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しおりを挟む扉の方に視線を向けたのと、扉が開いて父ダクラスが医務室に飛び込んできたのは、ほぼ同時だった。急いで駆けつけたらしく、額に汗を滲ませている。
「オーガスタ! 倒れたと聞いたが、大丈夫かい?」
「はい、平気です。実は第四王子殿下が介抱してくださって……」
父にネフィーテのことを紹介しようとするが、室内に彼の姿はなかった。代わりに窓が開け放たれていて、白いカーテンがゆらゆらと風に揺れている。ここは三階だが、頑丈な肉体を持つ吸血鬼の彼なら飛び降りても無事だろう。
「……第四王子!? まさか、ネフィーテ様と――会ったのか!?」
ダクラスは今までに見たことがないくらい、切羽詰まった顔をした。狼狽えながらつかつかとこちらに歩んできて、床に座り込んでいるオーガスタの腕を掴む。
「父上、顔が真っ青です。何をそんなに焦っているんです?」
「いいから質問に答えなさい! 今、彼に会ったのかい!?」
「会いましたけど……とにかく、少し落ち着いてください」
「あ、ああ。……そうだな」
オーガスタは目の前に落ちているネフィーテのハンカチを大事そうに拾い上げてから、その場に立ち上がった。そして、寝台に腰掛ける。
「何かひどいことをされたり、言われたりしなかったかい?」
なぜそんなことを疑うのだろうか、とオーガスタは不思議に思った。
「いいえ。倒れているところを運んでいただき、ずっと親切にしてくださいました。このハンカチも貸してくださったんです。それよりあの……父上に、お願いがあります」
「お前から頼み事なんて珍しいね。言ってみなさい」
ネフィーテの話が挙がったから、そのついでに近衛騎士のことを相談しよう。ダクラスは何やらネフィーテのことをよく思っていない様子で若干の不安はあるが、いつもオーガスタの思いを尊重してくれる人だ。娘のやりたいことを、応援してくれるはず。……そんな甘えが、オーガスタの中にあった。
オーガスタはハンカチをぎゅっと握り締めながら、真剣な眼差しでダクラスのことを見上げた。そして、切々と訴える。
「サミュエル様と王女様はやはり浮気していました。彼とは婚約を解消をします。それで、婚約解消が成立したあとですが……やりたいことが見つかりました。その……第四王子殿下の近衛騎士を志願させてほしいんです」
「だめだ」
しかし、オーガスタの切願は、にべもなく跳ね除けられてしまった。ダクラスの眉間に、徐々にしわが寄っていく。
「それだけはだめだよ、オーガスタ」
「なぜですか……?」
「彼はとても危険だからだ。王国騎士団はネフィーテ様に、護衛ではなく――監視の者を付けるようにと王家から仰せつかっているし、実際にそうしてきた。表面的には優しいかもしれないが、惑わされてはいけないよ。世間で病弱と噂されているが、彼は人に危害を加える恐ろしい存在なんだ」
オーガスタを諭すように、父は説明する。オーガスタはゆっくりと立ち、彼のことを見据えた。
「知っていたんですね。ネフィーテ様の正体が――吸血鬼だと」
「……!? どうしてお前がそれを……」
「理由は言えません。でも知っています」
そして、ダクラスよりも深く彼のことを知っているだろう。
「ああ、そうだよ。あれは人の顔を被った人の生き血をすする――怪物だ。王族の地位を与え、塔の中に閉じ込めているのは、人間に危害を加えさせないため。何代も前から王家は国民を、恐ろしい怪物から守ってきたんだ」
「…………違う」
オーガスタはぎゅっとハンカチを握り締める。
確かに吸血鬼はとても恐ろしい存在だ。実際に、簡単に人の命を奪って血を吸う。前世で吸血鬼に命を奪われたオーガスタは、彼らの恐ろしさをよく理解している。それでも……。
それでも、全員が危険というわけではないのではないか。人間にも良い人と悪い人がいるように、吸血鬼の中にも崇高な心を持った存在がひとりくらいいてもおかしくないではないか。
「違うっ、ネフィーテ様は、怪物なんかじゃない! 父上は一度でもあの方と話したことがありますか? 何も知らないのに憶測だけで決めつけているのでしょう……っ!?」
「吸血鬼に関わることが危険なのは常識だ。当然、誰も顔を合わせないようにしている。奴には洗脳能力があるのかもしれない。お前が会った王子はきっと幻だろう。あの塔には鍵のかかった重厚な扉と窓があって、彼は塔から一歩も出られないのだから」
違う。人間の身体能力を超越するネフィーテなら、塔をひとつ破壊して脱走することなど容易いはずだ。それでも彼は、自らの意思で塔に閉じ込められている。現に、初めてネフィーテの姿を見たとき、窓は開いていた。鍵はとっくに壊れているのだろう。
(どうしたら、父上に分かってもらえるんだろう)
ちらりと塔の方に目を移すと、ひとつだけ明るい窓が見える。ネフィーテがその部屋にずっと閉じ込められてきたことを思うと、胸が締め付けられた。
(もっと冷静に、言葉を探さなくちゃ。私は父上と喧嘩したい訳じゃない)
けれど、ダクラスの気持ちも理解できる。突然オーガスタが、吸血鬼である王子に仕えたいと言い出すなんて、どう考えても不審だ。
「……突然こんなことを言い出して、驚かせてすみません。父上が心配するのは当然のことです。でも、ネフィーテ様は……吸血鬼の特徴があるだけで、普通の人間と変わりません。洗脳なんてされていません。あの人は誰かを傷つけるような人じゃない。とても優しくて、可哀想な人なんです」
オーガスタが固く唇を引き結んでいると、ダクラスは強引にハンカチを取り上げて、ごみ箱に投げ捨てる。
そして、オーガスタを力強く抱き締めた。
「なんと哀れな……。しばらく休みなさい。絶対に吸血鬼なんかに大切な娘は渡さないよ。父上がお前を必ず守ってみせるからね」
父のことは大好きだ。しかし、ネフィーテのことも愛している。どうしたら誤解を解き、どちらの心も救うことができるのだろう。
オーガスタは答えが思いつかず、立ち尽くすことしかできなかった……。
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