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第三十四話:コボルト見習いと発酵の話 (3/3)
しおりを挟む静寂が、厨房を支配していた。
いや、静寂ではない。罪悪感と、かすかな希望が入り混じった、張り詰めた空気だけが、そこにあった。
やがて、石窯の中から立ち上る香りが、その質を変えた。
ローズマリーとタイムの、清涼で、どこか神聖な香りが、ニンニクの力強い香りと結びつき、この厨房に澱んでいた、あの甘ったるく濁った絶望の空気を、まるで教会のミサのように、隅々まで祓い清めていく。
「…よし、焼き上がったぞ」
俺が、石窯の重い扉を開ける。
その瞬間、凝縮されていた聖なる香りと熱が、まるで教会のパイプオルガンの音色のように、厨房を満たした。
**黄金色に、完璧に焼き上がった、薬草鶏の丸焼き**。
俺は、その丸焼きを、キノコ人の元へと運んでいった。
その、清らかな香りに誘われたのだろうか。
キノコ人が、うめき声を上げながら、ゆっくりと、その目を開けた。
俺は、一番柔らかい胸肉の部分を、小さく、小さく裂いて、彼の口元へと運んでやる。
一口、また一口と、キノコ人は、その、薬草の力が満ちた鶏肉を、ゆっくりと、しかし、確かに、その身に取り込んでいく。
すると、奇跡は、静かに、しかし、劇的に、彼の身に起こり始めた。
ニンニクとハーブの持つ、強い抗菌成分が、彼の体の中で暴走していた酵母菌の活動を、内側から、穏やかに、しかし、確実に鎮めていく。
体の熱っぽさが、すーっと引いていく。酩酊状態だった頭にかかっていた靄が、晴れていく。
やがて、小皿一杯の鶏肉を食べ終える頃には、彼の瞳には、本来の、穏やかで、理性的な光が戻っていた。
ザックが、震える足で、一歩、前に出た。
彼は、リーダーとして、全ての責任を背負う覚悟で、回復したキノコ人の前で、床に、額をこすりつけた。
**「…ごめんなさい…!」**
その声は、もう、虚勢に満ちたリーダーのものではなかった。ただの、自分の過ちを悔いる、一人の子供の、魂の叫びだった。
リルと、ゴルも、その隣で、同じように、床に額をこすりつけて、声を上げて泣きじゃくった。
その、あまりにも痛々しい謝罪に、回復したキノコ人は、静かに、首を横に振った。
そして、彼の、優しく、そして、どこまでも澄み切った声が、三人の脳裏に、直接響き渡った。
《…いいえ。あなた方の想いは、ちゃんと、**温かかった**ですよ。ただ、少しだけ、熱すぎただけです》
その、あまりにも予想外の言葉に、三人が、はっと顔を上げる。
《…でも、その熱すぎるほどの想いがなければ、私は、この店に来る勇気も出なかったかもしれない。あなた方の、そのまっすぐな想いが、結果的に、私を救ってくれたのです。**ありがとう、小さな料理人さんたち**》
その、あまりにも優しく、そして、深い**赦しの言葉**。
それが、彼らを縛り付けていた、最後の罪悪感の鎖を、音もなく、完全に断ち切った。
堰を切ったように、三人の嗚咽が、厨房に響き渡る。それは、後悔の涙ではない。救われたことへの、**感謝の涙**だった。
(…これが、料理の本当の怖さであり、本当の喜びだ。こいつらは、今日、本物の料理人への、一番大事な一歩を踏み出したんだ。まだまだ、一人前にしちゃあ、百年早えだろうがな)
俺は、その光景を、ただ、静かに見守っていた。
その日、「雪山ブリザード団」は、初めて**「料理の怖さ」**と、その先にある**「本当の喜び」**を知り、ただの悪ガキから、本物の**「厨房見習い」**への、大きな、大きな一歩を踏み出すのでした。
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