒは呟く。昔から家族が忙しく、こんな状態は珍しくもない。妹たちも一緒に行くようになってしまったら、家に帰ってもキロヒが一人で寝起きするだけだ。それならば、まだ二人残っている寮の方がいいのではないかと思える。
ただ、ひとつだけ希望があるとするならば──祖母の家。
キロヒがクルリと出会った町の郊外にあるその家に、明日にでも行こうと思った。
「まあキロヒ……よく来てくれたわね。顔を見せてちょうだい。」
「おばあちゃん、元気だった?」
「ええ、元気ですとも」
真っ白な髪と皺がいっぱいの顔で優しく笑う祖母は、キロヒが大好きな人だ。祖父が亡くなり、一人息子であるキロヒの父親が商売に都合のいい場所に引っ越してしまったため、ここに住み込みの家政婦と二人で暮らしている。
若い頃は祖父と一緒に行商をしていた祖母は、「もう旅はいいわ」と言っていた。
「さあさあ学園の話を聞かせてちょうだい、未来の精霊士様」
家の中に案内され、春の午後のお茶会が始まる。
祖母はクルリがお気に入りで姿を見たがるので、テーブルの上に座らせてからお茶を飲む。妹たちがいると、クルリに悪戯ばかりしようとするので隠していないといけなかったが。
「そんなに長い休暇なのね。じゃあ帰るまでこっちにいてもいいのよ? むこうはみんな忙しいでしょう?」
祖母の優しさが、キロヒの十一歳の身に染み入る。キロヒはようやく帰って来た気持ちになって、祖母を独り占めしながら幸せな時間を過ごすことができた。
「ぴゅうるりー」
季節は春。それは秋ではないということ。
しかし風はまだ少し冷たく、冬を越えた木々は必死に若葉を芽吹かせようとしているが、いまだ生えそろってはいない。
そんな季節は、気温だけ考えれば秋に似ている。
クルリは裏庭のロウバイの木に登ってご機嫌そうだ。キロヒはその根元に座って、足を得た友人を見上げていた。
「クルリは飛んで遊ぶのが好きだったのに……足のせい?」
木の枝に座って、足をぷらぷらしながら日向ぼっこしているクルリに、少し複雑な気持ちだった。勝手に足を生やされた件は、この場所のクルリの思い出ごと、別の色に塗り替えられた気がして、少し面白くなかった。
"そうねえ、足が生えれば飛ぶ必要はなくなるわね"
その諸悪の根源が、キロヒの頭の中で勝手にしゃべる。帰省で学園の周囲以外を見られることに喜んだ謎精霊だ。本体からこんなに距離があっても関係ないようだ。
キロヒの言葉に反応する時としない時がある。謎の精霊に向かって意識して問いかけた時か、向こうが興味のある話題だけ。
クルリの行動の変化については、興味があるようだ。
「それって、クルリの中身が何か変わったということですか?」
丁寧語になる時は、謎精霊に話かけている時だ。
"葉っぱの気持ちしか分からなかったのが、木の気持ちも分かるようになったということだわ。悪いことじゃないわね"
すらすらと語られるが、キロヒは納得できなかった。不満が土台にあるのだから、その上に何の装飾をつけられても、やっぱり不満は隠し切れない。
「元に戻してって言ったら、戻せます?」
"あら、それはいやよ。そんなことをしたら、私はまたあの場所に閉じ込められてしまうわ"
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それはもはや寄生ではないのか、と。
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