精霊士養成学園の四義姉妹

霧島まるは

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85.キロヒ、隠しきる

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 大粒の黒葡萄の両目。伸びた芝生で出来た身体は緑の長毛種。後ろ足のかかとの両側にはそれぞれ一対の白い綿毛の羽。
「むふむひ」
 それがタタンの上霊の姿。その側で、地面にうつぶせに倒れたまま気を失っている少年が一人。その口元からぽろりと落ちるハンカチ。
 キロヒは光の消えた目で、ぼんやりと思った。私もこうだったのだろうな、と。
 男子たちはカーニゼク女好きを抱え上げ、ゆすったり頬を叩いたりして起こそうとしている。イミルルセとサーポクは、上霊しても可愛いタタンを眺めていて、ニヂロは端の方でツララと対話している。
 こうして八人全員が最低でも上級精霊となり、「離」の訓練も休みを挟みつつ緩やかに続けることになるだろうと、キロヒは呑気に構えていた。

「全員、その場で精霊をあらわせ」
 授業開始時に、ラエギーに突然そう言われるまでは。
 この時、カーニゼクは上霊したて。まだ小さくできない状況だった。イミルルセは寝ても醒めても、ひたすらに内部霊密を上げる訓練をし続けており、クロヤハ眼鏡よりも早く元の大きさに戻していた。
 この場合、カーニゼクはもう仕方がない。本人は青ざめているが、上霊は悪いことではないし、素直に認定されればいいとキロヒは思った。
 問題は──シテカ狩人である。内部霊密を戻し、上級の姿でツムギを顕わしていたのである。
 近くの女子の「ひっ」という悲鳴は、やむを得ないだろう。かさばる大きさで、八本足の虫型が現れたのだから。
「……道理で最近、また抵抗感が増したと思ったら、お前たちだったか。シテカ、カーニゼク、後で部屋に来るように」
 ラエギーの言葉に、キロヒは肝を冷やした。そうか、と。
 これまでラエギーが、教室で使っていた「圧」という名の強制従属は、従属させる側にも感覚が伝わるのだ。
 長期休暇明けに抵抗が増えた理由は、ヘケテ巨漢ともう一人が上霊したせいだと、ラエギーは思っていたのだろう。
 その後、イミルルセが増えた。更にカーニゼクが増えた。それにより、ラエギーは教室の違和感を異変として察知した、というわけである。
 二回分の上昇を確実に察知していたかは分からない。しかし、もしそうであるとするならば、シテカは好判断だ。ラエギーの違和感を疑念に変えずに済んだ。内部霊密で大きさを変えていることまで知られたら、大変なことになっただろう。
 シテカがそこまで考えたとは思っていない。戦術研究の選択授業で上級として参加したいという意思は明らかにしていたので、いまが好機だと判断した、というところか。
 クロヤハは心を無にした顔で、そんな彼らの横に座り続けている。傍目には、イヌカナが全員上霊したにも関わらず、一人取り残されて不満な気持ちを我慢している生徒、に見えなくもない。彼も内心冷や汗でいっぱいだろう。
 他の生徒にも屋根裏部屋男子の上霊率の高さが、これで明らかになった。たまたま優秀な人間だけが集まった、と思ってもらえば好都合。だが、独自の上霊のやり方があるのではないのか、と疑う者も当然出てくるはずだ。
 その疑いは、ラエギーにも持たれるに違いない。本当にこの赤毛の教師は、優秀な特級精霊士だ。
 シテカとカーニゼクだけでは、この優秀なラエギーと舌戦を渡り合うのは難しい。「離」のこともあるため、クロヤハが同行するに違いないとキロヒは読んでいた。

「はぁ……肝が冷えたよ」
「お疲れ様です」
 屋根裏部屋のスミウ、イヌカナたちは、夕食が終わった後、更に一度部屋に戻って、再び食堂に集合し直した。回りくどいが、こうするしかなかったのだ。
 食堂に集まった屋根裏部屋男子に、他の生徒たちが群がって質問責めにしたからである。とてもキロヒたちは近づける状態ではなく、離れた席で夕食をすませた。
 伝令役のシテカがするりとこちらに近づいて、食堂が空いている最後の時間に再集合を告げてするりと戻って行った。身のこなしがすごいな、とキロヒはそんな彼を見送った。
 再集合の時の食堂は、一組のスミウが反対の端で食事をしていたので、小声で会話をすることにする。
「ラエギーに何て聞かれたんだ?」
 ニヂロもさすがにこの件には興味があるようだ。キロヒとイミルルセが隠している今、明日は我が身になりかねない。
「どうして報告が遅れたのかと、何か特別なことをやっているのか、ということだね」
 げっそりとしているクロヤハ。カーニゼクも同じような様子だ。ラエギーがきっと恐ろしかったのだろう。シテカとヘケテは平常通り。まったく堪えている様子はない。
「何と答えましたの?」
「報告が遅れたのは、一人ずつ先生の部屋に行くのが面倒だったので、僕まで上霊したら三人一緒に行くつもりでした、と言ったら、怒られはしたけど納得してたよ。ラエギー先生も、自分が生徒に怖がられているのは分かってるみたいだし」
 うまい返事だ。さすがのクロヤハである。
『離』あちらの話はどうでしたの?」
「うん、そっちは……僕の家の訓練法を試してみた、というところまでは言った。内容を聞かれたけど、発表に関しては家族と相談しないといけないと言ったら、一度は引き下がったよ」
「一度は……って、二度目があるということだな」
「うん。でもその二度目は僕に、じゃない。ここまで一気に僕たちの部屋の上霊が重なって、それに特別なやり方があるって言ったも同然だったからね。教師として上に報告をせざるを得ない、と言われたよ……まあ、それは父に言ってくれと伝えたから、僕の手は離れた。父に頑張ってもらおう」
 クロヤハは指を組んで、ちらとキロヒを見た。そして続けた。
「アレの効果はもう明らかだったから、休みの間に父と話もしたんだよ……あくまでも旧式のやり方の話で、だけど。兄にも新式や最新式について、父へは伝えないように言ってる」
 旧式。それは、最初にクロヤハが教えてくれた、自力で精霊から少しずつ離れる方法。人間が歩き、時間をかけて少しずつ距離を伸ばすやり方だ。
 新式は人間を担いで引き離す。最新式は精霊を協力させて引き離すという方法。旧式とは速効性が全く違う。
「父は、ソレの発表を家名の再興に使おうと考えている……まあ、これまで周囲に貶められてきた鬱屈を、もったいぶった方法で晴らそうと考えているようだよ」
 幻級精霊士の名を、フキルが傷つけた。そう考えているクロヤハの一族は、「離」を自分たちに差す光と見たのか。
「おそらく父は貴族に売り込み、後ろ盾になってもらって少しずつ広めるつもりだと思う。貴族が権威と正当な理屈を持ち出せば、協会もおいそれと手出しはできないからね」
 貴族という言葉に、キロヒはふとクロヤハの祖母を姉と呼んだ人がいたことを思い出す。クロヤハの父がその人を知っているのならば、話は通りやすいかもしれない、と。
「問題は内容を知っている僕たちだね。もし誰かに方法を聞かれたら、僕の家に関わることだから、僕を通すように言ってくれて構わないから。ニル先輩たちにも僕から言っておくよ」
 今日の抜き打ち精霊検査は驚くべき事件ではあったが、クロヤハは休暇中にすべき準備は終えていた。その準備のおかげで、抜き打ち検査を乗り切ることができた。これまで、フキルの件でもやる気を見せていたことも、先生を納得させる要因になっただろう。
「やり方がある、ということをラエギー先生が知ったことは、よかったことですわ。早く特級になったとしても、やり方に効果があると思うでしょうから。ただ、私は特級になっても知られたくはありませんから、みなさんが休暇明けに特級に上霊する時期にうまく合わせて隠したいと思ってますわ」
 イミルルセの言葉に、キロヒも強く頷く。同意に次ぐ同意である。
 ニヂロはそれを「くっだんねぇ」と一言で切り捨てた。このくだらないというスミウに、キロヒはどこかであの話・・・を説明しなければならない。
 特級の「離」の進みが、できるだけ遅くなりますように──そんな祈りを捧げるキロヒだった。
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