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95.キロヒ、追い詰められる
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「ここ一年、下界がとても騒がしかった。そして私は退屈をしなかった。こんなに楽しい一年を過ごしたのは、ここを卒業して以来だ」
幻級精霊士キーは、連絡版を指輪に戻しながら泰然と笑っている。
彼が下界という表現をしたことにより、キロヒは心のどこかで感心さえ覚えていた。幻級ともなると、それより下の位の精霊士は、雲の下の話なのかと。
「その楽しさの始まりが、この学園の一年だと聞いた時は、どこかで一度訪ねようと思っていた。君たちが卒業する前くらいがいいだろうと考えた。学生の間、自分たちだけでどれだけ育ったのか、見学に行くつもりだった」
足を組んで、その膝の上で白い手を組む。目の周りと同じ白さだ。元々は色白なのだろう。
キロヒの観察は、現実逃避だ。
やはり子供の浅知恵に、満額で騙される大人はいないということである。そしてラエギーより、更に上の人間を引き寄せてしまった。
「そこにきて、精霊の偽装だ。幻級の人間でさえ、考えたことがなかった。これもクロヤハ、君の血筋の知恵か?」
「…………いいえ」
長い沈黙の末に、クロヤハはその答えを選んだ。ここでもし「はい」と答えて、家族に確認を取られればすぐに嘘だと分かる。迂闊にキロヒをかばえないという判断だろう。
「そうか。では、こちらだな……キロヒ」
秋のそよ風になりたい──遠くを見つめようとしていたキロヒだったが、現実は彼女を逃してはくれなかった。逃げようのない名指しだ。
「どうしてキロヒですの?」
イミルルセが割って入る。ここには八人いて、クロヤハを除いても七人いる。確かに実際に大きさをごまかしたことが知られたのは、キロヒとイミルルセだ。しかし、そうであったとしても二択である。迷いなくキロヒの名前が出てくるのはどうしてなのか。
「それは、キロヒの精霊がおかしい、からだ」
「どうおかしいのでしょう?」
「ただの上級精霊ならば、幻級の前に抵抗などできない。けれど、不思議なことに抵抗できている。完全ではないが、何かが邪魔をしている。そんな上級精霊は、これまでいなかった」
その疑問への心当たりはある。謎精霊だ。あれがクルリに混ざった。そのせいで、奇妙なことになっているようだ。彼と同じ視点からクルリを見ることはできないために、対処できない部分でもあった。
「それに……」
キロヒからすれば、もう十分致命傷だ。これから自分の中にある情報と引き換えに、興味を失ってもらわなければならない。重大な損得勘定の時間である。
「それに……キロヒは私が霊層を組み換えたことに気づいていた」
なのに、キーはまだ手を緩めない。 謎の精霊が「来る」と言った意味が分からずに、思わず繰り返した言葉を拾われていた。
「ああ、勘違いしないでほしいのは、私は懲罰を担当しにきたわけではない。私は知りたいだけだ。何も心配することはない」
キロヒの耳に甘い言葉が流れ込む。目の前の男は敵ではなく、ただの知的好奇心を満たしにきただけの雲上人だと宣言する。
その甘い言葉は真実なのか。キロヒは信じ切っていなかった。
彼は若い幻級精霊士。彼にも「離」の効果があるとするならば、人生の長い残り時間を使うと、もしかしたら神級に届くかもしれない。最新式の「離」なら時間が足りるかもしれない。
神級という誰にも阻むことのできない存在になってなお、護国の精霊士であり続けてくれるのか。幻級精霊士であったとしても、この学園と同じような死に方を要求されるかもしれないのに。
そして謎精霊の情報をどこまで渡すのか。
"私のことは隠さなくてもよいのよ。ただ、キロヒが珍獣として研究材料にされるかもしれないわね"
キロヒの状況に、謎精霊が自ら口出しはしてくる。さらりと怖い予測を混ぜて。そんなことを言われて、はいそうですかとしゃべれるはずがない。
しかし、しゃべらずに終われるはずもない。
「皆がいるところでしゃべることが難しいのなら、別室へ行こうか、キロヒ?」
「しゃべります」
即答だった。
幻級精霊士と二人きりにされるなんてとんでもない。その空間そのものが、ただの拷問だ。身を削ってまで、秘密を守ってほしいと屋根裏部屋の人たちはきっと思っていない。キロヒはそう好意的解釈をした。
だからしゃべった。
図書館の隙間にたまたま入ることができて、そこで亜霊域器に入った謎の精霊と会ったこと。その中にクルリが引きこまれて、少し姿が変わったこと。そこから謎精霊の気持ちのようなもとが伝わってくるようになったこと。いずれの情報も、ほどほどの曖昧さで子供らしく伝えた。
目立ちたくなくて上霊を隠したかった時に、やり方が何となく謎精霊から伝わってきた──そんなぼやぼや。
「春夏しかない本棚の謎も解いたのか……私は解けなかった。隙間までは見つけたのだが、精霊しか入れられなかった。何も持ち出せなかった。隙間もある時とない時があった」
それを聞いた全員が、無の顔になった。この人は、イヌカナに相談せずに一人で頑張ったんだなと。一人だから隙間を見つけられ、一人だから中に入れなかった。あの図書館の秘密に、片手までかかっていたというのに。
「霊層を組み換え? られるのでしたら、いまは入れるのでは?」
「組み換えやすいところと、絶対に無理なところがある。この学園は幻級精霊だと知っているだろう? 教室や寮などは変更できた方が人数の調整などで都合がいい。そういうところだけは協力してくれる。図書室は協力の範囲外だ」
なるほど同じ幻級精霊だからこそ、駄目なものは駄目、ということか。
「さっそく、その開かずの図書室へ行くとしよう」
キーはこの時ばかりは、本当に楽しそうな気配を滲ませた。学生に戻ったような浮つきかけた若い声。
よほど楽しみなのだろうと伝わったが、屋根裏部屋の全員が気まずい顔で視線をそらしたことに気づき、彼はその声を鎮めた。
「図書室に何か問題があるのか?」
「いまは隙間がない時です」
クロヤハが言った。
季節は夏。
運の悪いことに、秘密の図書室が絶対に開かない時期だった。
幻級精霊士キーは、連絡版を指輪に戻しながら泰然と笑っている。
彼が下界という表現をしたことにより、キロヒは心のどこかで感心さえ覚えていた。幻級ともなると、それより下の位の精霊士は、雲の下の話なのかと。
「その楽しさの始まりが、この学園の一年だと聞いた時は、どこかで一度訪ねようと思っていた。君たちが卒業する前くらいがいいだろうと考えた。学生の間、自分たちだけでどれだけ育ったのか、見学に行くつもりだった」
足を組んで、その膝の上で白い手を組む。目の周りと同じ白さだ。元々は色白なのだろう。
キロヒの観察は、現実逃避だ。
やはり子供の浅知恵に、満額で騙される大人はいないということである。そしてラエギーより、更に上の人間を引き寄せてしまった。
「そこにきて、精霊の偽装だ。幻級の人間でさえ、考えたことがなかった。これもクロヤハ、君の血筋の知恵か?」
「…………いいえ」
長い沈黙の末に、クロヤハはその答えを選んだ。ここでもし「はい」と答えて、家族に確認を取られればすぐに嘘だと分かる。迂闊にキロヒをかばえないという判断だろう。
「そうか。では、こちらだな……キロヒ」
秋のそよ風になりたい──遠くを見つめようとしていたキロヒだったが、現実は彼女を逃してはくれなかった。逃げようのない名指しだ。
「どうしてキロヒですの?」
イミルルセが割って入る。ここには八人いて、クロヤハを除いても七人いる。確かに実際に大きさをごまかしたことが知られたのは、キロヒとイミルルセだ。しかし、そうであったとしても二択である。迷いなくキロヒの名前が出てくるのはどうしてなのか。
「それは、キロヒの精霊がおかしい、からだ」
「どうおかしいのでしょう?」
「ただの上級精霊ならば、幻級の前に抵抗などできない。けれど、不思議なことに抵抗できている。完全ではないが、何かが邪魔をしている。そんな上級精霊は、これまでいなかった」
その疑問への心当たりはある。謎精霊だ。あれがクルリに混ざった。そのせいで、奇妙なことになっているようだ。彼と同じ視点からクルリを見ることはできないために、対処できない部分でもあった。
「それに……」
キロヒからすれば、もう十分致命傷だ。これから自分の中にある情報と引き換えに、興味を失ってもらわなければならない。重大な損得勘定の時間である。
「それに……キロヒは私が霊層を組み換えたことに気づいていた」
なのに、キーはまだ手を緩めない。 謎の精霊が「来る」と言った意味が分からずに、思わず繰り返した言葉を拾われていた。
「ああ、勘違いしないでほしいのは、私は懲罰を担当しにきたわけではない。私は知りたいだけだ。何も心配することはない」
キロヒの耳に甘い言葉が流れ込む。目の前の男は敵ではなく、ただの知的好奇心を満たしにきただけの雲上人だと宣言する。
その甘い言葉は真実なのか。キロヒは信じ切っていなかった。
彼は若い幻級精霊士。彼にも「離」の効果があるとするならば、人生の長い残り時間を使うと、もしかしたら神級に届くかもしれない。最新式の「離」なら時間が足りるかもしれない。
神級という誰にも阻むことのできない存在になってなお、護国の精霊士であり続けてくれるのか。幻級精霊士であったとしても、この学園と同じような死に方を要求されるかもしれないのに。
そして謎精霊の情報をどこまで渡すのか。
"私のことは隠さなくてもよいのよ。ただ、キロヒが珍獣として研究材料にされるかもしれないわね"
キロヒの状況に、謎精霊が自ら口出しはしてくる。さらりと怖い予測を混ぜて。そんなことを言われて、はいそうですかとしゃべれるはずがない。
しかし、しゃべらずに終われるはずもない。
「皆がいるところでしゃべることが難しいのなら、別室へ行こうか、キロヒ?」
「しゃべります」
即答だった。
幻級精霊士と二人きりにされるなんてとんでもない。その空間そのものが、ただの拷問だ。身を削ってまで、秘密を守ってほしいと屋根裏部屋の人たちはきっと思っていない。キロヒはそう好意的解釈をした。
だからしゃべった。
図書館の隙間にたまたま入ることができて、そこで亜霊域器に入った謎の精霊と会ったこと。その中にクルリが引きこまれて、少し姿が変わったこと。そこから謎精霊の気持ちのようなもとが伝わってくるようになったこと。いずれの情報も、ほどほどの曖昧さで子供らしく伝えた。
目立ちたくなくて上霊を隠したかった時に、やり方が何となく謎精霊から伝わってきた──そんなぼやぼや。
「春夏しかない本棚の謎も解いたのか……私は解けなかった。隙間までは見つけたのだが、精霊しか入れられなかった。何も持ち出せなかった。隙間もある時とない時があった」
それを聞いた全員が、無の顔になった。この人は、イヌカナに相談せずに一人で頑張ったんだなと。一人だから隙間を見つけられ、一人だから中に入れなかった。あの図書館の秘密に、片手までかかっていたというのに。
「霊層を組み換え? られるのでしたら、いまは入れるのでは?」
「組み換えやすいところと、絶対に無理なところがある。この学園は幻級精霊だと知っているだろう? 教室や寮などは変更できた方が人数の調整などで都合がいい。そういうところだけは協力してくれる。図書室は協力の範囲外だ」
なるほど同じ幻級精霊だからこそ、駄目なものは駄目、ということか。
「さっそく、その開かずの図書室へ行くとしよう」
キーはこの時ばかりは、本当に楽しそうな気配を滲ませた。学生に戻ったような浮つきかけた若い声。
よほど楽しみなのだろうと伝わったが、屋根裏部屋の全員が気まずい顔で視線をそらしたことに気づき、彼はその声を鎮めた。
「図書室に何か問題があるのか?」
「いまは隙間がない時です」
クロヤハが言った。
季節は夏。
運の悪いことに、秘密の図書室が絶対に開かない時期だった。
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