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しおりを挟むネフィーテは一体いつの間に後ろに立っていたのだろうか。気配を読むのが得意なはずなのに、至近距離に立っている彼に気づかなかった。
「気にならないと言ったら嘘になりますけど……。ネフィーテ様が見られたくないものを見る気はないですよ」
するとネフィーテは、無言で布が被っている場所まで歩み寄り、布を掴んだ。
「見ても構いませんよ」
そう告げると彼は、一面を覆い隠している布を取り去った。そこから現れたものを見たオーガスタは、大きく目を見開き、固まる。
「……!」
(あれは、私が描いた絵………)
積み重ねられていたのは、ノエが百年前に描いた絵だった。どれも、ネフィーテの作品とは比べ物にならないくらい未熟なものだが、どれもネフィーテに追いつこうとした健気な想いが込められている。
キャンパスの一番上には、見覚えのある紫の花の絵だった。絵だけではなく、ネフィーテをモデルにして掘った歪な石像や粘土細工も並べられている。
(まさか、捨てずにとっていたなんて)
予想外のことに驚いていたが、それを口にはしなかった。ネフィーテは、目の前に立っている女騎士の正体が、前世で保護した非力な元孤児だとは夢にも思っていないだろう。
「私の大切な友人が描き残したものなんです。ずっと片付けようと思っていたんですが、なかなか気が乗らなくて」
「処分されるつもりですか?」
「いえ、まさか。ほったらかしにしておくと、経年劣化がひどくなるので、ちゃんと管理しようと思っています」
ネフィーテは一輪の花の絵を手に取り、優しげに目を細めた。
「私にはこれを、とても捨てられません」
「とても大切な……思い出なんですね」
「はい」
彼がノエのことを覚えていただけではなく、大切に思っていてくれたことが嬉しくて、鼻の奥がつんと痛くなった。
「戦争で拾った孤児でした。あの子と過ごした八年があったから、今の自分がいるんです。私は彼を救ったつもりでいましたが、本当は逆で――救われていたのは私の方でした」
「…………」
オーガスタは唇を引き結び、込み上げてくる感情を堪えていた。ノエにとっては、ネフィーテが世界の全てだったから、『救われていた』だなんて身に余る言葉だ。ノエはずっと、どうしたら助けられてばかりの自分がネフィーテの役に立てるのか、そればかりを考えていた。ネフィーテの言葉によって、当時の自分ごと救われた気分になる。
(そっか……私、ほんの少しはこの人の役に立ててたんだ。よかった。……嬉しい)
喜びを噛み締めつつ、震える喉を鼓舞して言葉を絞り出した。
「きっとその子も……ネフィーテ様のことを想っているはずです」
「いいえ、彼はきっと私を……恨んでいるでしょう」
「そんな――」
どこか憂いた笑みを浮かべるネフィーテに、『そんなことない』と否定の言葉を告げかけたが、喉元で抑え込む。
(やっぱり、ノエが死んだことで責任を感じて……)
ノエは自分の意思で森に出かけて、吸血鬼に殺されて死んだ。ノエの自業自得だ。ネフィーテは何も悪くないし、ノエはネフィーテのことを恨んでなどいない。どうしたらこの気持ちが伝わるだろうかと気を揉んでいると、彼が突然話を変えた。
「そうだ、オーガスタ。そこの椅子に座ってもらえますか?」
「あ……はい。何をするんですか?」
「今日は君に――モデルになってほしいんです」
「!」
ネフィーテの頼みならなんでも喜んで応じたいところが、戸惑って目をさまよわせる。そして、オーガスタの頭に『モデル』という単語が幾度となく木霊する。
(どうしよう。私なんかがモデルなんて、ふさわしくないし)
オーガスタは社交界で『男顔令嬢』と呼ばれてきた。平均的な女性より背が高く、男と間違えられるような凛々しい顔立ちだ。
せっかくネフィーテが絵を描くなら、例えば『社交界の花』と称されるアデラのような、愛らしい令嬢の方が描きがいがあるのではないか。
返事に迷っているこちらを見兼ねたネフィーテが言った。
「もちろん、君が嫌がるなら無理には言いません」
「いえ! 嫌って訳じゃないんですけど、その……」
「……?」
「こんな容姿じゃ、絵描きがいがないかなって。私ってほら、背も高くて男みたいだから……」
オーガスタが指で髪の先をいじりながら、空元気にへらへらと笑うと、彼はこちらに歩いてきて、座ってるオーガスタと目線を合わせて身をかがめる。
「君がそんな風に卑下するようになった過程を知らないので、無責任なことは言えません。でも、私は君の外見が――好きですよ」
彼の美しい赤の双眸に射抜かれたとき、オーガスタの心臓がどきんっと跳ねた。
前世でも、ノエの下手な絵を彼が好きだと言ってくれたのを思い出す。
「それにほら、私と比べればオーガスタは華奢で、小柄に見えますし。十分女性らしいです。全く。君の自信を喪失させたのは、一体誰の仕業ですか?」
彼はこちらを見下ろしながら、また目を細める。
ネフィーテはオーガスタよりもずっと背が高くて、見上げなければ顔を見ることができない。
「社交界で私、男顔令嬢って言われていて」
「なるほど。他の人の目にどう映るかは知りませんが、オーガスタは魅力的ですよ」
「……ネフィーテ様の目には私がどう映っているんですか?」
遠慮がちに尋ねれば、ネフィーテはこちはの顔を覗き込み、甘やかに答えた。
「とてもかわいい女の子に見えます」
「~~っ」
オーガスタはその言葉に耐えかねて、顔を伏せる。
かわいいと言われてしまった。たぶん、家族以外の人にそう言われたのは初めてだ。気を遣わせて申し訳ないやら、恥ずかしいやらでいっぱいいっぱいになる。
(心臓、うるさい)
心臓の鼓動はすっかり言うことを聞いてくれず、加速するばかり。顔はのぼせ上がるように熱くて、耳まで朱に染まった。
「どうしました? 顔、赤いですよ」
「な……んでもありません!」
オーガスタは前世から変わらずネフィーテのことが好きだ。好きな人に褒めてもらえたら、嘘でも舞い上がってしまうのが乙女心である。オーガスタのことを女の子扱いしてくれるのは、ネフィーテくらいだ。こんな風に異性に女の子として扱われるのが、憧れだった。
「本当ですか? ひょっとして熱があるんじゃ……」
そう言って彼はするりと手を伸ばし、オーガスタの額に触れた。彼に触れられるだけで、ますます熱が上がる。
とうとうオーガスタはぷしゅうと頭のてっぺんから湯気を上らせた。
(ああもう。やっぱりこの人には、敵わない)
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