精霊士養成学園の四義姉妹

霧島まるは

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109.キロヒ、お見合いの準備に入る

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"放っておいていいわ。本は読まれるために生まれたのだもの。読めばいいのよ"
 大きな本を表紙だけ開いたまま固まっていたキロヒは、謎精霊にそう言われてようやく肩の力を抜いた。確かにそうだ、と。
 ここでキロヒがどうしようと、生まれる時は生まれるし、生まれない時は生まれない。
 キロヒは席に腰掛けて、身を乗り出すようにして皮の紙の文字を目で追い始めた。
 非常に読みにくい文章だ。宗教的修飾にまみれ、古い表現も多い。
 要約すると、この霊山そのものが精霊の親である。最初はこの山から生まれた精霊が、人のいない世界を自由に飛び回り、大きな陸や海や空を、昼や夜を作った。世界を作った精霊は神級ではないかと書かれている。精霊たちは作り終えた満足感を抱えて霊山へと戻り、永い眠りについた。
 その後の世界は静かな精霊期と呼ばれ、最初の精霊たちが作った自然に親しみながら暮らしていく。そうしている内に、植物や動物が台頭し始める。人間もその中のひとつ。植物や動物の不思議な形に、精霊が惹かれて似せた形を作り始め、互いを見つけ合う。人の作った名前を気に入れば、友人になることができた。
 だから霊山ヘズは精霊の親として、未来永劫大事にするのが、人間の責任である──書き出しはそんなところ。
 人間がまだ存在しないのに、精霊が世界を作ったというのは、誰が観測したのか、推測したのかはキロヒには分からない。
 強い精霊が自然に何らかの作用はできるので、もっと強い精霊であればできるだろうと考えるのは、あながち間違っているようには思えなかったが。
 霊山ヘズは、この国のどこよりも精霊が豊かで──キロヒが続けて読もうとした時、本から霊気のうねりのようなものを感じた。思わずのけぞるほど。
 次の瞬間には、そのうねりなど勘違いであったと思えるほど、気配は凪いだ。本は本として、ただそこに存在するだけ。
"生まれたわ"
 謎精霊の言葉に、キロヒはなるほどと小さく頷いた。いま、本から初級精霊が生まれたに違いない。誰とも契約していない、本を気に入った精霊。だからキロヒにも見えない。
「え……?」
 その声を出したのは、キロヒではない。向かいの席の緑銀の髪の少年。彼は、キョロキョロと何かを見つけようとしている。
 キロヒは、もしかして生まれたての精霊を、彼が見つけたのではないかと思った。
「えー……どうか……えー、しましたか……?」
 エーキウと呼ばれた老人が、隣で不思議な動きをする少年に声をかけると、彼はハッと動きを止めて「何でもありません」と、本に戻ろうした。しかし、何かが気になるのかそわそわと身体が動いている。
「えー……お嬢さん……えー、さっきから……えー、何か、えー、起きているのですか?」
 老人のたどたどしい言葉に呼びかけられ、キロヒの方が驚いた。豊かな眉毛の下の目が、しょぼしょぼと瞬きをしながら彼女を映している。
「あ、いえ、えっと……何でしょう……この本が不思議だった、のです、が? 不思議でなくなりました?」
 慌てながらも、まったく何も起きていないと言い切るほど、キロヒの顔の皮は分厚くはない。よく分からないけれど、何かを感じたような感じていないようなという曖昧な言葉で乗り切ろうとした。
「えー……精霊が生まれたのは……えー、分かっているのですが……えー、それ以前から、えー、この子がそわそわしているのですよ……えー、何か知りませんか?」
 キロヒは、どきどきしながら老人の言葉を聞いた。精霊が生まれたのは分かっている、と言った言葉は衝撃的だった。それそのものに驚いている様子さえない。霊山では、日常茶飯事なのか。
「すみません……何のことをおっしゃっているのか……」
 しかしそれが無関係となると、キロヒには心当たりがまったくない。他に何があるというのか。
「……」
 緑銀の髪の少年は、うつむいてしまった。その姿勢は、自分の態度の浮つきを老人に指摘されたせいかと思っていたら、次の瞬間にはぐっと顔を上げてキロヒをまっすぐ見つめるではないか。
 うつむきは、勇気を奮い起こすために一度心の整理をしていたのか。
「失礼ですが」
「は、はいっ?」
 少年の勇気を込めた視線に、キロヒは背筋をぴんと伸ばしながら、少し遅れて反応した。
「先ほどから、どなたとお話されているのでしょうか」
「……!?」
 キロヒを一瞬、息を詰めた。
「霊山ヘズの本を求めた方は……一体どなたなのですか?」
 追い打ちは、かなり正確に鋭くキロヒの身体に突き刺さる。
 彼女は勘違いしていた。少年が生まれたばかりの初級精霊を見つけたのではないか、と。彼が精霊の友人でなかった場合、初級精霊と出会う可能性があるのかも、と。
 しかし、そうではなかった。それよりももっと前。キロヒがこの図書室に案内され、謎精霊の希望で霊山ヘズの本を指定した時、最後まで言葉にしなかったのに、彼は分かっていた。
 あれは、キロヒの言葉ではなく──謎精霊の言葉が聞こえていたのではないか。
 ヴェールの女性も、うっすら気配のようなものを感じているところはあった。霊山のお膝元ということで、精霊の気配に聡い人が多いのかもしれない。
 キロヒは少し考えた。そして思った。駄目で元々、という気持ちで聞いてみよう、と。
「失礼ですが……あなたは精霊の友人はいますか?」
「……おりませんが?」
 表情を歪めて、少年は深い疑念を向ける。
 第一条件は突破した。
 次だ。
「……どう思いますか?」
 小声で謎精霊に問いかけてみる。謎精霊の声が聞こえている人ならば、相性が良いのではないか、と。
 返事はこうだった。
"晩秋の子だし、声も聞こえているようだから、私と相性はよさそう。でも、真面目そうに見えるけど、かなり世界を憎んでいる子だわ……悩ましいわね"
 友人選びには、なかなか厳しい謎精霊だった。
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