鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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喚び招く

55. 恋心と覚醒*

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 いつの間にか悠真は鏡の中にいた。
 一番最初に閉じ込められた、ミシェルの鏡の中だ。
 けれど不安はない。
 これは明晰めいせきだ、とすぐに気が付いたからだ。

 現実ではないと自覚できる夢。いま悠真の目の前には、暗い瞳で火球を操る、かつての自分自身の姿がある。孤独で、ひたすらに消えたいと望んでいた頃の自分。

 無意識に耳元へ指をやれば、そこにはちゃんと耳飾りの感触があった。それに触れながら瞼を閉じると、自然に微笑が浮かぶ。
 これはオスカーにもらった大切なものだ。勝手につけられたと怒りを感じたことは一度もない。むしろそれほど想われているのが嬉しい。今も、彼に包み込まれている幸福感がある。

(そうだった。頭がぐらぐらして、吐き気が治らなくて、オスカーに抱きしめてもらったんだ)

 何よりも安心できる腕の中で、幸せな気分に包まれながら、きっと眠ってしまったのだろう。悠真の体調が本当に悪い時は、彼は決して無理をしない。
 交わる行為自体が治療になるのだとしても、回復するまではつらいのが続くからではないかと思う。本気で無茶をされた記憶が悠真にはないので、想像でしかないが、単純な魔力枯渇とは違う状態にあった。

(……してくれても、よかったのにな)

 夜ごと愛撫されている後孔がズクリとうずき、唇が心なしかジン、と痺れる。日を置かないぶん激しい行為はなく、その代わりに少しずつ、優しく降り積もっていくものがあった。

『―――愛している……』
『あ……』

 すう、と周りの景色が変わった。
 オスカーの寝室だ。
 大きなベッドの上で、仰向けになった悠真の上に、長い灰色の髪の男性がのしかかっている。蝋燭ろうそくの光の加減で銀灰色に流れる髪が、きらきらと顔の周りを流れる川のようだった。
 これには憶えがある。眠る直前の記憶ではない。何日前だったか、オスカーに魔法の練習に付き合ってもらっていた日、つい楽しくなって限度を忘れてしまったのだ。途中でオスカーが止めてくれたのに、悠真は調子に乗って魔力を使い過ぎ、案の定、軽い枯渇状態に陥ってしまった。
 あの時は普通の魔力不足だったから、補給の目的で抱いてくれたのだ。

(……僕、あんないやらしい格好してたの?)

 中途半端に脱がされ、腕に引っかかっている肌着。すんなりとした足がオスカーの腰を挟み、その片足首に自分の下着が引っかかって揺れている。
 相手の瞳に映る己の姿のいやらしさを初めて自覚して、いっそ気を失いたくなった。

(―――?)

 す、と視点が切り替わった。気付けば先ほどまで目の前にいた自分自身になっており、背中にシーツを感じながらオスカーを見上げていた。

『ユウマ……』
『んっ、……はっ……』

 自分の唇から、喘ぎが漏れる。
 手の平と舌が素肌を探り、その熱さに身をよじった。体温は下がっているはずなのに、皮膚が発熱時のように鋭敏になり、触れられる場所がどこであってもビリビリと感じてしまった。
 丁寧に高められ、喘ぐ唇に軽いキスを落とされ、嬉しくてくらりとした。角度を変えて深く重なり、入り込んできた舌が口内をなぞり、夢中で受け止めた。
 内壁を掻き分け、熱い杭が蠢いている。優しく労りながら中を愛され、心も身体も悦んでむせび泣き、何度もオスカーの名前を呼んだ。
 やがてそれはゆっくりと突き進み、奥までグ、と嵌まり込んだ瞬間、悠真の先端から白濁が押し出された。

『あふっ、あ、……んぅ……』

 これ以上なく深いところに当たっているのに、中がオスカーのものを強く引き絞り、もっと深みまで誘い込もうとする動きが止まらない。
 呼吸を整える間もなく、抜き差しが再開された。ただ出入りされるだけでも強烈な快感に身悶え、果てたはずのものがすぐにち上がり、また蜜を垂らし始める。
 やがて抜き差しは止まり、仕上げとばかりに下半身をさらに密着させ、熱杭の切っ先が最奥に押し付けられた。その瞬間、互いがほぼ同時に精を吐き出していた。

 その後もゆるゆると甘い交わりが続いた。ひたすらに甘い口づけと、胎内の熱以外何も考えられない。
 口づけの合間に何度も愛をささやかれ、潤んだ中をじっくりとねられ、長い時間をかけてようやく二度目の熱がそそがれた。

『ぁ、は……あぁ……』

 中を濡らされる感触に震え、悠真の先端から快楽の証の残りが溢れた。優しく腰を揺らされていた間も一度達してしまったせいで、それは薄く量も少なかった。
 オスカーは満足気とも名残惜し気ともつかない溜め息をつき、後ろからズルリと引き抜いた。その感触にさえ鼻にかかった声が漏れ、しかし口を塞ぐ気力もない。全身はドロドロにとろけて、指一本動かすのも億劫おっくうだった。

(オスカー。好きだ。好き……)

 いつの間にかまた視点が戻り、悠真は両手で顔を覆った。彼が好きで好きで泣きたくなる。自分がこんな風になるなんて、少し前までは想像の欠片もできなかった。淡白で微妙に潔癖症な部分があって、恋愛も結婚も不向きなタイプの人間だと信じていたのに。

(好きだ……会いたいよ……)

 だってこれは、悠真の中の『思い出』なのだ。
 本物の彼の口づけが欲しい。本物の彼が恋しい。

 ―――また場所が移り変わった。
 悠真はまた鏡の中に……いや、鏡と鏡の間を行き来していた時の、裏側というか狭間というか、身を映し出す物以外何もない不思議な空間にいた。
 ふと気付けば、すぐそこに鏡がある。
 楕円形の壁掛け鏡だ。暗闇の中で鏡面が煌々と輝いている。誰かの話し声が聞こえ、悠真は鏡に近付いた。意識すればスウ、と鏡に向かって身体がスライドし―――いや、スライドしたのは鏡のほうだったのか―――鏡の中がはっきりとえた。

 そこはレムレスの館の食堂だった。オスカーがいる。リアムも、王子も、ジスランもいた。
 朝食をとりながらお喋りをしているのだろうか。どうしてかそこに悠真はいない。王子とジスランは、リアムのような魔法使いが好むローブを身に纏っている。
 ローブにはゆったりと幅広の帯を巻いていた。かっちりとした服装が一般的な彼らには、窮屈ではない服が却って着慣れず落ち着かないのではないだろうか。王子はともかく、ジスランは居心地が悪そうだ。
 つい浮かびかけた微笑は、彼らの会話がハッキリ耳へ届いた瞬間、掻き消えた。

(カリタス家の召喚術?)

 モレスの目的。敵対者の意図。信じられない話ばかりが耳に飛び込んでくる。

(僕を《シーカ》みたいな存在に変えて、データを送信するみたいにどこかへ送るつもりだった、っていうこと?)

 ふつり、と怒りが湧き起こった。感情はあるのに胸の鼓動はなかった、あの頃の嫌な感覚を思い出す。
 《シーカ》はオスカーの使役霊だが、オスカーの支配のもとで彼は自由だった。《シーカ》だけではない。よく手紙のやりとりで活躍している魔鳥の《ウェスペル》も、四枚羽の暗黒竜《ラディウス》も、オスカーという支配者のもとで解放されていた。
 悠真を―――精霊を手に入れようと企む連中は、間違いなく違う。

(いや、待てよ。これは明晰夢、だよな?)

 さっきまではそうだった。そのはずだ。
 でも、これは何だろう? こんな会話は初めてだ。自分の頭が勝手に想像して作り上げた映像だろうか?

『―――丸め込まれて、いいように使われたかな』
『だろうな。お祖父様が亡くなられた後、父はその蔵書をすべて火にくべようとした。私が止めて大半を引き取ったが、何冊かは間に合わずに燃やされている。そのうちの一冊にこの術が載っていた。魔力が少なくとも扱える術式の書だ。燃やしたと見せかけ、手元に置いていたのだろう』
『他国の召喚士がそれを入手したという可能性はないのかい?』
『これは血統魔術だ。カリタスの直系でなくば使い物にならん。魔法が不得手な者しか生まれなかった時に備えて編み出されたもので、術式の中に必ず己の署名を入れる。ここにあるのは父の名だ』

 悠真の視界からは、ちょうど彼らの身体や手で隠れて見えない。
 でも、わかる。そこに

『あ、ほんとだ。隠蔽の術式も入ってるね?』
『血族以外の者には見えんようになっている。今は私が解除させた』
『あの、申し訳ありません。質問をしてもいいでしょうか?』

 遠慮しながら声を挟んだのはジュールだ。

『モレスが奇妙な化け物をんだのは、その術の力なのでしょうか?』
『そうだ。あの男には召喚魔法どころか、魔法自体の素質がほとんどない』
『しかし、血統魔術は他者に扱うことができないのでは?』
『正確には、血族でなければ効力のある術式を描けないという意味だ。この術式に関しては、術士が許可を与えた者なら扱えるように設定されている』
『なるほど、そういうことでしたか』


(―――知らない。こんな会話、まったく憶えがない。これ、何だ……?)

 自分は今、何を見ているのだろう?


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