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しおりを挟む「私に対してなら何を言ってくださっても構いません。ですが、彼女への謗りは許しませんよ。私は常に理性的であるように努めてはいますが、彼女のことに関わると、そうはいかないかもしれません。現に私は今とても――不愉快だ」
地を這うような、静かな怒気を含む声が、空気を揺らす。彼がオーガスタのために怒ってくれているのだと伝わってくる。彼の凄みにルアンが思わず息を飲んだ直後、ネフィーテはいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
「ですので、用件があるなら早く済ませてお帰りください」
「は、はは……怖い怖い。そんなにその人のことが大事なんだ?」
「用件は」
「分かった、分かったから怒らないで。意地悪を言ったのは謝るって」
そしてルアンは、はぁと大きく息を吐き、言った。
「用件の前にほら、せっかくかわいい弟が遊びに来たんだから、もてなしてよ。兄さん?」
普通王子の数字は、生まれた順番で付けられる。だが、ネフィーテはルアンが生まれるよりずっと前から存在していた。
ネフィーテは第四王子という肩書きではあるが、十六歳のルアンからすると兄と呼べるだろう。
オーガスタは、ルアンの様子に不信感を抱いた。
◇◇◇
突然押し掛けてきたルアンは、リビングのソファに足を組みながら座り、背もたれに両手を広げた。まるで自分の家のようにくつろぐルアンの態度は、オーガスタを困惑させた。
(なにこの態度。嫌な感じ……)
しかし、近衛騎士に過ぎないオーガスタは、立場上、不満を口にすることができなかった。
「あのさー、ここは客人に茶の一杯も出ないの?」
「やれやれ、それが人にものを頼む態度ですか? 喉が渇いたならそう言えばいいでしょう」
ネフィーテは呆れつつも、紅茶を準備し始めた。兄と呼びながら、ネフィーテを使用人のように顎で使うルアンの態度に、オーガスタの苛立ちが募っていく。
「何これ、まずいんだけど。捨てといて」
ルアンは口に含んだ紅茶をぶっとわざとらしく吹き出し、顔をしかめる。
せっかくネフィーテが用意した紅茶を台無しにされ、オーガスタの額にくっきりと怒りの筋が浮かび上がった。
(なんて失礼な……っ!)
必死に怒りを堪えるオーガスタとは対照的に、ネフィーテは落ち着いていた。「口に合わなかったようですみません」と悪くもないのに謝罪の言葉を述べ、カップを下げた。
そんなネフィーテの冷静な対応を面白くなさそうに見たあと、ルアンは室内を物色するようにきょろきょろと視線を動かす。
「塔の中って初めて入ったけど、こんな感じなんだ。案外、綺麗にしてるんだね。でも、ずっとひとりで引きこもってたら退屈しそうだ。少なくとも、僕だったら耐えられない。君もそうなんでしょ?」
「私にはこれで足りていますよ。私にはオーガスタという話し相手もいますから」
「さぁ、どうだか。本当は外に出て、人間の生き血が飲みたくて仕方がないんじゃない?」
「そうは思いません」
ルアンの挑発に乗ることなく、ネフィーテは淡々と答えた。ルアンは俯き、テーブルの上に置いた拳を握り締めながら、忌々しそうに呟く。
「ああ……そう。大切にしてくれる人もいて、楽しく過ごしてるんだ。吸血鬼の分際で、僕よりずっと、幸せそうに……」
彼の中のどす黒い一面が垣間見えた気がして、背筋が凍りそうになった。しかしルアンはすぐ、その顔に人好きのする笑顔を貼り付けた。
「もっと面白い話が聞けるって期待してきたのに残念だよ。もういいや。今日は僕、そっちのお姉さんに用があってきたんだ」
ルアンは視線をネフィーテからこちらに移し、にこりと微笑んだ。
「わ、私……ですか?」
「うん。長らく誰も近づこうとしなかった吸血鬼に仕えようなんて人、気にならないわけないじゃん。まぁ、それは置いといて、外で少し僕と話そうよ。――大事な用があるんだ」
「…………」
オーガスタには、なんの用か全く思い当たらない。しかし、ルアンは自分の好奇心が満たされるまでこの部屋に居座るつもりだろう。王族からの命令は絶対。どの道、オーガスタに拒否権などない。自分の我を押し通そうとするサミュエルと、似た匂いを感じた。
(これ以上、ここでネフィーテ様に迷惑をかけられるより、外に出た方がマシか)
オーガスタはネフィーテに確認する。
「少し、席を外してもよろしいでしょうか」
「――だめです」
思わぬ返答が返ってきた。
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