つがいの薔薇 オメガは傲慢伯爵の溺愛に濡れる

沖田弥子

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懐中時計の謎

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 外出には許可を取れなどと命令していたが、屋敷の周りを一周するだけなのに過保護すぎる。ヒロはふたりのやり取りをじっと窺っていたが、踵を返して歩を進めた。仕方なく、後ろに鴇を従えたまま散歩に出かける。
 昨夜に関連した話題を持ち出されてはたまらないので、安珠は先に話しかけた。

「ヒロは僕にしか懐かなかったのに、鴇には気を許しているんだな。昔飼ってたヒロという犬は鴇が散歩してたのか?」
「え? ……ああ、そうですね」

 考えごとでもしていたのか、鴇の返答はぎこちないものだった。
 体をつなげて物理的な距離が縮まったせいか、鴇のことを知りたいという好奇心が湧いてくる。子どもの頃はどんなふうに育ったのだろうか。母親のカヨと共に住んでいた家で、犬を飼っていたはずだ。

「犬は拾ったのか?」
「ええ……拾ったんです」
「何歳なんだ?」
「……今ですか? もう死にました。昔の話です」

 なぜか鴇は言葉少なに返す。普段は余裕綽々で話を引き伸ばす性質があるのに、どこか気まずそうだった。

「そうか。死なれると哀しいな」
「安珠は、ヒロが死んだらどうしますか。彼はもう老犬です」

 幼い頃に少年から預かったヒロは一五歳だ。これまで病気をすることもなく元気で過ごしてくれたが、犬の寿命を考えれば後数年で他界してしまうだろう。

「ヒロをこのまま死なせられないな。いつかヒロトという名の少年に返さないといけないんだ。子どもの頃、子犬と懐中時計を交換したんだよ。鴇が持っていたものと全く同じ型の品だ。鴇がお父さまに懐中時計を見せて息子だと明かしたとき、実は鴇はヒロトで、僕の懐中時計に記号を刻んだのだと思ったんだ」

 漆黒の髪と眸の少年は安珠よりも年上だったので、とうに成人しているはずだ。昔のことなので、彼はもう忘れているのかもしれない。
 鴇は長い時間、沈黙していた。軽快に桜並木を歩くヒロの黒い尻尾が揺れている。

「……なるほど。そうすると、元々記号の刻まれた懐中時計はどこに?」
「さあ」
「それに、公爵から託された記号付きの懐中時計を持っているのなら、わざわざ安珠の品に傷を付ける必要もありませんよね」
「そうだな」

 あくまでも思い違いに基づく仮定の話だ。恨みを込めて語ったわけではない。
 懐中時計に刻まれた拍子記号には歪みがあり、そのことは父とカヨのふたりしか知り得ない。ヒロトが手に入れた安珠の懐中時計に記号を入れたとしたら、一体どこでその情報を入手したと説明できるだろう。
 鴇は頬に緊張を滲ませながら、舗装された路を見つめていた。

「いつか会いに行くから待っててくれ、ってヒロトは約束したのに、来てくれなかったな。ヒロの成長した姿を見せたかったよ」
「それは来れないと思いますよ、ヒロトは」
「どうして」
「こんな立派なお屋敷に貧しい少年が遊びになんて行けませんよ。公爵家に引き取られた子犬は幸せな暮らしが約束されますから、それだけで充分です。ヒロは死ぬまで安珠の犬で良いと思います」

 ヒロトが貧しい少年だと、なぜ鴇は断言するのだろうか。確かに思い返せばヒロトの身なりは裕福な者ではなさそうだったが。

「そうかな。じゃあ僕の懐中時計も、やはりヒロトにあげたことになるんだな……あっ」

 するりと手からリードが滑り落ちてしまう。咄嗟に鴇が拾い上げてくれた。差し出されたリードを掴む際に、指先がほんの少し触れる。
 男の熱を感じてしまい、頬が朱を刷いたように染まる。昨夜はもっと体の奥のほうまで触れられたというのに、こんな軽い接触で戸惑ってしまうなんて。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 意識しすぎる己を持て余して、安珠は俯きながら黙々と歩いた。やがて屋敷の門が見えてくる。散り急ぐ桜を仰ぎ見ていた鴇はふと呟いた。

「いずれ、安珠の懐中時計は戻ってくるでしょう」
「どうして分かるんだ?」
「それが、運命だからです」

 鴇の微笑みを、風に舞う薄紅色の花びらが彩る。
 戯れ言だと思った。運命なんて、存在するわけない。
 けれど、鴇なりに希望を持たせようとしてくれるのだ。彼の気遣いに、安珠は胸が温まるのを感じた。
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