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しおりを挟む執務室を退出したオーガスタは、宿舎で荷物をまとめた。宿舎での生活は今日で終わり、これからは王宮で寝泊まりすることになる。準備を整え、王国騎士団で世話になった人々に挨拶をして、建物を後にした。
荷物を持ち、門に向かって歩いていると、突然、オーガスタの足元にころころとじゃがいもがひとつ転がってきた。
(……じゃがいも?)
拾い上げて観察していると、遠くから「すみませーん!」と女性の声がした。王国騎士団の厨房で働いている女性職員が二人、走り寄ってきて、買い出しの帰りだと言った。
「もうすぐ第三王子殿下が王国騎士団にいらっしゃるんです。その食事の準備を任されていて」
「へぇ、第三王子殿下が……。確か、公務にあまり積極的ではない方ですよね?」
第三王子ルアンは妾の子で、王妃や他の王子から敬遠されている。そのため、公の場に出ることは少なく、王都に与えられたタウンハウスでひっそりと暮らしていた。
「今回の訪問はお忍びらしいので、どうかご内密に。副団長さんと約束があるみたいです」
「分かりました」
「このごろしょっちゅうお越しになるんですが、血がどうとか、復讐だとか、怖い話をしていて、なんだかきな臭い様子なんですよ。ああ、これも秘密ですよ?」
「血……」
食事を応接間に運ぶときに、副団長キールとルアンの会話を聞くという。彼はかつて国王の近衛騎士をしており、国王を暴漢から守ったことで恨みを買い、報復として暴漢の仲間に妻を殺された。
血、と聞いて思い浮かぶのは、吸血鬼ネフィーテの顔だ。
オーガスタがじゃがいもを渡すと、彼女は言った。
「紙袋が破けてしまって……すみません」
道を見渡せば、じゃがいもとオリーブがあちこちに転がっている。
「拾うの、手伝いますよ」
「いいんですか……!? ありがとうございます」
オーガスタが微笑むと、ふたりはこちらを見上げながら頬を染めた。無事に野菜を拾い終わったあと、女性のうちのひとりが言う。
「手伝ってくださって、ありがとうございます。あの……お名前を聞いてもいいですかっ? よかったら今度、一緒に食事でも……」
「私はオーガスタ・クレートです。実は宿舎で過ごすのは今日で最後でして。食事はごめんなさい」
「えっ、オーガスタ様って、あの……女性の方……?」
「そうですが、何か?」
「ごめんなさいっ、あたしたちてっきり、男性だとばっかり……」
「はは、全然気にしなくていいですよ。むしろなんか、申し訳ないです」
彼女たちはお互いに顔を見合せて、驚きをあらわにしていた。なんとなく男だと勘違いされているような気がしたが、落胆するふたりの様子を見て、もっと早く言っておけばよかったかといたたまれない気持ちになった。
騎士服を着ていると、時々こうして男だと勘違いした女性に声をかけられることがあった。
職員ふたりはオーガスタにお礼を言って、建物に帰っていく。ふたりはオーガスタが後ろ姿を見送っていることに気づかず、内緒話を始めた。
「オーガスタ様、かっこよかったわね」
「男顔令嬢の噂通り。でも、婚約破棄されてから新しい結婚相手は見つからないようね。騎士団に入るなんて、結婚はもう諦めたのかしら」
「男だったら引く手あまただったのに、残念ね」
「ほんとほんと。男だったら結婚してほしかったー」
「ははっ、あんたじゃ相手にされないわよ」
オーガスタは思わず苦笑しながら、二人の会話を聞いた。小さいころから音や人の気配には敏感なのだ。
本人に聞かれていることに気づかず、お喋りに花を咲かせる彼女たちを見て、少し可笑しくなった。オーガスタも背を向けて、今度こそ門へと歩くのだった。
(結婚……か)
結婚願望がない訳ではない。しかし、サミュエルとの一件以来、結婚に対して良い印象を持てなくなってしまった。もし好きな人と結婚したら、幸せになれるのだろうか。ふいにネフィーテのことが頭に思い浮かび、思わず真っ赤になりながらすぐにその姿を払いのけた。いやいや、ネフィーテに自分なんかが相手にしてもらえるはずがない。
すると門の外に、思いがけない人物が立っていた。
「――久しぶりだな」
「……っ! サミュエル、様……」
半年前より痩せ、顔色も悪い。どうしてこんな場所にいるのかと聞くと、オーガスタに会えないかと、何度も王国騎士団の本部を訪ねていたそうだ。彼はアデラと結婚する際に、王国騎士団を辞めている。なんでも、王国騎士団の給与ではとても借金を返済することができないから、別の仕事を始めることにしたらしい。
「君の父親が、君との面会をなかなか許してくれなくてな。ようやく会えた。その……話をしよう」
「こっちには話すことなんてないよ。悪いけど、もう行くから」
「待ってくれ! 頼む、五分でいいから」
サミュエルはオーガスタの腕をぐっと掴み、切々とした表情で懇願してきた。ずっと門の前で待ち構えていたくらいだから、話を聞かなければどこまでもしつこく付いてきそうだ。
しぶしぶ立ち止まると、サミュエルは安心したような反応をしてから口を開いた。
「俺が送った手紙、読んでくれたか?」
「読んでない……けど」
「やっぱりそうか。実はアデラと……離婚することになったんだ」
王家の方針で最初は、不貞を働いた王女に責任を取らせるため、サミュエルとふたりで協力しながら暮らしていくことになっていた。しかし、サミュエルの無責任な行動が原因で、王女をとても預けられないと判断して、離婚を命じたのだった。
「……そう」
驚きというより、やっぱりそうなったかという気持ちの方が大きかった。
サミュエルは実家の多額の借金を隠したまま、アデラと不貞を働き、結婚する意思があるのだと嘘を吐いていた。信頼を裏切られたのだから、アデラの心が離れていくのも無理のないことだ。
「本題は別だ。実はあれから、新しく借金をして事業を始めたんだが、それが失敗して……」
またしてもサミュエルは、性懲りもなく借金をしたらしい。事業を始めないかとそそのかしてきた相手に騙され、第三王子に借金をしたとか。ルアンからは金を返すように催促されているが、支払うあてもないという。
(どうしてルアン様が出てくるの……?)
元々サミュエルとルアンの間に関わりなどなかったはず。オーガスタの疑問をよそに、サミュエルは続ける。
「それで、頼みがあってだな……」
「また、私に肩書だけの妻になってって言いにきたの?」
「違う。率直に言って――金を貸して欲しいんだ。頼む、この通りだ……!」
サミュエルは深く腰を降り、懇願の声を上げた。お金を貸すことは簡単だが、それが彼のためになるとはとても思えなかった。サミュエルは彼の家族と同じで、派手好きで散財家だった。借金を返したところで、散財癖が治らなければ、根本的な問題解決にはならない。彼の家族も同じだ。
「お金を貸すことはできないよ。でも、借金のことに詳しい弁護士が知り合いにいるから、もし相談したければ紹介できるけど」
「――その必要はない」
オーガスタの提案をサミュエルはにべもなく斬り捨てた。そして、こちらに聞こえる程度の小さい声で、「使えない女だ」と呟く。彼のぶしつけな物言いに、額に怒筋が浮かびかける。しかし、借金が増え、妻にも逃げられ、心に余裕がないのだと大目に見ることにし、聞こえないふりをした。
小さく息を吐いたあと、サミュエルを見据えてはっきりと告げる。
「正直言って、こうやって押しかけてきたり、手紙を大量に送ったりされるのは迷惑なの。私たちはもう婚約者じゃない。金輪際、こういうことをするのはやめて」
彼が物言いたげに口を開閉したが、無視して踵を返す。
オーガスタが去ったあと、ひとり残されたサミュエルは、地を這うような低い声で呟いた。
「くっ、覚えておけ。……俺の頼みを拒んだこと、いつか絶対に後悔させてやる」
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