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第四十三話:海の守護者と、気まぐれ食堂の総力戦 (3/4)
しおりを挟む静寂が、店を支配していた。
いや、静寂ではない。三人の見習いたちの、固唾をのむ音と、祈りだけが、そこにあった。
スキュラは、目の前に置かれた、夕焼け色のスープを、ただ呆然と見つめていた。
その、あまりにも温かく、生命力に満ちた香りは、彼女が失ってしまった、豊かだった海の記憶そのものだった。
その、震える彼女の肩に、リルが、そっと、温かい布をかけた。
「…大丈夫です。これは、あなたを傷つけるものじゃ、ありませんから」
その、あまりにも優しい声に、彼女は、意を決したように、ゆっくりと、その一口を、唇に運んだ。
**ごくり**、と。
彼女が息を呑む音が、静かな店に、やけに大きく響いた。
その瞬間、彼女の、青白く透き通るような肌に、内側から、ぽっと、温かい灯火が灯ったかのように、**血の気が差した**。
それは、ただの味ではなかった。
沢蟹の殻から絞り出された、海の生命力そのものである**「命のエッセンス」**。トマトとサフランが持つ、毒を浄化し、洗い流す**「大地の恵み」**。そして、雪蜂の女王が紡いだ、百年の感謝が凝縮された**「聖なる一滴」**。
それら全てが、一つの、圧倒的な生命の奔流となって、彼女の、乾ききっていた魂の、一番深い場所にまで、染み渡っていく。
一口ごとに、奇跡は、より確かな形となって彼女の身に現れ始めた。
毒に侵され、チリリと焼けるようだった皮膚の痛みが、すーっと、穏やかな春の雪解け水のように、溶けていく。潤いを失っていた肌に、**内側から真珠のような光**が宿っていく。
そして、奇跡は、彼女の、誇りであり、絶望の源でもあった、下半身の犬たちに及んだ。
今まで、ぐったりと、死んだように動かなかった、六つの頭。そのうちの一つの瞼が、ぴくり、と痙攣した。そして、弱々しく、しかし、確かに、その瞳を開いたのだ。
《…きゅぅん…》
それは、飢えと苦しみに満ちた呻き声ではない。母親の温もりを求める、**甘えるような、愛らしい鳴き声**だった。
その一声が、合図だった。
一つ、また一つと、子犬たちが目を覚まし、母親であるスキュラの体に、その頭をすり寄せていく。濁っていた瞳が、再び**深い海の蒼**を取り戻していく。
《あ……ああ……!》
スキュラの瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。それは、絶望の涙ではない。**失いかけた我が子との絆を、再びその手に取り戻した、歓喜の涙**だった。
「「「やったーーーーー!!!!」」」
堰を切ったように、三人の見習いたちの歓声が、厨房に爆発した。
自分たちの作った料理が、今、目の前で、母親と子供たちの、命を繋いだ。その、あまりにも尊い事実に、三人の魂は、震えていた。
だが、その、温かい奇跡の光を切り裂くように、事件は起きた。
店の軒先に吊るされた麒麟の鱗が、今までとは比べ物にならないほど、**激しく震え始めた**のだ。そして、真珠色の穏やかな光ではない、危険を知らせる、**真紅の警告の光**を、明滅させた。
「チッ、しつけえ野郎どもだ。この結界、どうなってやがる!」
「おい、見ろよ!中に、すげえ上玉の魔物がいやがるぜ!ありゃ、スキュラか!?大物だ!」
店の外から聞こえてきたのは、欲望に濁りきった、下品な人間の男たちの声だった。
スキュラを追って、この聖域までたどり着いた、**「悪意」そのもの**。密猟者たちだ。
彼らは、店のドアノブに手をかける。
その瞬間、麒麟の鱗が、**カッ!**と、太陽のように眩い、しかし、どこまでも清らかな**光の壁**を、店の入り口に展開した。
悪意に満ちた彼らの手が、その聖なる光に触れた瞬間、激しい痛みと共に弾かれる。この食堂は、悪意ある者を、決して内部に入れない。
「くそっ!入れねえなら、やり方はいくらでもあるぜ!」
「森ごと燃やしちまえ!そしたら、隠れてる他の獲物も、一網打尽だ!」
男たちの、狂気に満ちた笑い声が響く。
そして、店の窓の外に、いくつもの、不吉な、**赤い光**が灯された。
松明だ。
俺は、完全に回復したスキュラと、そして、戦士の顔つきになった三人の見習いたちに向き直った。
その顔には、もう、一片の恐怖も、迷いもなかった。
あるのは、自分たちの聖域を、仲間を、そして、この森の未来を、自分たちの手で守り抜くのだという、**揺るぎない覚悟**だけだった。
「…リル、ゴル、スキュラさんを頼む。ザック、お前は俺と来い」
俺は、静かに、しかし、その瞳に、燃えるような怒りの炎を宿して、厨房の奥から、一本の、巨大な中華鍋を手に取った。
「…言ったよな。最高の**『ごちそう』**を、食わせてやるってな」
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