26 / 45
26
しおりを挟むオーガスタがネフィーテの近衛騎士になってから、三ヶ月が経とうとしていた。近衛騎士といっても名ばかりで、ネフィーテとたわいもない話をして日々を過ごしていた。それはまるで、貴族令嬢ではなく元孤児だった少女ノエに戻ったような、穏やかな毎日……。
しかし、毎日絵を描き、ピアノを弾き、本を読み、ずっと同じことの繰り返しだ。オーガスタにとって、ネフィーテと一緒にいられること以上に嬉しいことはないが、彼が退屈ではないかと時々思う。
ネフィーテは吸血鬼らしく夜型の生活をしている。だが、日光が苦手とはいえ、日差しの対策さえすれば、日中に外に出かけることができる。
ネフィーテが好きな花だって、いくらでも見ることができる。
けれど彼は、王宮の敷地から一歩も出ず、塔の中で暮らし続けている。
塔の中にはお互い以外に話す相手がいないため、三ヶ月という短くも濃密な時間で、信頼関係を築いていた。
日が暮れたころが、オーガスタの出勤時間だ。いつものように扉の外鍵を開けて、ノックをするが、返事が返ってこない。
(まだ眠っていらっしゃるのかも)
ネフィーテが寝ている可能性を考えて、そっと扉を開く。
すると彼は、出窓に腰掛けて、窓から星を眺めながらグラスを傾けていた。
美男子が酒を飲んでいるだけなら絵になるが、彼は吸血鬼であり、飲んでいるのは――人間の血だ。改めて、ネフィーテは人とは違う存在なのだと知らしめられる。神秘的で、艶やかで……近寄りがたい。
扉が閉まる音に気づいて、ネフィーテがこちらを振り向いた。
「オーガスタ……」
「あ、あの……お邪魔します」
ネフィーテは出窓から降り、血が注がれたグラスを背に隠す。他方、オーガスタも見てはいけないものを見てしまったような気分になって、目を逸らした。
「見苦しいものを見せてしまいましたね」
「気にしないでください。わ、私は画室の掃除でもしてきますので。その……ごゆっくり!」
ネフィーテは吸血鬼にそぐわず、人間に直接牙を立てて吸血することを嫌う。だから、各地の病院で特別に採取した健康な人の血を、新鮮な状態のまま王宮に輸送してきてもらっているのだ。
彼は人の血を飲む姿を、頑なにオーガスタに見せようとしなかった。いつもこうして、オーガスタの勤務時間外にひっそりと飲んでいたのだろう。
人が水を飲むのと同じように、吸血鬼は人の血を求める。彼にとっては自然なことであり、そして後ろめたいことでもあるのだ。
◇◇◇
オーガスタはネフィーテを置いてリビングを出て、画室に移動した。ネフィーテがいつも清潔な状態を保つように管理しているため、新たに掃除するような箇所は見つからない。一点、布が被っている場所を除いて。
何もしない訳にはいかないので、とりあえず、ほうきを引っ張り出してきて床を掃除することにした。
イーゼルの足元を掃きながら、キャンパスを眺める。
ネフィーテはまた新しく花畑の絵を描いていた。風車付きの民家の近くに広がる――紫色の花の絨毯。オーガスタに花を愛でる趣味はないが、ネフィーテが描く綺麗な景色は好きだ。ネフィーテはこの紫色の花を描いている。
「綺麗……」
思わず感嘆の息を漏らし、ほうきを動かしていた手を止める。
そして、前世でオーガスタがノエだったときのことを思い出した。
『先生みたいに、全然上手く描けない……』
『ノエの絵だって上手ですよ』
『嘘ばっかり。僕は先生みたいな才能がないんです。どうせ練習したってだめなんだ』
ノエはネフィーテに憧れて絵の練習をしていた。けれど、筆をまともに取ったことがないノエでは、持ち方すらおぼつかず、到底ネフィーテのようには描けなかった。ネフィーテは絵を描くこと以外もなんでもできた。公用語の発音も綺麗で、文字も綺麗。歴史や政治のこと、色んなことに詳しくて、ピアノや料理もできる。ノエにとってネフィーテは憧れの的だった。彼に少しでも追いつきたくて、努力していた。けれど少しも彼に近づけている実感はなくて。
紫色の拙い一輪の花の絵を見ながら、しゅんと肩を落とす。
『誰だって、最初から上手くはいかないものですよ。私もそうでした』
『先生も?』
『はい。何事も、根気よく続けてみることが大事です。才能というものも、努力を重ねて成果を出した人に対してついてくる言葉なんじゃないでしょうか。でも――』
ネフィーテは幼いノエの頭をぽんと撫で、『私はノエの絵、好きですよ』と優しく囁いた。ノエは幼いながら、彼の囁きに胸を高鳴らせたのだった。
懐かしい記憶を思い出しながら、ネフィーテが描いた花畑を指先でなぞる。
そして今度は、イーゼルの奥にある布がかかった場所が目に止まった。
(ネフィーテ様を見たくないものだって言ってたけど……あの布の下、何があるんだろう)
勝手に覗くという野暮なことをする気はもちろんないが、気になる気持ちはある。すると、そんなオーガスタの心を見抜いたような声が、すぐ後ろからした。
「気になりますか?」
「うわっ!? ネ、ネフィーテ様!?」
急に声をかけられたオーガスタはびっくりして肩を跳ねさせ、振り向いた。
1,092
あなたにおすすめの小説
冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。
ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。
事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw
もう、今更です
ねむたん
恋愛
伯爵令嬢セリーヌ・ド・リヴィエールは、公爵家長男アラン・ド・モントレイユと婚約していたが、成長するにつれて彼の態度は冷たくなり、次第に孤独を感じるようになる。学園生活ではアランが王子フェリクスに付き従い、王子の「真実の愛」とされるリリア・エヴァレットを囲む騒動が広がり、セリーヌはさらに心を痛める。
やがて、リヴィエール伯爵家はアランの態度に業を煮やし、婚約解消を申し出る。
愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。
梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。
ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。
え?イザックの婚約者って私でした。よね…?
二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。
ええ、バッキバキに。
もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
諦めていた自由を手に入れた令嬢
しゃーりん
恋愛
公爵令嬢シャーロットは婚約者であるニコルソン王太子殿下に好きな令嬢がいることを知っている。
これまで二度、婚約解消を申し入れても国王夫妻に許してもらえなかったが、王子と隣国の皇女の婚約話を知り、三度目に婚約解消が許された。
実家からも逃げたいシャーロットは平民になりたいと願い、学園を卒業と同時に一人暮らしをするはずが、実家に知られて連れ戻されないよう、結婚することになってしまう。
自由を手に入れて、幸せな結婚まで手にするシャーロットのお話です。
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
両親に溺愛されて育った妹の顛末
葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。
オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。
「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」
「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」
「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」
妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる