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しおりを挟む「もう……誰かが来たらどうしますの?」
「心配無用ですよ。きっと暗くてよく見えません」
「それに、このようなことをしていては、オーガスタ様に叱られてしまいますわよ」
「今夜彼女は来ないから平気です。手紙を出しておいたから。それより今は――俺のことだけ考えていてください」
月明かりの下、互いに夢中になっているサミュエルとアデラは、オーガスタの存在に気づいていないようだ。サミュエルはアデラの豊かな胸に手を添え、今にもドレスをはだけさせようとしている。
(もう――限界だ)
その瞬間、心の中で何かがプツン、と切れる音がした。
一緒に過ごしてきた中で育んだ情さえも、音もなく崩れ去り、どこかに消えてしまった感じ。
オーガスタが何よりも許せないのは、嘘を吐いていたことだった。王女のことを愛していないと言っていたのに、彼の熱を帯びた目は愛する相手を見る目そのものだった。そしてその唇は、婚約者であるオーガスタには一度も語られることがなかった愛の言葉を、アデラに向けて紡ぐ。
「――見えてるよ」
静かに一言そう告げて、一歩踏み出す。振り返ったサミュエルは、こちらの姿を見て驚愕とともに青ざめた。
「オーガスタ嬢!? ど。どうしてここに」
「それはこっちのセリフだよ。どうしてこんな場所で、こんなことしてるの?」
彼の胸ぐらを掴んで引き寄せ、威圧するように顔を覗き込めば、ぐっと喉の奥を鳴らす音が漏れ聞こえた。
「て、手紙を読まなかったのか? 今日は仕事があるから欠席してくれと、伝えたはずなのに……」
「読まずに破り捨てたよ。それに父が代わりにパートナーとして参加してくれたから」
窓の向こうから、オーケストラ楽団の優雅なワルツが聞こえてくる。
「そう。私を騙して、ふたりで楽しむつもりだったってわけ。呆れた」
「それ、は……」
あちらこちらに視線をさまよわせるが、彼が言い訳の言葉を見つけることはできなかった。
オーガスタは彼の胸を離し、冷たく言い放った。
「婚約解消しましょう。サミュエル様」
「だめだ……っ、それはできない……」
情けない顔をして、子どもがいやいやと駄々をこねるように、首を横に振る彼。浮気現場を見られておいて、なんと往生際の悪いことか。
「君以外との結婚なんて考えられない。頼む、考え直してくれ……! 信頼を取り戻せるように、これから努力するから!」
「それは借金返済のためでしょ?」
「!」
どんなに説得されようと、オーガスタの決意は揺るがない。一度挽回の機会は与えたのに、全く変わらなかったのはサミュエルなのだから。
すると、サミュエルの陰に隠れていたアデラが口を挟む。
「借金とは……なんのことですの?」
「彼の実家は多額の借金を抱えていて、彼が生涯夫として務めを果たす代わりに、クレート公爵家が全額返済する約束だったんです。ご存知ありませんでしたか?」
「知りませんでした。そんな……っ。では、オーガスタ様と別れて、わたくしと結婚してくださると言ったのは、嘘だったの……?」
「今の彼の姿を見ればお分かりになるかと」
サミュエルは気まずそうな顔をして黙り込んだ。
まさかサミュエルが、ここまで浅はかな男だったとは。
確かに、アデラが言ったように、サミュエルはアデラのことを愛しているのかもしれない。けれど、彼は愛よりも借金返済の方が大事なのだと、彼の反応が物語っている。
「あんまりですわ……。これからふたりで幸せになれると信じておりましたのに」
彼女はすっかり被害者のような態度で両手で顔を覆い、泣き崩れた。サミュエルのような薄情な男に騙され、気の毒に思う部分もあった。しかし、不貞を働いたのだから自分自身の責任だ。
そしてアデラの横で、サミュエルは魂が抜けたように沈黙していた。
「後日、マキシミルア侯爵家に婚約解消の正式な申し入れをするから。――さよなら」
オーガスタはそんなふたりに背を向け、バルコニーを後にした。
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