【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ

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「君は私の正体を、知っていたんですね」
「はい」
「吸血鬼が、怖くないんですか?」

 吸血鬼に殺されたときの記憶が蘇り、ぞわりと背筋が粟立つ。そして同時に、ネフィーテに優しくしてもらった記憶が頭の中を流れた。

「怖いです。でも、あなたは怖くありません」
「そうですか。……変わった人がいるものです」

 ネフィーテは優しげに目を細めた。どこか嬉しさが滲む表情に、オーガスタは胸の奥を甘くつつかれる感覚がした。ふたりの様子を、ダクラスが静かに見守っていた。

 包帯を巻き終えると、ネフィーテが言った。

「そうだ、あなたに渡したいものがあるんです。――これを」

 そう言って、ネフィーテは服のポケットから古びた宝飾品をいくつか取り出し、包帯を巻いたオーガスタの手に握らせた。

「あなたのご実家の借金のこと、あれからずっと考えていたんです。残念ながら、私に財力はありませんが、金目のものがいくつかあったので、売って返済の足しにしてください」
「…………」
「すみません。あまり力になれなくて」

 ネフィーテがオーガスタのために考えてくれたこと、相談したことを覚えていてくれたことが嬉しくて、泣き出しそうな気分になった。
 オーガスタは宝飾品をネフィーテの手に返し、首を横に振りながら、「それは受け取れません」と伝えた。

「どうしてですか? 遠慮しなくていいんですよ」
「違うんです。本当は、実家に借金なんてないから」
「え……」
「そう言えば、同情して雇ってくれるんじゃないかと思って、嘘を吐いたんです。騙してしまって、すみませんでした」
「…………」

 こんなに優しい人を騙していたことが心苦しくて、顔を見られない。深く頭を下げていると、ふっと小さく笑う声がして、「顔を上げてください」と言われた。おずおずと顔を上げれば、ネフィーテがふわりと微笑んでいて。

「よかった。あなたが路頭に迷うことになったらどうしようかと心配していたんです。正直に話してくれてありがとう。でも、嘘はだめですよ」

 ネフィーテは優しさを持ちながらも、間違っていることはきちんと言う厳しさもある。前世で、悪いことをして彼に叱られたことが何度もあった。

 懐かしい前世の記憶に浸っていると、今度はダクラスが口を開いた。

「そのように親切にして、私の娘をたぶらかしたのですか?」
「父上!」
「オーガスタは黙っていなさい」

 ダクラスはオーガスタの前に立ち、鋭い眼光でネフィーテを射抜いた。父の迫力に先ほど数名の騎士たちは萎縮していたが、ネフィーテは微笑みを崩さず、余裕さえ感じさせる。

「たぶらかした……ですか? 私がお嬢さんを?」
「そうです」
「まさか。私は彼女とたった一度しかお会いしていないのに、どうしてそんなことができるんです? それに、親切にしていただいたのは私の方ですよ」

 ネフィーテは視線をこちらに向けて、優しげな笑顔を浮かべてから、また視線をダクラスに戻した。

「誰かに気にかけてもらったのは百年ぶりのことです。心に温かいものが広がる感覚を思い出させていただき、感謝しています。素敵なお嬢さんに育ててくださったあなたにもね」

 彼は胸に手を置き、幸せを噛み締めるように目を伏せた。
 ネフィーテは誤解されても、嫌な顔ひとつせず、穏やかな笑顔を見せた。

「どうかもうお帰りを。私も、親子の仲を引き裂いてしまうのは不本意ですから。もう今後は、そこの扉を開けないことをお勧めします」
「あなたはそれで……良いのですか? このままずっと、孤独でも」

 ネフィーテは寂しそうな顔をしながら、窓の外をちらりと見た。日が暮れ始めた空をぼんやりと眺めているが、その眼差しはもっと遠くを見ているようだった。
 そして、何もかも諦めたような顔をして言うのだ。

「ふ。それが悠久の時を生きる吸血鬼の宿命なのでしょう。さぁ、行ってください」

 ネフィーテに促され、ダクラスは部屋を出る。オーガスタがその場に留まろうとしていると、ネフィーテはオーガスタの背中をそっと押し、囁く。

「早くお父様と仲直りしてくださいね。なぜ君が私を想ってくれたのかは分かりませんが、君が親切にしてくれたことは忘れません。ですが、君は……私を忘れなさい。私と君は――生きる世界が違う」
「…………」

 優しく、けれど確かな拒絶の意思が込められた言葉。縫い付けられたように動かない足をどうにか叱咤して、オーガスタは部屋を出た。

「今日は世話になりました。では、お達者で」

 ゆっくりと扉が閉まっていく。

(やっと、会えたのに)

 希望を見つけて、でもやっぱり願いは叶わなくて。現実はいつもままならない。

 だが、扉がほとんど締まりかけたさそのとき、ネフィーテが寂しそうな顔をしたのをオーガスタは見逃さなかった。閉じかけた扉の隙間に手を挟んで強引に開き、ネフィーテの服を引っ張る。扉の外に片足を踏み出した彼の頬を、両手で包み込みながら訴えた。

「生きる世界が違うというのならせめて……っ、近づけるように努力をさせてください! たとえ叶わない願いだとしても、手を伸ばそうと足掻くことは自由なはずです。そうでしょう!?」

 先生、という呼びかけが舌先まででかかっていた。ノエはネフィーテのことを『先生』と呼び、色んなことを教わってきた。
 ネフィーテはノエによく言っていた。沢山の夢を描き、足掻きなさい、と。人にはあらゆる夢を叶える底力がある、と。だが、ネフィーテは教え子にそんなことを言っておきながら、自分の望みには向き合わなかった。

「ネフィーテ様が誰とも関わらずにひとりでいたいなら、それでいいです。でも――」
「でも……?」
「寂しいなら寂しいって、ちゃんと言ってください。自分の気持ちに嘘をつかないでください。嘘はだめ、なんでしょ?」
「…………」

 先ほどネフィーテに言われた言葉を、そのまま返す。
 もし会うことが叶わなかったとしても、どんなに遠く離れていたとしても、ネフィーテのことを思い続けていよう。けれど、伸ばされた手を掴む覚悟なら、できている。

 ネフィーテの赤い瞳の奥が揺れたのを見たあと、オーガスタは彼の頬から名残惜しげに手を離し、扉を閉めた。
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