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喚び招く
62. 帰る場所
しおりを挟むここにいたのか。ずっと。
これがミシェルに応え、そして悠真をこの世界に喚んだのか。
ずっと恐ろしかった。『ミシェルの』鏡の中にいるであろうそれが。
けれど今、彼はオスカーの姿見から悠真を見つめ返している。
(外に、出てしまったのか)
もしかしてこれは、今までずっとミシェルの―――いや、『カリタス家の』鏡の中にいたのだろうか。
悠真のように、あの家の鏡の世界に閉じ込められていて。
(僕を閉じ込めていた檻は、オスカーのおかげで完全に壊れた。でも、こいつの檻は)
もしかして。
たった今、自分が壊したのだろうか。
(僕がここに来ることで、出口が開いた……?)
悠真の姿をしたそれは、指を口元から離した。唇の端がほんのわずか動いた気がする。ひょっとしたら微笑ったのかもしれない。
ざわざわ鳥肌の立つ感覚が止まらなかった。熱も生命活動も停止した世界で、鳥肌なんて立たないはずなのに、外の世界での感覚を引きずっている。
双子の片割れでもない限り、自分ではないものが自分の姿を取って動いていれば恐怖を感じるものだ。だがそれだけではなく、今そこに姿を現したものは、もっと何か根源的な恐ろしさを感じさせた。
鏡の中の鏡から、それは悠々と出て来た。ゆったりと歩いているのに、逃げられないと直感した。
そしてもうひとつの直感が閃く。
(そうか―――合わせ鏡なんだ。僕自身が、もう一枚の鏡になっている……!)
実感は薄いけれど、《鏡の精霊》と呼ばれている悠真だ。自分がミシェルの鏡を破壊したことで、カリタスの血を持つもう一人、オスカーの鏡に移ったのだとすれば……。
それは中に映っている悠真の後ろ姿を通り過ぎ、どんどんこちらへ近付いてきて、やがて目の前に立った。ちょうど自分自身が鏡に映っているはずの位置に立ち、けれどそこからは出られないのか、手の平をぴたりと当てる仕草をした。
自分自信の瞳がジ、と何かを語りかけてくる。恐ろしいのに、悠真はその手の平に自分の手を合わせた。何故かそうしなければいけない気がしたのだ。
触れた瞬間から、浸透が始まる。
入れ替わるのではない。それはただ悠真の中に入り、悠真の一部になろうとしているだけだった。それは自然に行われ、どちらが意識する必要もなかった。
ミシェルのように、不要になったとたんポイと排除する無責任さはなく、身体を奪って成り代わろうという意図もなかった。そもそも、それ自体にそんな『欲望』はない。そういう存在ではなかったのだ。
ならばどういう存在であり、何を目的としているのかも伝わって、やがて恐怖心も薄れた。
恐ろしい存在だ。それは間違いない。
けれど悪意ある存在かと問われれば、少なくとも悠真に対してはそうではなかった。
(オスカー……会いたい)
唐突にそれだけが心を占めた。
この奇妙な世界への『遠出』はもうすぐ終わる。もうすぐ彼の元に帰ることができる。
自分を包み込み、絶対的に愛してくれる存在。それだけをよすがに、悠真は瞼を閉じた。
……。
…………背中が、やわらかい。
瞼の向こうが明るかった。光を透過し、やや赤く見える。
「はぁ……」
心地良さに、深く息を吸った。
「ユウマ?」
手を握られた。低く優しい声。
もしかして、ずっと傍についていてくれたのだろうか。
瞼が重いと感じたのは一瞬だけで、逆に身体が軽くなっているのを感じた。必要な睡眠を充分に取った直後の爽快感に近い。
するりと瞼を開ければ、心配と安堵を同時に湛えた灰の瞳がこちらを見おろしていた。
悠真はオスカーのベッドに寝かされていた。明らかにホッとしている彼の様子に、ほろりと涙がこぼれた。
「どうした? 苦しいのか?」
「ん……」
どう答えたらいいのだろう。胸がギュッと苦しくなり、それが嬉しくて涙が出るのだ。
「オスカー……キス、して……」
突然のおねだりに、彼は少しばかり目を見開いた。その表情を見て悠真は悔やむ。いきなりそんなことを口走って、引かれてしまっただろうか。急に変なことを言い出したと思われたかな。
そんな不安が顔に出たのだろう。オスカーは即座に願いを叶えてくれた。二度、三度と唇をついばみ、そして深く重ねてくれる。
たっぷり口内をねぶられ、悠真の息が上がってきた頃、ゆっくりと糸を引きながら唇が離れた。
「少し驚いただけだ。今後も、欲しくなればいつでも言え」
悠真の口の端をペロリと舐めながら、そんなことを言う。自分の顔面が真っ赤になっていそうなのを自覚しながらも、悠真はコクリと頷いた。
「……遠くへ、行っていたみたいなんだ。最初は、明晰夢かなって思ってて。確かに最初はそうだったんだけど、途中から、おかしな感じになったんだ」
しっかりと抱き込まれ、途方もない安堵感に促されて言葉を紡ぐ。
「どう説明したらいいかな。ちゃんと戻って来られるっていうのは何となくわかっていたから、その点で不安はなかったんだ。だけど、夢というか、オスカーとの記憶が出てきて」
「私の記憶?」
「うん。その…………オスカーと、してるところ……」
恥じらいながら打ち明ける悠真に、揶揄いの言葉が口をついて出そうになるオスカーだったが、黒いまつ毛に隠れた目尻から溢れる涙に、グッとつぐんだ。
「でも、それは記憶だから、本物のオスカーじゃなくて……ここにあなたはいないんだって思ったら、すごく寂しくなっちゃって……会いたくて……」
「ユウマ」
「ごめんなさい。こんなことで、情けないな僕……ん……」
優しく唇を奪われ、自嘲の言葉は封じられた。
「ふ、オスカー……」
「おまえに会いたかった。いつもと同じように目覚めると思ったのに、眠り続けている。声を聞くことができず、見つめられることもない。原因もよくわからない。私がどれだけ情けない面を晒していたのか、おまえには見せたくないものだな」
そうしてまた、吐息を奪われる。
くらくらしながら、悠真はどうやら相当心配をかけてしまったらしい申し訳なさと、愛おしさに酔いしれていた。
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読みに来てくださってありがとうございます!
諸事情にて8/28~30は更新をお休みいたします。よろしくお願いいたします。
※8/30追記:予定がずれこみました(汗) 31日も投稿は難しく9/1から再開になると思いますm(_ _m)
※9/7さらに追記:大変お待たせして申し訳ありません! 1~2日中には再開予定です……!
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